スーパーマンを演じた男

 皆さんは「スーパーマン」をご存じですね。私の世代では、テレビ映画のスーパーマンを思い出します。デイリープラネット社の新聞記者クラーク・ケントが危機となると、眼鏡をむしり取るようにしてスーパーマンになり、高いビルの窓から空へと飛び出します。「あ、あれは何だ」「鳥か?」「飛行機か?」「いえ、スーパーマンです。遠い宇宙の彼方から…」というナレーションを今でも覚えています。その後、映画でもリメイクされて、ヒットしました。

 ここでご紹介したいのは、この映画でスーパーマンを演じていた役者さんの話です。彼の名前はクリストファー・リーブといいます。彼は1952年9月25日にアメリカニューヨークで生まれました。子供の頃から、音楽や演劇に興味を示し、才能を認められており、芸術分野で有名なジュリアード学院に進みます。1978年、映画「スーパーマン」のオーディションを受け、合格、彼の主演したこの作品は大成功を収めます。そして、この「スーパーマン」シリーズは長編シリーズとなり、1987年の第4作まで続きました。この10年間で、スーパーマン・スターとしての名声を確立することになります。

 彼は元来スポーツマンで、趣味としてヨット、スキューバダイビング、スキー、グライダーや飛行機操縦、乗馬など多くのスポーツ競技をこなしました。そして、1995年5月27日、悲劇が起こります。

 馬術競技イベントで、クリストファー・リーブのサラブレッドが、柵をジャンプするところで何かに驚いて突然停止し立ち往生して、彼を放り出してしまったのです。彼は頭から墜落し、一瞬の内に四肢は麻痺し、呼吸も出来ない状態となりました。頸椎の頭蓋骨に一番近い一番と二番を損傷という致命的な怪我です。42歳の時です。

 呼吸を補助し、酸素を送り込むなどの素早い手当てをしながら、カールペパー医療センターに救急搬送されます。怪我により損傷を受けた脊髄の腫れを押さえる目的でメチルプレドニゾロンの投与を受けて、直ちにヴァージニア大学医療センターにヘリコプターで搬送されます。事故から4日後、ヴァージニア大学医療センターで彼は意識を取り戻します。6月5日、損壊した二つの椎骨を接合し、頭と首を安定させるための5時間に及ぶ手術を受けます。それから約三週間し、6月28日ニュージャージー州のケスラー・リハビリテーション研究所に転院しリハビリテーションを開始します。

 9月29日ABCテレビのニュース・ショウで彼へのインタビューが放送されます。彼は、まだケスラー研究所にいましたが、呼吸器の助けを借りながらも会話ができ、電動車椅子を操作して移動ができる状態となっていました。

 受傷後4ヵ月半を経過した10月16日彼は事故以来、初めて公式の場に姿を見せます。彼が会長をつとめる俳優の組織、創作家連盟(Creative Coalition)の代表として、ニューヨークで行われた、俳優 ロビン・ウィリアムズの受賞式に参加し、連盟賞の授与を行ったのです。

 1996年1月彼は 脊髄損傷による麻痺と戦うためのNP O法人「クリストファー・リーブ財団(CRF)」を設立し、同時に、慈善事業家ジョーン・アーヴァン・スミスとともに脊髄研究に貢献することを目的とした「UCI・リーブ‐アーヴァン研究センター(The UCI Reeve-Irvine Research Center)」を設立します。長くなってしまいました。この続きは次号にしましょう。私が彼の人生をご紹介することで一体何を申し上げたいのか、次の機会に明らかにしたいと思います。