身体と心の密接なつながり

 運動不足になっていると思い、できるだけゴルフに出かけるようにしています。最近は、ほとんどのコースにゴルフカートといって、ゴルファーを運んでくれる乗り物が導入されています。ゴルフを楽しむ高齢者には、歩く距離が少なくなって便利になったと喜んでおられます。しかし、若い世代でも、乗るのが癖になって、カートのないゴルフ場はしんどいから行かないという人も出てきました。私の場合、運動不足の解消と思って通っていますので、乗りませんかと誘われても、「歩きますわ」と断っています。それが変わり者と映るようなので、内心、「みんな何しに来てるんや」と憤りを感じるのですが、スコアの話になると困るので、偉そうなことは言わず黙って歩いています。

 ゴルフという競技は、面白い競技です。結果を他人のせいに絶対にできないスポーツです。野球なら、相手によって左右されるところがあるでしょうが、ゴルフの場合、自分がしでかしたことですから、どのような結果になっても全く弁解の余地がありません。林の中から打つ羽目になるのも、池ポチャになるのも、自分がそこに打ったからです。天候も他の競技者と同じ条件です。自分だけに強い風が吹き、雨が降りかかるのではありません。ミスショットは自分のせいであり、実力なのです。それにしても、季候の良い時期、気の合う仲間と広々としたゴルフ場でプレーするのは本当に気持ちの良いものです。また、ハンディキャップという制度があり、実力が違うものでも、同じ土俵で勝負を楽しむことができます。上手な人は初心者に最初から特典を与えて試合するのです。昼ご飯やビールをかけて、熱い戦いをします。そうなると、このパットで勝負が決まるとなると、たとえ1bでも、簡単には打てなくなります。つまり、気持ちがプレーに大きく作用します。こんな経験をするたびに、ゴルフはメンタルなスポーツだなと思います。人間というものは、つくづく、精神的な要素に影響を受ける動物だと思います。

 気持ちが左右するのは、何もスポーツだけではありません。私たちの仕事においても、精神面の大切さを強く感じることがあります。「病(やまい)は気から」というように、気持ちから病気にもなりますし、治療の効果も気の持ちようで変わってきます。たとえば、薬の効き目です。もともと、薬は、科学的な物質であり、その作用を利用して薬として使われています。したがって、同じ症状の人に同じ薬品を出せば、同じような効果があるはずです。しかし、実際には、人により全く違う反応を示します。副作用などの特異的な反応は別にして、よく効いたという例では効かない場合と何が違うのでしょうか?

 たとえば、薬を処方した医師や説明をした薬剤師との相性や信頼度があります。外見もマナーも関係するでしょう。若い新米のような医師よりも、肩書きからして立派な年輩の先生から出してもらった方が、効くかもしれません。だらしない服装よりもきちっと清潔な外見は安心感がありますし、処方に説得力が生まれます。薬についてのご本人の知識や経験も関与します。お隣の方が、この病院で出してもらった風邪薬がよく効いたと話していたという情報は、何も聞いていないより効き目が上がるはずです。あるいは、薬好きなどという性格も効き目をあげる作用をするかもしれません。町の診療所よりも、たとえ待ち時間が長くても、大きな病院が好まれる傾向があります。そこでの治療や出される薬にありがたみがあると感じているからかもしれません。薬の粒自体の好みもあるでしょう。粉より粒が飲みやすいというだけではなく、好きな色や形も個人によって違います。こうした事柄は薬自体の薬理作用とは別なのですが、効果には確実に反映します。つまり、同じ薬でも、安心できる施設で、信頼できる医師から出され、経験豊かで親切な薬剤師から丁寧に説明を受けた場合は、効果が倍増するということです。

 これは薬に限りません。たとえばリハビリテーションです。その意義を十分に理解し、積極的で前向きの姿勢で、信頼できる医師や理学療法士から納得いく説明を受けて取り組めば、効果は上がるはずです。自分の精神的な健康のために、環境を整える工夫が要ります。そして、後ろ向きとならないよう自分の気持ちをうまくリードする努力も必要ですね。

 しかし、私に関していえば、勝負のパットはいつもはずしてしまいます。土壇場に強い精神力を養うために、何か良い方法があれば是非教えてください。よろしくお願いします。