新しい世紀を迎えて

 原稿に向かう現在、2000年も師走を迎え、どんなことにも「20世紀最後の」という枕詞がついてきます。大きなイベントをそう呼ぶのは理解できますが、「今世紀最後の大安売り」などという広告を見ると、思わず笑ってしまいます。「所詮、いつもの年の瀬と変わるところはないさ」とうそぶきながら、それでも興味津々です。私自身を含め、人はこの区切りをどう捉えて、これからどう変化していくのか、大切なことだと思うからです。これからも観察を怠らないようにしようと考えています。

 皆さん、明けましておめでとうございます。新しい世紀をどのようにお迎えになられたでしょうか? 今回は、20世紀を振り返り、新しい世紀への課題を私なりに考えてみたいと思います。

 さて、20世紀は、どのような世紀だったのでしょうか? この世紀は「科学の世紀」と総括されています。この100年の間に、科学技術はすさまじい進歩を遂げました。発見される新しいことが次々と生まれるだけではありません。発見された新しい技術が、日常生活に応用されるまでの期間がどんどん短くなっているという話を聞きました。昔は、目新しい発見が社会に出るにはずいぶん時間がかかったのです。今は、どんどん商品の中に取り入れられます。それだけ、科学の進歩が日常生活に直結してきたとも言えますし、経済とも強く関連しているとも言えるでしょう。

 しかし、このように科学が進歩して、それが人類を幸せにしたかといわれれば、そればかりではないことに気づきます。科学技術の進歩は自然を征服し、コントロールすることで、人類に恩恵を与えようとしました。しかし、私たちが抱えている地球温暖化や酸性雨などの環境破壊の問題は、まさに進歩したから発生した課題でもあります。次の世紀に向かうとき、私たちは科学のもたらした「功」の部分と、「罪」の部分をきちんと認識し、知恵を集めて、対策を講じる必要があるように思います。

 哲学者の中村雄二郎氏は科学の特徴を三つにまとめておられます。「論理性」「普遍性」そして「客観性」です。これらの特徴は、枠組みがしっかりとしていて、付け入る隙を見せません。「そのやり方は科学的ではない」といわれれば、それは一顧だにする価値のないものと評価されてしまいます。科学は例外を認めません。全部に共通する理屈を追い求めます。そして、それを論理で説明しようとします。こうした過程が十分でない意見は省みられることがないのです。こうした考え方は実に、西洋的だと私は思います。二つのうち、必ずどちらかが正しくて、片方が間違いであるという基準で判断が行われます。

 医学・医療の分野でも、明治以降、西洋的科学文明を積極的に取り入れました。抗結核薬など薬物の開発とその普及、また、保険行政を主体とした公衆衛生面での改善活動により、科学の恩恵は日本を世界でもっとも長寿の国にしました。しかし、残念ながら、一方では、高齢者医療や終末期医療が、世界の標準からすればむしろ、貧しいものではないかという批判も多く聞かれます。私たちは、良いものをうまく取り入れ、悪いものを排除する知恵を持たねばならないのだろうと思います。それは、二者択一といった単純な論理からのものではないと思います。

 その点、東洋の知性は二者を包括しようとしているといわれます。医学の世界では、古くからの東洋的な手法は「科学的ではない」という理由でその意義を十分には認められないまま今日に至っています。一方では、あまりに細分化され、専門特化が進んだ西洋医学が必ずしも良い面ばかりではないという批判も生まれています。多くの医療事故や医療ミスが毎日のように報道され、医療不信があおられる形となっています。西洋医学の良さと東洋医学の良さを上手にミックスしたようなものがこれから求められる医療のあり方ではないかと個人的には考えています。科学が持つ論理性や普遍性に、個別性を加えて、新しいものの考え方が築かれなければならないのでしょう。皆さんはどのように思われますか?

 整形外科医として診療に精を出し、同時に、医療施設の経営者として活動を進めながら、どうすれば、せっかくの技術や制度が人類の幸せにつなげることができるのか、自分なりに考えていきたいと思います。

 新しい世紀を迎えて、柄にもなく、大きなことを申しました。今年も、よろしくお願い申しあげます。