国家のあり方と社会保障

 本格的な少子高齢化を迎え、しかも、歴史上初めて人口減少を経験する日本における「これからの社会保障のあり方」には無関心ではおれません。自分なりに諸外国の歴史や制度を勉強していると、同じ悩みを持つ先進諸国の国家統治の方式や経済政策には大きなうねりがあることが分かりました。それは、当時の社会を正確に反映したものであり、為政者の考え方の正直な写し絵となっています。

 小泉元首相が「小さい政府」という言葉を使っていたのを記憶にある方も多いと思います。彼は自己の国政運営の方針を短いフレーズにして表現するのが得意で、選挙ではそのイメージ戦略が大成功を収めました。郵政事業や道路公団の民営化に代表される「官から民へ」(市場にできることは市場に委ねる)、国と地方の三位一体の改革を意味する「中央から地方へ」、そして、規制緩和を推進する「構造改革なくして景気回復なし」というキャッチコピーは内容よりも新しさや強さで多くの国民を引き込んだように思います。

 では、「小さい政府」とはどのような考え方から出てきたものなのでしょうか?難しい話しで恐縮なのですが、多少歴史的なことを踏まえながらご紹介したいと思います。

 18世紀頃のヨーロッパでは、王に代表される専制的権力者が独断的に地域を支配し、統治していました。その強力で、時には公正ではない国家権力に対抗する考え方が、自分の財産の所有権を主張するジョン・ロックの思想です。その理屈から、政府の役割は個人の権利を守ることに限定すると考えました。

 その後、アダム・スミスは、ロックに続いて、政府の介入のない個人の自由な競争が、結果的には社会全体の利益につながる(「見えざる手」ですね)という論理を発表し、自由な経済活動を容認する体制を主張しました。このイギリスの自由主義(リベラリズム)の思想が18世紀にアメリカに渡り、アメリカ建国の国家思想として引き継がれたのです。

 しかし、その後、市場は彼らの期待する効果を生むばかりではなく、世界恐慌に代表される失敗も引き起こします。そこで、時には国家による介入も必要だという思想が生まれます。そして、年金、失業保険、医療保険等の社会保障の拡充やニューディール政策のような公共事業による景気の調整、そして、主要産業の国有化など国家による経済への積極的関与による個人の社会権(実質的な自由)の保障が叫ばれるようになります。これが「福祉国家」と言われる動きで、必然的に予算規模は大きくなりますし、公務員の数も増えるので、「大きな政府」路線となります。

 しかし、1970年代にオイルショックが起こり、経済はインフレとなり、町に失業者があふれ出すとこの路線の修正の意見が出てきます。それが「新自由主義」です。この考え方では、経済への政府の関与を縮小するのが原則です。政府が主導してきた規制を緩和し、市場の機能に委ねようとするのです。「小さい政府」はこの路線の当然の帰結です。

 具体的にはアメリカではレーガン大統領が「レーガノミクス」として実践し、イギリスでは保守党のサッチャー首相が「サッチャリズム」を唱え、実行しました。小泉元首相が主張した国家論はこの「小さい政府」です。その考え方では、国家が福祉に大きな役割を果たすのではなく、民間に委ねることになります。予算規模は縮小し、公務員はそれほど必要ないことになります。社会保障が削減の対象となるのは、新自由主義にしたがった政策の中では当然のこととなります。

 イギリス保守党サッチャー政権下では、新自由主義政策として民営化と規制緩和が進み、イギリスの経済構造は改善されましたが、一方では、経済格差が広がり、公共サービスを受けることのできない層が増大する結果となりました。医療政策でも、「医療費をかけなくても、競争により医療の質は上がる」という信念から、競争や民間手法を導入した改革を進め、医療費を増やさなくても質が上がることを期待しました。しかし、思うような成果が得られないどころか、大きな問題を残す結果となりました。

 イギリスの医療制度は、公的保険で、かかりつけ医が決められています。専門診療が必要となると、日本と違い、そのかかりつけ医からの紹介が義務づけられています。つまり、日本のように、誰でも自分の受けたい医療機関を選択できない制度です。その予約が滞りました。レントゲンやMRIなどの検査でも、専門医の診療でも、また、手術のための入院でも、数ヶ月、時には1年用の待機が生まれてしまったのです。国民からは不満が噴出します。一方、予算の削減により医療従事者が激減し、現場の士気は低下し、結果的に質が大きく落ちてしまいます。

 そこで、1997年就任した労働党のブレア首相は、サッチャー氏とは異なる路線を歩みます。政府の介入を減らし市場に委ねる新自由主義でもなく、また、以前のような国家が丸抱えする体制でもない「第三の道」を提唱します。具体的には、減税の路線は継承しつつ、「結果の平等」よりも、教育の充実など「機会の平等」を重視した政策を打ち出したのです。医療政策としては、サッチャー政権下で、崩壊が進んだ医療現場を復元するため、当時、先進7ヶ国中最低のGDP比6%台の医療費を5割増額すると宣言しました。なお、昨年のデータによれば、この政策が実り、イギリスは最下位を脱出、ついに、日本が最低となりました。ヨーロッパの水準からも、また、OECD諸国の平均からも下回っており、医療に一番お金をかけない国となっています。

 このイギリスでの出来事は、今の日本社会には大きな参考となる話しです。「小さな政府」の方針により社会保障費が削られ、医療現場への予算がつきません。診療報酬の減額はこの政策にのった方策です。現場の医師たちの献身的な努力によってかろうじて保たれてきた質も、マスメディアの悪意に満ちた報道姿勢や警察の介入、そして、裁判での弱者救済に偏った判決など、現場の医療者の士気を削ぐ出来事が相次ぎ、次第に問題が表面化してきました。報道では産科・小児科の問題が大きく取り上げられていますが、問題はそれだけではありません。基本的な診療科目である内科医の減少もしくは不在による病床閉鎖や診療科目の制限は決して珍しいことではなくなってきています。日本の医療は政府のミスリードによりイギリスの後を追うように崩壊していきつつあります。

 一旦壊れた現場の状態を良い方向へと変えていくのは簡単ではありません。といって、財源を無視して、GDP比の医療費の増額を叫んでも現実的ではありません。当然、現場はこれまで以上に無駄を省く努力が必要です。しかし、とりあえず、重要なのは、こうした状況にある日本の現実を直視し、国民のひとり一人が自覚を持って医療サービスを利用することではないかと思っています。タクシー代わりに救急車を使う人、専門診療が主体の大学病院や高度医療の外来に、紹介状を持たず、受診して待ち時間にクレームをつける人、一度の検診を受けることもなく妊娠後期となり、急な事態に夜中に診療を求める妊婦、費用をかけずにいつでも質の高いサービスを求めることの矛盾に気付く必要があると思うのです。

 イギリスをはじめ、他の国々の工夫や実験的試みとその成果を客観的に調査し、参考として、公正(平等)で、費用がかからず(効率)そして、質が高い医療制度をどう構築し、運用していくか、政治家の方策を待つのではなく、現場から声を発して議論すべき大きな課題だと思います。