改革の方向性

 私のコーナーは「医療現場から」というタイトルが付いています。もともとは、毎日の日常診療から感じることを医師の立場からエッセイのようなスタイルで書き始めていました。しかし、このところ、堅い話が続いていて、ご不満に思われるかもしれません。

 前回も書かせていただきましたが、医療に関連する方針は、基本的な国の運営の根本と密接につながっており、きわめて政治的なテーマなのです。ということは、医療従事者も医療を利用する立場の人も、もっとその仕組みを知り、対応を考えないといけないと思っています。この欄ではその意味で情報提供を意図として書かせていただいております。

 特に近年、財政再建を優先する国家的な戦略が打ち出されており、歳出の大きな割合を占める社会保障がいわばターゲットとなり、削減の方策が進められていますが、それをただ受け止めるだけでよいのでしょうか?私たち国民にとって、社会保障費としての年金、医療、そして介護などの福祉の分野はどのような姿が好ましいか、彼らに任せるだけではなく、一緒になって十分な議論が要ると考えます。そこで、現状のシステムにはどのような問題点があり、少子高齢化が進む人口構造の中で、今は将来に向けどのようなプランが立てられているのか、整理し、きちんと情報を持っていただきたいと思います。その上で、望ましいあり方の議論に参加していけばよいと考えています。

 具体的には、国民は税なり保険料での負担はどれくらい許容し、その引き替えに、それぞれの状態に応じて、どの程度のレベルのサービスが提供される体制を望むのか、選択していくことになります。レベルの高いサービスには、当然、費用がかさむため、国民の負担は増やさなければなりませんし、あまり負担をしないことを望めば、提供されるサービスの範囲や程度が制限されることを覚悟する必要があります。極端に言えば、こうした体制のうち、どちらが良いと考えるのか、よく勉強してハッキリとした意見を持つということです。そして、最終的には、自分の考えと同調する政党や政治家に投票するといった行動につながると思います。

 では、財政再建路線からの社会保障の制度改革について、振り返ってみましょう。改革の話しが表面化したのは橋本内閣の時です。彼は、小さい政府を「行政改革」、財政再建と景気回復の両面に向けた「財政構造改革」、金融システムの活力を上げるような「金融改革」、「経済構造改革」、医療保険制度の見直しを含む「社会保障構造改革」、そして「教育改革」という六つの分野の改革を進めました。不良債権処理などがからみ、一時、不景気に対する対策が優先されたりはしましたが、改革を進める方向性は小渕内閣、森内閣と引き継がれ、小泉内閣ではひときわ強く打ち出されました。

 彼は、高い国民支持率を背景に、官邸の方針を徹底するため「経済財政諮問会議」を最大限に活用し、強い指導力を発揮しました。国際的にも異常に突出した国としての借金を清算する「財政再建」を最大のテーマとして、それをすべての政策に優先し、取り組みました。「聖域なき構造改革」というキャッチフレーズで、社会保障や医療保険制度についても、大きな変革が進められました。ことに、歳入・歳出を一体的に見直す方針の下、歳出の4分の1を占め、人口構造の変化に伴い増大が予測される社会保障制度に厳しい対応を決断しています。医療制度では、医療のレベルを維持しつつも、国からの出費を最小限に抑えようと、保険診療の枠を緩め、現在の個室の使用料のように、一定以上のサービスは個別に料金を請求する「混合診療」を導入することも検討されています。この方式では、民間保険のマーケットの拡大が予測され、アメリカへの肩入れが強いという見方のあったこともあり、外資系の強いこの業界への利益誘導ではないかという憶測も生みました。

 その後誕生した安部政権でも、基本的には小泉路線が踏襲され、財政再建のための社会保障費の削減はますます強力に打ち出されています。そして、意外な形で終息した安部政権に代わり福田内閣が誕生しました。社会保険庁のずさんな経理、相変わらずの「政治とカネ」の問題、ことに防衛省の癒着の構造によるスキャンダルが報道され、政局は混乱しています。本来議論すべき重要な論点がかすんでしまい、福田総理がどのような方針で今後の社会保障制度のあり方についての議論に臨むか、明確な方向性がまだ見えてきていないというのが現状です。

 一方で、医療現場、ことに急性期治療を担う病院の医療が、勤務する医師や看護師の過重労働からの退職などで不足し、運営が行き詰まっている例が目立つようになっています。このままでは、産科・小児科だけではなく、病院に内科や外科、整形外科医がいなくなり、これまでのような地域医療の質を維持することが難しくなります。早急に適切な対応をしなければ、大げさに聞こえるかもしれませんが、世界に誇ると評価されてきた日本の医療体制は崩壊していく危険性をはらんでいるのです。

 このような状況では、医療関係者や医療を利用する国民は、政治の動向に関心を寄せ見守る必要があると感じています。人口減少時代を迎えたわが国の将来にとって、現時点での舵取りが、その命運を握っているからです。一つの例は、来年度に控えていた医療制度改革路線での高齢者の窓口負担と、新しい高齢者医療制度の保険料徴収についての対応です。7月の参議院選挙では、予想を超えた結果が出ました。自民・公明両党の与党が惨敗し、参議院での優位が民主党に移り、衆議院とのねじれ現象が発生したのです。この結果に危機感を抱く与党は、次の国政選挙に向け、挙党態勢で準備を進めています。

 彼らは、窓口での高齢者の負担増が有権者の行動に影響を与えると判断し、窓口負担の増額について「凍結」という決断をしました。明らかに次の選挙を睨んだ対応です。負担増を見送った与党に、高齢層の有権者の支持が集まり、選挙に勝てると考えたに違いありません。しかし、このやり方では、あれ程重要視している国の借金の返済、財政再建は先送りされることになります。それはつまり、現役世代に、その負担を持ち越すことになるのです。こうした政治判断が本当に正しいのでしょうか?確かに政治家は選挙に勝つことを最優先し、何よりも当選を目指すことは理解できます。しかし、本来政治家は、国家百年の計のもと、行動することが求められていると思うのです。いつでも選挙に勝つための行動を優先させ、将来の課題に目をつぶるとすれば、誰が、次の世代に対する責任を持つことができるのでしょう。実は、これほどの財政状況になったのは、解決すべき課題を常に先送りを続けたためです。その結果、大きな借金ができ、自由に使えるお金がなくなってしまったことが、行き詰まりの原因というのに、再び同じことを繰り返すというのでは、あまりに情けない話しだと思います。

 ということで、外交でも大きな課題を抱えている福田政権ですが、来年度から昨年国会を通った医療制度改革法案に基づく施策が次々と実施されます。医療機関にとっては、自分たちの商品であるヘルスケアサービスの料金表である診療報酬が改定される年にも当たっています。変革が本当に今の私たちにとって、そして、将来の世代にとって、どのような意義や影響を持つのか、見極めながら、議論に参加するなど何らかの行動を起こしていくべきだという思いを強くしています。