繰り返しの大事さと大変さ −それを可能とするものは?−

【ごあいさつ】
 この度は、総会おめでとうございます。あいにくの雨模様というのに、参加される会員の方が、また、増えたと伺いました。そして、「ビッグ・アイ」には初めて来ましたが、きれいな立派な会場で、障害者にとっても利用しやすい設備に驚きました(私は満車の駐車場に、どうしたものか、迷ってしまい、結句少し遅れてご迷惑をおかけしました)。
ご準備いただく役員・事務局の皆様には、本当に大変と存じます。ご苦労様です。でも、この成果を見ると、ご苦労も吹き飛んでしまうのではないかというくらい、会場の空気に暖かく、熱いものを感じております。ありがとうございます。
 さて、昨年に引き続いて、今年もお話しする機会をいただきました。前回は、ソルトレイクでのオリンピックの話というトピックスがあり、お話できたのですが、今回はそうした目玉となる話題はないのですが、「繰り返しの大切さ」を歌やスポーツ選手の例からお話しして、リハビリテーションの重要性につなげたいと思います。参考にしていただければ幸いです。

【「さとうきび畑」をご存じですか?】
 皆さんは森山良子さんの歌う「さとうきび畑」という歌をご存じですか?

さとうきび畑

 この歌は寺島尚彦さんが訪れた沖縄での体験を元に、1969年始めてレコーディングが行われたものです。森山良子さんの透明度の高い声が繰り返す「ざわわ、ざわわ」という部分がとても印象的な局です。作詞をされるに当たって寺島さんは、さとうきび畑を吹き抜ける風の音をどう表現するか、とても苦労されたといいます。「ざわわ」に思い至るまで、大変な時間がかかりました。聞き手の私たちにとって、今となっては、「ざわわ」以外には、吹き抜ける風を感じる表現はないようにすら思えます。

 さて、この曲全部聞くと、10分以上の長いものです。その中で「ざわわ」は66回出てきます。しかし、繰り返される「ざわわ、ざわわ」というフレーズは、決して同じには聞こえません。さわやかに、軽やかに聞こえる「ざわわ」もあれば、激戦地となった沖縄で「さとうきび畑にはまだ多くの戦没者の遺骨が埋まっている」という重い事実を思い出させるように、荘厳に充実感を持って聞こえる「ざわわ」もあります。歌い手の意図でしょうか? それとも、聞き手の側に何か変化が生まれるためでしょうか? 活字にすれば同じ「ざわわ」なのに、違って聞こえるのです。それには、何らかの理由があるはずです。ともかく、繰り返される「ざわわ」を聞いていると、心の中に何かが形作られてくるようです。

 こうした言葉の繰り返しだけではなく、音楽の世界ではメロディーの繰り返しもあります。同じ旋律が繰り返し繰り返し流れる曲があります。演奏の仕方にもよるのでしょうが、これも、同じようには聞こえず、次第に、何か特殊な効果が生まれてくるように思えます。

 芸術の世界だけではありません。考えてみると、人間の生活というのは、繰り返しです。朝起きて、動き始め、排泄をして、ご飯を食べて、仕事をして、夜になれば休みます。これの積み重ねが人生になっていきます。

 もっと原始的に言えば、人間の身体も繰り返しです。繰り返し呼吸をして酸素を取り込みます。そして、心臓がリズミカルに動いて、その酸素を体中に供給している間は、生きています。人生も同じかもしれません。そして、おそらく、人類が誕生して以来、同じような事柄を繰り返して歴史が積み上げられてきたのでしょう。

 ともかく、この曲を聴いていて、「繰り返し」について考えてみることにしました。

【「繰り返し」は退屈か?】
 繰り返しは単調で面白味に欠け、つまらないものでしょうか?

 今は、メジャーリーグで活躍する世界のスターに成長したイチロー選手が、オリックス時代に、接点があり、彼の行動を間近に見たり、話す機会がありました。彼が、子供の頃からお父さんに野球の英才教育を受けていたことは、有名な話です。お父さんは「チチロー」と呼ばれ、親しまれています。お父さんの教育はおそらく野球だけではなかったように思います。彼の言動が非常にしっかりとした考え方からじっくりと判断されたもので、一般に「スポーツ馬鹿」と揶揄される軽いものとはまったく違っていたからです。

 その彼は、試合前の練習、打席に向かう前の準備体操、練習や試合が終わってからのスパイクやグラブなどの用具の手入れといった一連の動きを、日によって変えるのではなく、一定にしていたという話があります。身体を伸ばす体操をして、どこかにと感じるのか、繰り返しの中のわずかな違いを見つけ、その原因を探して早めの対策を打とうと考えるのか、繰り返しから得るものをどのように考えているかで、人生にも生活にも、そして、病期とのつきあいのあり方についても、大きな違いが生まれてきます。

 積極的な対応が大きな実績となって、跳ね返ってきますし、逆に、いい加減な思いつきの対応ばかりでは、一向に成果は出ず、辛い思いのみが残る悲しい人生となってしまう可能性もあるのです。

【一流選手から学ぶこと】
 【人生における繰り返しを有意義に】