「冬季オリンピック出場選手の治療を経験して」

 この度は、総会おめでとうございます。年々増える参加者と盛りだくさんの内容に、ご準備いただく役員の皆様の熱い情熱を強く感じております。本当にご苦労さまでございます。

 さて、今回は、先日開かれましたソルトレイクでのオリンピックに出場した選手の治療を行う機会があり、現地にも出かけるという貴重な体験をいたしました。その経験から、感じましたことなどお話しさせていただきたいと思います。

 私の専門は「整形外科」、その中でも、スポーツ選手に起こるケガなどを扱う「スポーツ整形外科」です。骨折がスポーツ選手に起こるとします。彼らは、当たり前のことですが、骨がひっついたからといって満足しません。もとのスポーツ活動が自分らしく行えるように回復しなければ「治った」とは実感しません。できるだけ早く、そうしたもとの状態に戻すためには工夫が必要です。早く動かすことができるような治し方を考えなければなりません。むしろ、ギプスなどで安静の期間が長くなると機能は低下して回復に時間がかかってしまいます。ですから、かえって早く治すために手術を行うこともあるのです。しっかりとした固定を行って早めに動かし、体重ものせるようにします。リハビリテーションを熱心に行います。

 こうした実例を積み重ねているうちに、私は、これはスポーツ選手だけの特別のやり方ではないということに気がつきました。働いている人でも、高齢者でも、家庭婦人でも、神経難病の方でも同じことです。安静や固定は機能を落とします。その期間はできるだけ短くすることが求められます。もとの機能を、早く回復させることは、誰にとっても、大切なことです。それには、リハビリテーションが重要な役割を果たします。そこで、自分の興味は、整形外科だけではなく、リハビリテーションの考え方やその技術に拡がっていきました。そして、その対象もスポーツ選手だけではなくなってきたのです。

 さて、16年ほど前、私がスポーツ選手に対する診療を熱心に行っていた頃、一人のスケート選手の骨折を治療しました。彼は、二ヶ月先にアジア大会を控えていました。何とか間に合うように、手術をして早めのリハビリテーションを行い、結局、大会では銅メダルを獲得しました。その方が現在コーチとして活躍されており、その教え子の一人が、オリンピックの最終選考のレースで足首の骨折をしてしまったのです。昨年の12月30日の出来事です。本命の500bのレースは2月23日です。54日間しかありません。しかし、スケート連盟は、少しでも可能性があるならばと、その選手を代表選手の一人に加えました。翌日の新聞報道では、整形外科医の「足首の両側のくるぶしが折れたケガは重傷です。残念だけど、無理でしょう。間に合いませんよ」というコメントがのせられていました。

 受傷当日、コーチから、骨折したから連れてかえるのでよろしくという連絡が入り、東京から搬送されてきてそのまま入院しました。整形外科医長の金先生の手配で大晦日の翌31日、全身麻酔による手術が行われました。手術することは、この骨折の場合、どんな例でも同じですが、復帰への日数が限られていることから、多少無理して緊急手術として実施しています。こうした治療に際して、図のような手順を確認しました。

図:ケガからレース出場までの手順

図:ケガからレース出場までの手順

 骨折して二ヶ月足らずで普通の生活ができるかどうかもおぼつかないのが普通というのに、国際的なレースに出場を目標とするのですから、かなりの危険を伴います。たとえば、再骨折や固定している金具のトラブルです。ご本人やコーチを中心に周囲の関係者にはそのあたりの医学的な情報は十分に説明しました。置かれた状況は理解しながらも、出場にかける意志が確認できたため、レースに間に合わせるように通常よりも相当速いペースでのリハビリテーションのプログラムを作成しました。

 教科書には、この骨折の場合、約3〜4週のギプス固定が必要で、その後可動域訓練を始め、4〜5週で体重をのせていくという術後のプログラムが書かれています。しかし、彼の場合、ギプスは1週間ではずし、体重ものせながら、関節を動かす訓練を開始しています。もちろん、この時点では骨折部はひっついた状態ではなく、金具の強度に頼らなければなりません。1日に午前、午後、夕食後の夜間と三回に分けて合計8〜9時間に及ぶリハビリテーションが行われました。腫れを最小限とするためアイシングは毎回30分以上するよう指示されました。

 幸い、大したトラブルもなく、予定通り、手術後三週で退院し、氷の上での練習を開始しました。術後4週で、他の代表選手とのカナダのカルガリーにおける合同合宿に参加するため、日本を離れました。カナダでは、次第に活動量が増していきます。コーチから電子メールを使って、足の状態の報告や練習後の腫れ具合を撮影した写真など送ってもらい、注意事項を連絡しています。そして、いよいよ、レースが近づいてきました。代表選手に入ってもレースに誰を出場させるかは、チームの監督が最終的に判断します。したがって、オリンピックには参加したけれども、レースには出ないという選手もいるわけです。17日にまずリレーへの出場が決まりました。

 そして、本命の500bも登録されることになりました。その情報を受け、23日のレースに間に合うよう、担当医として現地へ出かけました。

 サンフランシスコで乗り換えて、ソルトレイクに向かいました。アメリカでの飛行機への搭乗に際しては厳しい手荷物検査とボディチェックがありました。先の同時多発テロの影響でしょう。選手村に入るにも何度もゲートでの審査を受けます。頭上ではヘリコプターが旋回しています。24時間の厳重な警備です。周囲の屋上には狙撃兵が配備されているとも聞きました。世界中で一番安全な場所というのが大げさではないと実感しました。

 さて、本番です。どきどきしながら、USAの大合唱の盛り上がりを見せる会場で、関係者の皆さんと一緒に観戦しました。残念ながら、決勝まで進むことはできませんでしたが、大方の間に合わないという予想を裏切り(?)、大きなアクシデントもなく無事に、スタートラインに立つことができたことは一つの目標をかなえたと、ある意味では満足した気持ちにもなりました。しかし、少し時間が経ち、レースの興奮が冷めてくると、次第に悔しさがこみ上げてきました。レースは勝負です。参加することができたという程度の満足で、戦いに臨んで勝てるはずもなかったという気持ちになってきたのです。あの場において、「ここまで来たんや。折れてもええから、ぶっとばせ」と檄を飛ばしてもよかったような気に、今はなっています。

 帰りの飛行機の中で、わずか二日間でしたが、国際試合の現場で経験したことを思い出してみました。それは、ヘルスケアの仕事においても、人生においても、同じことではないかと考えました。一つは、仲間に対しての信頼関係です。選手とコーチ、そして、今回のようなケガの治療においては、医師や看護師、理学療法士といった医療スタッフが、お互いを信じ、同じ目標に向かって努力を積み重ねることの重要性を再確認しました。それぞれが自分の役割をきちんと果たさなければなりません。中でも大切なのは、ご本人の問題です。復帰にかける強い意志と、それを持ち続ける充実した気力です。おそらく、早期のリハビリテーションはかなりの痛みを伴ったと思います。一度も弱音を聞いたことがありません。彼は、出発直前に私に話してくれました。「先生、僕は絶対にオリンピックに出場して、レースで滑りますよ。間に合えへんやろと言うた人を見返したいですわ。それと、同じようなケガした選手に希望を与えるような結果を出したいんですわ」人間が強い気持ちで努力したら何とかなるという見本のような出来事でした。

 病気やケガを扱っていて、ご本人の気力が治療の成果に関係する事例はしばしば経験します。「なにくそ」という負けん気や「絶対によくしてみせる」という攻めの気持ちは、不思議なくらいよい方向へと導いてくれるような気がします。これが二つ目の収穫です。そして、最後の三つ目が先ほども述べましたが、戦いの場における気持ちの持ち方です。参加できればよいとか、決勝に残れて幸せなどという考えでは、決して一番にはなれないということです。勝利に対する強い意欲が復帰にかける思いと同じように重要であることを学びました。私は、医療機関の責任者をしていますが、自分たちが提供するケアを世界に通じるレベルにしたいと目標を掲げていました。この経験から、目標を変えました。はぁとふるグループのケアを「世界で一番」にするまで、仕事に集中しようと改めて心に誓いました。たまたま、オリンピックということで、マスコミを始め、多くの方々の関心を集めた事例でした。しかし、その根底に流れているのは、その人にとって大切にしている事柄を一緒に守ろうということであり、「その人がその人らしい人生を全うされることを私たちはお手伝いします」という私たちの職員憲章にある考え方です。老人保健施設では、食事の時に喉を詰めやすい方がおられます。どうしてもお餅が食べたいとその方が言われたらどう対処すべきでしょうか? 私たちは、できるだけその方のご希望に添いたいと思います。ご家族に連絡し、アクシデントが起こらないような対策を工夫しながら、お餅を準備するでしょう。同じことです。彼は、イタリアのトリノでの次回のオリンピックでの金メダルに向けて、4年間のプログラムを消化し始めています。世界に通じるではなく、世界で一番を目指して、彼に負けないように努力を積み重ねていきたいと考えています。