自己管理による変化への対応と適合

 日本という国、そして、日本人には、欧米諸国やアジアの他の国々とは異なった特性を持っていると思います。「熱しやすく、さめやすい」などと表現されます。しかし、幾多の大きな節目をこれまでは実に素早く、そして、見事に乗り越えてきた民族であるとも思えます。たとえば、明治維新です。そして、第二次世界大戦での敗戦です。この二つの出来事は、歴史的にも、きわめて大きな転換点です。そこを通過するあり方を振り返ると日本人は、環境の変化に対する強い適応能力を持っていると評価できるのではないでしょうか。しかし、その資質が近年失われているのではないかと私は危惧しています。

 戦後、復興に向けてのエネルギーがうまくまとまり、最終的には世界一の金持ち国になったのは、つい10年ほど前です。その後、頂点を極めた経済力も不動産価値の下落とともに崩れ、いわゆる「バブル経済の崩壊」という事態を招くことになりました。右肩上がりの経済状況ではなくなり、デフレ傾向となり、不況が始まり、今も続いています。大企業の倒産が相次ぎました。生き残った企業でも、「リストラ」のかけ声で人員削減が進められています。その結果、失業率は史上最低を記録し、更新中です。成熟社会ということで、人口構造が変化し、また、世界の経済の情勢が変わり、そして、人々の価値観も昔と同じではなくなってきたというような、大きな変化に、日本社会が適応していないからと総括できます。変化に適合する体制が作られ、準備されていないのです。ことによると、いくつかの成功体験によって、日本人は危機意識を感じない脳天気な国民になってしまったからかもしれません。

 今や日本の国の財政は破綻しています。国債の発行額はすさまじい額に達しています。国債依存度は危険水域に入ったと言われています。予算構成を見てください。国の借金を自分の家計と照らし合わせると、どの程度危険な状態かが分かると思います。それでも、なお、国はその収拾に国家財政を投入しようとしています。本当に大丈夫でしょうか?

 これまで安心だと思っていた数々のシステムの安全神話は今や、信頼を失ってしまっています。銀行の預金は安全と言えるでしょうか? 私は最近、車上荒らしにあいました。自宅のガレージで運転席側の窓ガラスが割られ、トランクが開けられて、中のゴルフ道具などが盗まれました。「えらい目におうたんや」と友人たちに話すと、みんな口々に自分の体験などを語るではありませんか。こうした荒っぽい事件がそんなに日常的な出来事とは思っていなかった私は、改めて、安全な国ではなくなってきたのだと感じました。新聞の社会面では凶悪な犯罪が報道されています。何か不気味な事件が増えているようにも感じます。日本の安全神話は過去のものとなりました。

 教育はどうでしょう? 学校は子供たちを安心して任せることのできる教育機関でしょうか? 教育現場には、質の高い教職員がそろっているでしょうか?

 このテーマは、医療とよく似ています。安心してかかれる病院や診療所があるでしょうか? 医師や看護師は、みんな身体を任せるほどの信頼を置くに足る資質を備えているでしょうか? 医療機関の経営者としては頭の痛い課題です。

 ともかく、人任せにはできない時代です。この時代を乗り切る方法は二つでしょう。一つは「自衛の手段を確立すること」です。私は、自分の身体は自分で守らねばという思いが強くなってきました。仕事の忙しさで運動不足になっていると思い、できるだけ歩くように、動くことに努めています。ゴルフでもできるだけ乗り物を利用せず、歩いています。あっちこっちへと散らばる球を追いかけて歩くのはくたびれますが、運動した実感を身体に感じるのは気持ちよいものです。身体だけではなく、安全も財産も家族もみんな、自分自身で守る方法を少し考える時期かもしれません。

 二つ目は、「信頼に足る専門家を捜し、関係を持つように努力すること」です。いくら自分で解決すると言っても、所詮、素人の守備範囲はしれたものです。どんな分野でも、頼りになる専門家をどれくらい周囲に持つことができるか、これからは問われる時代となるでしょう。ともかく、危機意識を持って、これからの時代をどのように生きていくか、各人が自分で対策を考え実行するしか、乗り切る方策はない気がしています。うまく相談相手を捜し、不安を解消しながら、自分でも正しい知識を仕入れて、有効な対策を講じるという「自己管理」を進めないと、誰も助けてはくれない時代と認識した方が良さそうですね。