親父が死んだ

 2002年7月15日夏休みを控えた7月第3週の月曜日の朝、はぁとふるグループはいつもの活動を開始していた。

 島田病院
    入院 2階(急性期病床)34人
        4階(結核病床)66人
         外来(午前診) 来院患者数265人
 八尾はぁとふる病院
   
  入院 2階(介護保険病床)55人
        3階(医療保険病床)54人
        外来(午前診) 来院患者数82人
        通所リハビリテーション 16人
 老人保健施設「悠々亭」
  
 入所 99人
    通所リハビリテーション 44人

 

 そして、この日、午後2時45分 「親父が死んだ」

 92歳だった。

 はぁとふるグループの創業者である。

 自宅で、子や孫たちに見守られ、

 一人ひとりに、心に残る一言を投げかけて、

 微笑みながら「ありがとう」と繰り返し、遠くに旅立った。

 事業を興し、毎日好きな魚釣りができる人生を見事に果たして、

 枕元では、姉が準備した親父の好きなベートーベンが静かに流れていた。

 その一週間前には、家族とともにバーベキューを楽しんだ。

 驚くほどの食欲を見せた。

 隣のベッドでは、亭主の異変をうまく把握できない母が横になっていた。

 連れ添って、60年目の夏である。

 私は、周囲の気遣いをよそに、いつものように午後の外来診療を行った。

 これからの「はぁとふるグループ」の使命を改めて考えた。

 果たす責任を噛みしめた。

 

 2002年7月15日 創業者は逝った。

 2002年7月15日 「親父が死んだ」