日本の医療が危ない

 奈良県の町立病院で1週間予定日を過ぎ、入院して陣痛促進剤を受けた妊婦が、深夜に意識がなくなり痙攣を起こしました。担当医はしばらく見守ったものの、事態が深刻であると判断し、転送を決意し、受け入れの医療機関を探します。しかし、18の施設から断られ、最終的に60km離れた大阪府の国立循環器病センターへ運ばれました。帝王切開で子どもは無事に誕生しましたが、母親は一週間後に亡くなります。悲しい出来事です。

 新聞では、「6時間放置」だどか、「受け入れ拒否」などと診療にミスがあったことが規定事実であるかのような活字が踊りました。受け入れを打診された大阪市内のある病院の院長さんは私に、『奈良で痩痙攣を起こしている妊婦がいて、治療できる施設を探しているという連絡が夜中にあったのは事実ですが、一晩に2件の帝王切開が重なってバタバタしていて、とても重症の妊婦さんを受け入れる体制ではなかったので、事情を説明してお断りを入れました。それなのに、新聞には受け入れ『拒否』と書いてある。それじゃまるで受け入れできるのに、意図的に断ったみたいじゃないですか」と憤慨されていました。

 マスメディアはこの出来事を「事件」と捉えていますが、私は事件性があるかどうか分からない段階で、「事件」としてしまう構造に問題があると感じています。いずれにしても、この悲劇にそれぞれの立場でさまざまな感想を持たれると思います。ただ、どのような感想も正しい情報に基づかない限り、有用な意見とはなりません。そこで、私なりに、何が起こったのか情報を集め、その上でこうした悲劇が何故起こったのか、そして、同様のことが二度と起こらないためにどんな課題があるのかを考えてみようと思い立ちました。

 私の調べた範囲でのこの出来事は以下のようなものです。もちろんこれが真実かどうかは、新聞報道が真実かどうか分からないのと同様に確実ではありません。しかし、一つの見方ではあると思います。

 患者さんは、妊娠41週の32歳の妊婦で、平成18年8月7日午前中にO病院に入院し、薬により分娩を起こす治療を受けます。夕刻に陳痛が始まりますが、午前O時、頭痛を訴えて失神します。しかし、痛みに対する反射は残っていました。この病院には常勤の産科医師は一人で、県立医大から週に2日、当直と外来診療のために非常勤医師の派遣を受けており、この日はその派遣医が担当していました。彼は、異常事態に対して、内科の当直医に相談します。しかし、痛みに対する反応があるのでもう少し経過を見ることになります。午葡0時半、痙攣発作が出現します。血圧が200mmHgと上がっており、妊娠中毒症の子癇による痙攣と判断し対処すると共に、常勤の産婦人科部長に連絡します。午前1時37分には部長が到着し、以後二人で治療にあたりますが、状態は改善しません。そこで、午前1時50分、母体搬送の決断を下し、奈良医大へ電話連絡します。頭部CTは、1)放射線技師がいないこと、2)CT室が遠いこと、3)移動による子癇の重積発作の危険性、4)それによる胎児への悪影響を考慮し、選択せず、高次医療機関への転送を優先したということです。午前2時30分には産婦人科部長が家族に状況を説明します。家族から「ベビーはあきらめるので、なんとか母体をたすけてほしい。ICUだけの病院でもいい」と発言があり、新生児に対する集中治療施設を持たない病院にも搬送先の候補を拡大して探します。担当医は当直室(仮眠室)から電話で探したということです。その間呼吸困難となり、内科医が挿管しますが、その後自発呼吸も回復します。午前4時30分、国立循環器病センターが受け入れOKとなり、直ちに救急車で搬送します。午前6時、「右脳混合型基底核出血」と診断がつき、出血塊を体外へ誘導する「脳室ドレナージ」と「帝王切開」を実施し、男児を出産しますが、約1週間後の8月16日に亡くなります。

 新聞報道から受けていたイメージと同じでしょうか?私は、「担当医は、仮眠室で寝ていた」という報道より、この流れの方がよく理解できます。彼は、どんな気持ちで転送先を探す電話をかけていたのかと、自分がまだ医師になって数年の時期、頼まれて当直のアルバイトをしていたときのことを思い出しながら想像して、息苦しいような悲しい気持ちになります。

 不幸なことに、この患者さんに発生した脳内での出血は、通常でも救命することが難しいものだと脳神経外科の先生から聞きました。産科の医師が複数いるだけではなく、放射線技師も当直しており、CTが安全に撮影でき、複数の脳神経外科医がいて、麻酔医も準備できており、開頭手術と帝王切開ができる機械と看護などの人員が深夜にもかかわらず揃っており、新生児と母体両方の集中治療が可能な施設であっても、彼女を救うことは困難であったことになります。

 いくら医学技術が進歩しても、妊娠・出産にはリスクが伴います。すべてのお産に万全の体制を組むことはできないとすれば、いざ異常事態という時の対応をシステム化することが重要になると思います。県立医大の関連施設で起こった事態に、母体である県立医大病院が対応できなかったことは攻められても仕方のないことで、「満床」の中身が、すべて医大病院でなければならない症例ばかりであったかどうか、の検証は必要でしょう。また、近畿大学奈良病院や天理よろず相談所病院には搬送依頼がなされなかったことは、学閥の壁の可能性も感じます。そして、基本的に、こうした重症例に対応できる妊産婦と新生児専門の救命救急センターである「総合周産期母子医療センター」が、全国39都道府県には整備されているのですが、奈良を含めて8県にはない状況を放置してきた行政には、きわめて重大な責任があると考えます。

 この出来事に対して、奈良県産婦人科医会は、「○病院の対応に間題はなかった」という声明を出しました。それに対して、あるアナウンサーは、「こんな事では私たちは奈良県の産婦人科にお産をまかせる事はできません」と発言しました。しかし、事態はもっと深刻であることを知るべきです。産科の診療は土俵際まで追い詰められています。受け入れても結果が悪ければ、責任を問われ、訴訟となれば被害者救済の観点から温情判決となって、多額の賠償金が請求されるような事例が続くと、現場の士気は低下します。危険な症例は避ける「防衛医療」が幅をきかすことになηます。ある程度人員も設備も整った施設にこれまで以上に患者さんが集中します。その施設に勤務する医師は、ますます勤務が過重となり、バーンアウトや医療事故が心配な状況となります。そして、訴訟が続くようになると、病院は産科を閉じますし、勤務医は退職して開業することになります。こうした現場の状況を知った若い医師たちは、産科・小児科といった診療科を敬遠します。つまり、自分の住む地域でお産のできる状況ではなくなってきているのです。

 書店には「医療崩壊」というタイトルの本が並んでいます。私は患者さん、つまり国民が「売らんかな」の姿勢で医療者たたきを続けるマスメディアの偏った報道に乗り、医療界と対立した構図を持ち続ける限り、崩壊の道は止まることがないと思っています。この事態を収拾するには、お互いが並列になり同じ立場で目標に向かって手をつなぐ以外にはないのです。医療は、科学ではありますが、1+ =2となるほど、論理的なものではありません。同じ病気に対して、同じ治療をしても、同じ結果が出るとは限らない性格を持っています。その「不確実性」を理解した上で、不幸な事例を一つでも減らしていくための共同作業を、患者である国民と医療者が一緒に実行していくことが、この国の医療を持続させる唯一の方法だと感じています。