世界で二番が似合う国 −世界一を目指すには−

 今年はオリンピックイヤーです。オリンピック発祥の地ギリシャのアテネで開催されます。今回で夏の大会は28回を数えます。8月13日から29日までの17日間、28種の競技に各種の種目があり、それぞれで熱い勝負が繰り広げられることと思います。

 そもそも、古代オリンピックは神をたたえる祭典の一環として行われ、第一回は紀元前776年でした。何と、2,800年前という途方もない歴史です。当時の会場はゼウス神の聖地オリンピア、陸上競技を主体とした男子だけの競技会でした。メダルはなく月桂樹の冠が勝者の印。しかし、その名誉は高く、勝者は一生生活に困ることはなかったと言います。今回のオリンピックでもこうした故事に習い、陸上の砲丸投げはアテネの五輪スタジアムではなく、この地で行われます。

 サッカーのワールドカップもそうですが、オリンピックは4年に一度開催されます。これは、古代オリンピックも同じでした。毎年開かれるのではない国際大会ということが、さまざまなドラマを生んできました。

 1980年モスクワで開かれたオリンピ ックでは、アメリカのカーター大統領がソビエト連邦のアフガニスタン侵攻に抗議してこの大会へのボイコットを表明し、他の西側諸国にも同調を求めました。結局、日本を含めて50ヶ国が参加しない寂しい大会となりました。この決断に泣いた選手もいます。出場資格を得るために努力してきた選手すべてが影響を受けましたが、中でもこの時期が競技選手としてもっとも成熟した最高のタイミングであったプレイヤーにとっては、大変な事態です。

 ともかく、3000年近くにわたって、スポーツを通して交流する機会を育んできたということは間違いのない事実です。これほど長く催しが継続されるということは、スポーツには何か人々の心をとらえる要素が含まれているに違いありません。たとえば、陸上のトラック競技を考えてみましょう。要するに、「かけっこ」です。「用意、ドン」という合図で一斉にゴールに向かって走り出し、早さを競います。この単純な競走が人々の興奮を呼びます。それは何千年と歴史が積み上げられても変わらない普遍的な価値を持っているのでしょう。それは、社会が情報化など複雑な仕組みを持つようになっても、また、地域、人種、宗教などの違いがあっても、すべての「人間」に備わった共通の心情ではないかと思います。強いものへの憧れ・賛美、勝負の持つ厳しさと意外性、などスポーツの持つ魅力はさまざまに想定できます。

 そのオリンピックに私も付いていくことになりました。日本のシンクロナイズドスイミングの応援です。金メダルが期待されている立花・武田ペアもナショナルチームの役半数の選手も大阪にある井村シンクロチームで育った選手たちです。彼女たちの指導に当たってきたのが井村雅代コーチです。オリンピックチームのヘッドコーチを務めています。彼女から依頼を受けて、大阪で合宿や練習中に選手に何か異変があれば連絡があり、相談に乗ってきました。また、クラブの若い選手たちの健康管理やトレーニングの指導も島田病院で請け負っています。スポーツ選手の診療や健康管理を行う医師などの技術者にとって、現場での選手の動きを知ることは大切です。時には考えもしなかった動作があることを目の当たりにします。そこでは私たちの予想を越えた負荷がかかっています。そうした動きや負担に耐える身体になるような治療体系を作り上げるには実際の活動を実感しなければならないのです。テレビで応援はしていても、直接見る機会のなかったシンクロですが、こうした関係で現場に訪れることが多くなりました。しかし、前回のシドニーオリンピックの時はどうしても時間がとれず現地に向かうことができず、残念な思いをしました。そこで今回、病院の管理者や医師をはじめスタッフの皆さんにご協力いただいて、出張できることになりました。

 彼ら世界で戦う人たちは、一般では思いもよらぬ発想が出てきます。ある時、井村コーチは私を捕まえてこう言いました。

「先生、世界で2番が似合う国ってイヤと思えへん?」

「どういう意味や?」

「だってね。私たち、世界選手権で一番になったんよ。それが、次の大会で二番になったら周りが何て言うと思う?『ロシアはこんな振り付けや、フランスチームはこんな技を取り入れてる、もっとよそのチームから学ばな、勝てんで』って、本気でコーチの私にアドバイスする人がいてるんよ。一番は私らやねんから、向こうが聞きに来るのは分かるけど、何で今からよそのチームの勉強せなあかんのん? せやから、いつまで経っても一番になられへんねん」

 彼女の主張は明快です。自分たちが先頭であるという自覚とプライドが「世界で一番」を競わせる原動力なのでしょう。このことはスポーツの世界だけの話しではない気がします。歴史を振り返れば、私たちの国日本の近代史は、明治維新後の急速な西洋化、そして、敗戦に続く進駐軍支配、アメリカ型民主主義の導入、経済復興への努力と、外国を目標とする活動に終始してきた歴史でもあります。いつしか、何かを目標とする以外自分たちが何をすればよいのか自分自身で考える力を失ってしまったのかもしれません。実際、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と持て囃されて経済大国になった途端、バブル経済の崩壊を招き、一流国にとどまることはできていません。彼女の指摘は、二番として、一番を捜しその良いところを真似したり改良したりする方法でしか前へ進むことができない日本人の姿を強烈にあぶり出します。

 シンクロ競技が開かれる期間、オリンピックに湧くアテネの街で彼女たちの真価の問われる演技を息を詰めて見守ると同時に、新しいものに挑戦し、作り上げる日本や自分自身を捜してみようと考えています。皆さんも競技だけでなく、この催しを機会に、世界や日本のこと、そして、次の世代のことなど考えてみませんか?