信頼と敬愛の対象

 年末年始は、私にとって大切な時期です。比較的長く仕事を離れ、英気を養うとともに、新しい年を迎え、これまでを振り返り、これからの計画をじっくりと考えることができるからです。そこで、お気に入りのところは、タイのバンコクです。友人がいて、ゴルフを一緒に遊んでくれるし、何より物価が安く、そして、食べ物が美味しい(というか、口に合う)ということで、今年も元旦をバンコクで迎えました。

 そして、正月2日、何となく町の様子がいつもと違うと思いつつ、売られている新聞を見ると、一面になにやら高貴な方の大きな写真が掲載されています。その方はプミポン国王の実姉のカラヤニ王女でした。病気療養中のところ、バンコク市内の病院で逝去されたというニュースでした。

 記事には、この日から15日間喪に服し、公的機関や学校などで掲揚する国旗を半旗にすることの他、国民は黒い服を着るようにという指示も載せられていました。さらに、計画されている「お祭り」的な催しの開催を自粛し、娯楽色の強い番組を追悼番組に変更するとも書かれていました。ただ、どのような催しが「お祭り」的なのかは主催者の自己判断で行うと記されていました。それにより、例えば、日本でもおなじみのタイ式ボクシング「ムエタイ」は1月16日まで興行を取りやめていますし、観光客に人気の王宮の一般公開は停止し、エメラルド寺院のライトアップはなくなり、一時的に閉鎖されました。予定されていたゴルフのトーナメントも中止になりました。

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 タイでは、国王そして王室への敬愛は、日常的な生活の中にも強く感じられます。映画館では国旗が映り、国歌が流されます。観客は全員立って唱和し、敬意を払います。無神経で失礼な態度の外国人には厳しい対応があるとも聞きます。町では多くの人が胸にエンブレムが付いた黄色いポロシャツを着ています。黄色いリボンやゴムの腕輪をしている人もよく見かけます。黄色は王室カラーでシンボルとして身につけることが国王への尊敬を表すことになるからです。タイ国民にとっての国王の存在の大きさが実感として伝わります。

 今から20年ほど前、経済発展を進めたチャーチャイ政権時代、汚職が横行し、インフレも進行、結果的に貧富の差が拡大して社会不安が増大したとき、軍部によるクーデターが起こり、陸軍は強引に首相を出しました。民主化の流れに逆行するこの動きに、大きな国民運動が起こります。大規模な集会などの抗議行動に対して、軍は発砲し、暴動となります。1992年の「5月の流血事件」です。それをまとめたのが現国王プミポン国王です。民主化運動のリーダーと軍の幹部の双方を王宮に呼び、両者の和解と協力体制確立を要請します。それで、一気に問題は解決し、民主選挙が実施され民主主義国家として歩むことになります。この出来事でも、タイ国民の国王への信頼と敬愛の深さが分かります。

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 昨年、私たちの介護老人保健施設「悠々亭」への天皇皇后両陛下の行幸啓がありました。今となっては大変だった準備や当日の緊張を懐かしく思い出しますが、日を追うごとに、本当に名誉で光栄なことなのだという思いが強まります。身近に天皇皇后両陛下に接することのできる機会を得て、両陛下の形容しがたいオーラというか、気品と親しみやすく暖かいお人柄を肌で感じることができました。その自分自身の印象があるために、これまで以上にタイの人々の国王への態度が理解できるようになったと思います。2006年9月、15年前と同じような構図で、巧みな経済政策を推し進め、絶大な権力を誇るタクシン首相が軍部によるクーデターで国を追われます。そして、国王がクーデターの首謀者に会見することで、事態は終息に向かいます。

 政治にどれ程、王室が関わることが適切なのか、私には分かりませんが、どうも、タイ国民は自国にどのような異変が起こっても最後には国王が何とかしてくれると信じ切っているような気がしてなりません。世界中で、さまざまな意見の相違や宗教や歴史上の問題、そして、利害が絡んでの紛争など、人と人が争う姿があります。タイで過ごすうちに、そうしたことが何だかとても愚かなことだと改めて感じるようになります。何かを単純に信じて生きることは、よく生きるための基本であり、大切なことだと私は思いました。また、のんびりしたタイの空気に触れ、自然に手を合わせて挨拶を交わし、自分の中に単純に信じるものを見つけ大事にしようと思っています。