日本人の魂

 外来診療ではさまざまな患者さんが来られます。イギリスから英語の講師としてこられて間もないチャールズさんは子供たちと遊んでいて足を滑らせ膝を痛めて来院されました。彼はたどたどしい日本語で話すので、なかなか情報が取れません。仕方なくつたない英語を使うことになります。英国人の日本語と日本人の英語が飛び交います。少し英語が通じると分かると、急に早口で話されて困ることもあります。言葉で苦労するたびに診療がコミュニケーションによって成り立っていることがよく理解できます。

 何度かの診療で仲良くなって、いろんな質問をしました。「よく日本に来ることを決めたね」と言うと、「日本のことをまったく知らない時に赴任を勧められた。その時には日本独特の生活があって、排他的な環境もあり、外人の自分はもっと戸惑うかと思った。しかし、インターネットなどで情報を集めたので、大丈夫だろうと決断した」とおっしゃいます。そこで、どんなイメージを抱いていたのか尋ねました。「日本人は普段、着物を着ており、家にはいる時には履き物を脱ぎ、畳の上に正座している。食事は、刺身や寿司と魚ばかりで肉はあまり食べない」という程度の認識しかなかったそうです。それを聞くと、外国の方にとっての日本のイメージは江戸時代のもののようですね。

 しかし、来日してみると看板や案内には英語の表記が多いし、マクドナルド(発音は違うが)やケンタッキーフライドチキン、スターバックスのコーヒーは街のあちこちにありますし、盛り場ではイギリスのパブやアイリッシュバーまであります。ロンドンとそんなに違わない生活も可能で、驚いたというのです。そして、こうした日本ができあがっていったわけを尋ねられたのです。西洋化の現象が世界共通に起こっているが、この日本の景色が短期間にできたことには固有の背景もあると考えました。

 江戸時代、日本は長い鎖国政策が続きました。その間、日本の美が追求され、日本の暮らし、日本の心が熟成されていきました。僅かに長崎の出島だけが異国の文化が入る窓口でした。西洋医学の情報もここから入り「蘭学」と呼ばれました。そして、幕末、ペリーの来航から一気に明治維新へと向かいます。岩倉具視を団長とする総勢63名の視察団が2年の歳月をかけて欧米を巡ります。進んだ欧米文化に比べて、日本を含めてのアジアの後進性を痛感します。彼らの進言を受け入れ、政府は政治・経済・財政・教育・医療などあらゆる分野で急速な欧米化を進めるのです。脱亜入欧です。ちょんまげは切られ、着物は洋服に、下駄や草履は靴に変わります。肉食が普及し乳製品も嫌わなくなるのです。何というドラマティックな変化でしょう。

 そして、殖産興業・富国強兵から軍事国家へと暴走をし、最終的に昭和20年の敗戦を迎えることになります。占領下では進駐軍によるアメリカ型統治が始まります。憲法が変わり、民主主義が導入されます。一方で知識人の間では左翼思想が広まります。いずれも外来思想です。日本固有の文化はいつの間にか片隅に追いやられてしまいます。こうして日本は、ある意味で、国際社会に追いつくために、意図的に自分たちの文化を追いやりました。それは西洋に比べて劣っているという政府の認識から生まれた「西洋化の推進」でした。

 診察室では、彼が「映画『ラストサムライ』を観た。あれが武士というものか?」と話しかけてきました。映画を観ていなかったのでその時に話すことはできなかったのですが、後にDVDで鑑賞しました。なるほど、分かりやすいストーリーで武士道を表現していると感じました。私自身の身体に、間違いなくこの理屈が流れていることを実感しました。西洋人よりもはるかに理解しやすいテーマだと思います。興味を持って、インターネットでこの映画に関する感想を捜して読んでみました。若い人たちは新鮮に受け止めていることが分かりました。しかし、それは西洋人の受け止めに近いものでもあるようでした。それは、私の最近の考えに響きました。

 私は最近の日本人が何を拠り所としているかふと不安になることがあります。大きな出来事やアクシデントに出会い、ダメージを受けた時、その精神的な傷を癒すには、安心できる深く安定した場所・考えが必要だと思います。その基盤が弱くなってきている気がしてならないのです。したがって、外からの攻撃に脆い体質となっている感じです。ふわふわと浮かびながら、厳しい毎日を過ごしているという偏ったバランスの上で生活しているようです。何とも居心地が悪く、落ち着かない印象を受けてしまいます。それは、一言で言えば「潔さの欠如」ではないかと思います。「高い志を立てて、ともかく一心不乱にその目標に向かって突き進む。それを拒むものに対して真っ向から排除するよう行動する。どうしても届かなければ、新たな目標を考える。」というシンプルな生き方をする人が少なくなりました。「『何がやりたい』、『何になりたい』と目標を掲げる前に、計算尽くで『何ができる』『何になれる』から方針を考え、一番楽に到達する近道を選択し、アクシデントが発生すると自分よりも先に他の原因を捜し、そこに責任を押しつけながら自分にとって有利な方向性を見つけようとする」そんな生き方が目に付きます。そして、若い世代がそうした選択をすることを大人は指摘するどころか、若いのによく考えていると賞賛するのを聞くこともあります。

 私は、外国の映画で「武士道」が取り上げられ、日本の若者たちがそれを目新しいものとしてとらえている現実を情けない思いで眺めています。自分たちの精神・魂の住処を着実に育てないと日本人としてのアイデンティティーは風前の灯火です。

 こんなことを書くようになったことは自分の年代もあるのかもしれません。高齢者ケアサービスの現場で見る身体的には確かに機能が低下されてこられた方々の、時に感じさせる「潔さ」や「強さ」を秘めた凛とした生きる姿勢に触れるたびに、これからの日本に一抹の不安を覚えるのは私だけでしょうか。