賢いことは良いことか?

 島田病院はスポーツ選手の診療が専門だということで、毎年、夏休み前になると、悲壮な表情でスポーツ整形外科を受診する中高生のスポーツ選手達が多くなってきます。この時期は、彼らにとって目標とする大きな大会が組まれています。それに向けて、チームの練習は激しさを増しています。そのために、体の不調を訴える選手も増えてくるからです。ある選手は、試合で使って欲しいと願っています。別の選手は、何としてでも勝ちたいと頑張っています。3年生達は、最後の試合に満足いく活躍がしたいと執念を燃やしています。指導者にとっても、大事な試合に良い成績を残そうと大変な時期となります。

 プロを目指したり、お金で実業団に入るような特殊な例を除いて、彼らの目的は非常にシンプルです。スポーツに縁のない方からすれば「バカみたい」と総括されそうですが、スポーツ選手にとって公式戦というのは特別の意味のあるものです。ことに、チーム競技の場合、自分が抜けることによってチーム全体や他のメンバーに迷惑がかかるという事情があります。余計に、なんとしてでも出場したいという心境となります。

 多くの場合、ご家族もチームの指導者も同じ気持ちで、どうにか本人の希望通りにさせてやりたいと言われます。それに呼応して、私たちも、どうにかして、彼らの希望を叶えてやりたいとさまざまな提案をします。目的を共有し、こうした協力体制ができあがれば、多少のリスクを伴う決断でも、何とかお勧めすることができます。つまり、骨に傷があったり、靱帯が切れていたりしても、テーピングなど外からの補強でカバーできる可能性があれば、ゴーサインを出すのです。

 しかし、中には、さめた反応をされるご家族がおられます。「そんなに無理してまで、試合に出てもしゃーないやンか。あんた、プロになれるわけないねんから」と、子供の前でおっしゃる例もあります。普段の努力を知っているチームの指導者としては、がっくりとなる反応です。しかし、親御さんがこのようなお気持ちでおられると強引に傷んだ身体を使う方針を立てることはできません。当方としても多少引いて、防御的な気持ちになります。無理に活動を勧めて、何か突発的なことが起こると対応が厄介となるからです。

 可哀想なのはご本人です。できるだけ、彼らの気持ちを尊重しようとしても一番近い関係の方から賛同が得られないのですから、悔しい思いをしているに違いありません。学校の指導者からも説得を続けてもらい、何とか選手自身の希望に沿う方法が取れないか、協議します。

 こうした反応を示される保護者の方が悪い人かといえば、そんなことはありません。彼らなりに、自分の子供の将来を案じ、心配しての行動なのです。逆に、医師の方が、出場したいと言われるスポーツ選手や周囲の声を無視して活動停止(禁止)を言い渡すこともよくある話です。これも、その担当医は、医師として、自分の責任においての決定をしています。いずれのケースも、悪意を持ってのものではありません。自己の倫理観からの良心にしたがっての判断です。責めることはできませんが、本人の満足・納得という観点から見れば、いささか辛いものということになります。

 こうした出来事は、医療においてだけではなく、日常生活の中でも多く見られます。リスクのある決断を止めようとするとき、「あなたのためを思って言ってるのよ」という言い方をしたりします。しかし、その発言が、本当に、相手の価値観に立脚したものかどうかは検証する必要があるように思います。時には、口では「あなたのため」と言いながら、実は相手のためではなく、自分の不安を消すため、つまり、自分のための判断である場合もあるからです。そして、こうした判断は、一般的に「賢い人」がすることが多い気がします。本来の賢さではなく、リスクを恐れ、責められる可能性を最小限とする優等生的な「賢い人」です。

 半分水で満たされたコップの話があります。「半分しか残っていない」ととる人と、「半分も残っている」と考える人がいます。悲観的なものの見方と楽観的な見方の対比です。50%の確率でうまくいくという場合に、半分は失敗すると思うのと同じです。ここで私が言う「賢い人」は、100%を求めます。そして、100でなければ、悪い方に考えてしまいます。60の成功より、40の失敗に目がいくのです。そのために挑戦することをしません。また、うまくいかない場合、自分以外のことに原因を見つけるのが大変上手です。こんな風に、みんなが賢くなってしまうと、つまらない世の中になる気がします。

 「痛いけれども、何とか動きたい」その気持ちから、リスクを侵してでも活動することを選択するのは「賢い人」がすることではないかもしれません。しかし、その決断をする中高生のスポーツ選手やそれを支えようとする周囲の方々を見ていると、実にさわやかな気持ちになります。そこには、見事に自立した精神があるように感じるからです。「アイシング忘れるなよ」「テーピング覚えてるな」「痛み止めは一日3個までやで」「あんまり痛くなってきたら、中断せーよ」などと、こまごまと注意事項を並べ、診察室を送り出します。出ていく彼らの後ろ姿に心からの激励を送りながら、無事を祈る毎日です。