アテネオリンピック行ってきました

 意外といっては失礼なのですが、今年のアテネでのオリンピックは日本人選手の活躍で盛り上がりました。「プレッシャーに押しつぶされ、勝負に弱い日本選手」というイメージを見事に吹き飛ばしてくれました。「勝って当たり前だ」と勝つことが前提と予測される環境の中で、柔道の野村選手、谷(旧姓:田村)選手は圧倒的な強さで金メダルを獲得しました。水泳の北島選手も見事でした。「チョー気持ちい一い」という一言は若者らしい勝利の雄叫びでした。その彼らに引っ張られるように、たくさんの選手がのびのびと戦い、素晴らしい成績を残してくれました。

 オリンピックの一つの魅力は、普段それほど報道に取り上げられない競技や選手にこの4年に一度スポットライトが当たることでもあります。それぞれの選手の出場や入賞までの過程がいつもより念入りに報道されます。それはどれ一つとってもドラマに満ちています。その情報を知って観戦すると、興奮や感動がさらに増していきます。オリンピックに引き続いて開かれているパラリンピックでは、障害を持っ方の超人的な運動能力が展開されます。人間の底知れぬ力を感じさせてくれます。健常者はもちろんのこと、同じような障害を持つ方にとってはあれだけのことが可能なのだと驚きと共に勇気を与える効果を持つに違いないと感じます。

 勝負に至るプロセスが面白いとはいっても、勝敗の行方は気になります。国対抗のメダル獲得数の比較などあまり意味がないと思いつつも、表彰式の真ん中は断然光り輝いて見えることも事実です。その真ん中を目指して熾烈な戦いです。その真剣さがまた見る方を刺激します。スポーツの醍醐味を本当に感じさせてくれるスポーツの祭典オリンピックです。そうした前半戦の戦いを日本で寝不足になりながら見ていた私でしたが、後半戦に応援団としてギリシャ入りすることになりました。

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 ギリシャはバルカン半島の先にあるエーゲ海に面した国です。美しいエーゲ海の島々はいくども名画の舞台となり、憧れの旅行地でもあります。EUに加盟しており、通貨は共通の「ユーロ」です。首都アテネではオリンピックの旗と共に「Welcome Home(お帰りなさい)」と書かれた旗が風にはためいています。何が帰ってきたのか一瞬戸惑いました。しかし、それが訪れる訪問客への歓迎ではなく、古代オリンピックの歴史をふまえて、アテネでの開催を祝う言葉であることに気付きました。

 市内はオリンピックー色です。多くのボランティアや大会関係者が揃いのポロシャツで活動しています。会期中は入場券をプラスティックのケースに入れて胸に下げている限り、公共交通機関は無料です。もともとヨーロッパの他の国と同じように、切符は改札や出ロでの回収はありません。購入した切符に自分で入場時刻を打ち込み、有効な切符となります。その切符を乗車中は保持することが義務づけられます。降りる時も誰も受け取りません。要らない切符を捨てる箱があるだけです。このシステムだと容易に無賃乗車が可能ということになります。しかし、車内に時に検札が回ることで‘ずる’がしにくくなっています。もしも有効な切符がないと恥ずかしい思いをする上に、正規の運賃からすれば倍以上の支払いを要求されるのです。人の配置を減らすための方策として、うまく人間の持つ良心を使っていると感心します。会場には地下鉄や連絡バスを乗り継いで向かいます。会場内では、提携スポンサーだけが出店を許されています。カードはVISA、飲料はコカコーラ、ビールはハイネケンという具合です。大会運営とその費用捻出の一端を垣間見る思いでした。

 こうした商業主義的なオリンピックの運営は、1984年のロサンジェルス大会から始まりました。組織委員会は委員長に実業家のピーター・ユベロス氏を任命したのです。やり手の彼はテレビ放映権を高額で販売します。その代わり、男子100b決勝などはテレビ局の都合でゴールデンアワーの放送となるよう競技日程も変更されます。また、多額のスポンサー料を徴収します。また五輪公式マークの使用権料を設定し、オリンピックをビジネスにしました。その結果、数百億円の黒字が出たと囁かれています。そ
れが、裏金が飛び交う激しい五輪誘致合戦となり、マスコミを騒がせる事件になっています。ユベロス氏はその後、その業績からかメジャーリーグのコミッショナーに就任しています。

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 さて、ギリシャの人たちは、オリンピックを含めて自分たちの国の歴史について、非常なプライドを持っていることを現地の方と話してみて強く感じました。経済力や軍事力は優れていても歴史の浅いアメリカのリーダーシップを快く思っていないことも私としては意外な印象でした。オリンピック大会に対する特別の思いとアメリカへの批判を込めて、冒頭に紹介した「Welcome Home」の旗が掲げられていたと後になって気付きました。

 確かに有名なアクロポリスの丘の上にある「パルテノン神殿」は15年の歳月をかけて紀元前432年に完成したと言いますから、何と2500年前です。その頃、日本は縄文時代です。アメリカの建国に際して、トマス・ジェファーソンらが起草した「アメリカ独立宣言」が発表されたのが1776年であることを思い出せば、この歴史の違いの大きさにあきれてしまいます。

 大きな国際大会の華やかな報道の後に、さまざまな思惑や事情が見え隠れすることを知るのも現地に入ったことによる収穫かもしれません。一つの出来事を一方向からだけ眺めるのではなく、違う視点があることを改めて教えてもらったオリンピックでした。