子どもの夢と大人の夢

 島田病院では、月に2回朝礼があります。連絡事項などのほか、毎回、部署単位で割り当てられた人が参加者に対して簡単なスピーチをすることになっています。人前で話すことの苦手なスタッフの方からは恐れられているのですが、聞く方にとっては毎回異なる話が聞けて楽しみにする人が多いようです。

 休日に行った旅先での話し、仕事の中で感じたこと、出張研修での感想を話す人もいます。管理者は立場上でしょう、読んだ本などから啓発的な内容の話しをする人が多いようにも思います。充分な下調べを感じさせるスピーチももちろんあります。

 そんな中で、中学2年生と3年生の二人の男の子を持つ看護師さんの話しが印象に残りました。彼女のお許しを得て、ご紹介したいと思います。

 長男の方が中学に入学したときに「中学生になったんやから、将来の夢・目標を持たないとアカンよ」と話したそうです。すると彼は「じゃあ、母さんの夢って何?」と切り替えされて言葉につまったというのです。

 「母さんの子どもの頃からの夢は看護師になることやったから、夢は叶ったよ」と言うと、「世の中のお母さんはみんな看護師やで。病院では働けへんけど、家では食事を作り、洗濯に掃除に、その他いろいろ家族の健康管理してるやん。母さんは家でも病院でも2倍も看護師できていいなぁ。で、次の夢って何?」とさらに突っ込まれて、 「母さんは毎日小さな目標は持っているけど、今の自分の夢はないなぁ。強いて言えば、あんたたちの夢が叶うことが母さんの夢になっているなぁ。そのために母さんのできることは何でもやろうって思っているよ。だからあんたたちも自分の夢が叶うように頑張りや」とまとめたそうです。

 お二人のお子さんともに野球が好きで、毎日練習するだけでなく、見るのも野球、ゲームも野球、新聞もスポーツ欄の野球、本も漫画も野球という生活だそうです。お兄ちゃんは、最近、さらに野球を続けて、甲子園を目指し、その後大学に行って社会の先生になると真剣に進路を考えるようになったということです。

 「俺は俺で夢を叶えるから、母さんも自分のための夢を持ちや。俺に期待されても困るし、俺の夢に乗っかかってくるなよ」と言われてしまい、お母さんとして、「どこまでできるか分かりませんが、少しずつ自立していく長男を頼もしく思っています」と感想を述べておられます。

 そして、聞いているみんなに「さぁ、どうしましょう。自分だけの夢なんて、この年で思いつきもしません。皆さんはいかがですか?」と呼びかけて、スピーチを終えました。
素敵なご家庭で、暖かい親子関係が育まれていることがしみじみと伝わるお話しだったのですが、彼女からの問いかけ、皆さんはいかがでしょうか? 夢をお持ちでしょうか? 社会や人のためではなく、家族のためというのでもない、まさに自分自身にとっての夢はお持ちでしょうか?

 無限の可能性を秘めた子どもたちに、「夢は何?」と問う時の「夢」と、大人にとって「これからの夢は?」と自問自答したときの「夢」は少し違った意味を含んで使っているのかもしれません。幼い子どもに、「将来何になりたい?」と尋ねるとします。小学校低学年の頃は「野球選手」だとか、「総理大臣」だとか、女の子なら「お姫さま」などと、とうてい達成できそうにもない夢を語るものでしょう。それが、少しずつ、良い意味でも悪い意味でも社会性が身につき始めると、現実的になってきます。そして、いよいよ、大人になってしまうと、「毎日ゴルフがしたい、エステに行きたい」、「おいしいものが食べたい」、「一日でも家事を休みたい」などと、生活感にあふれた夢を語るようになっていくのです。

 社会性を帯びること自体が問題ではないはずです。ただ生きているうちに、実現することの難しさを学びすぎて、簡単に夢を語ることができなくなってきたとすれば、情けなく悲しいことです。しかし、その一方で、少しでも楽しいことを夢見ることが、明日への活力となる場合があることを思えば、「難しいことはなし」という気になります。将来という時間軸をおいたとき、それを楽観的にみるか、悲観的に見るかの差なのかもしれません。そして、どうせ考えるなら、悲観的によりも楽観的に見る方がきっと生きやすいはずだと思うのです。

 子どもが目を輝かせて夢を語るとき、否定的なコメントが出そうになる自分がいるとすれば、人生の澱が身に付いてきた可能性や、人生を悲観的に捉える傾向が生まれていると自覚する必要があるかもしれませんね。私も、夢を語ることができる自分がいるか、探してみようと思っています。