これからの日本の医療体制

【現在の財政状況とその原因】

 日本の財政赤字はかなりなもので、危険水域に入っているといわれています。国と地方の借金である長期債務残高は、2005年3月末時点で、781兆円であり、1年前から80兆円増えています。一方、国内で1年間に新しく生みだされた生産物やサービスの金額の総和である国内総生産(GDP)は2004年で505兆円ですから、借金の総額はGDP比で150%を越えています。この数字を個人の家庭に置き換えて考えてみると、収入に比べて、返済不可能な大きな借金を抱えている状態と言えるでしょう。これからの生活が心配で、不安で、とても枕を高くして眠ることのできる状況ではありません。

 そもそも、どうしてこんな大きな借金が残ることになってしまったのでしょうか?それは、90年代に遡ります。80年代後半、株価や地価の上昇から資産価値が異常に膨張しました。いわゆる「バブル経済」です。個人はマンションやゴルフ会員権などの投資に走り、大半の企業は、金余り現象からの銀行によるアドバイスもあり、過大なまでの設備投資を行いました。それが90年代に入って「バブル経済」が崩壊すると、立派な本社ビルや工場、豪華な社員寮などがまったく意味のない不稼動資産になりました。借金の担保に入っている土地の価格は値下がりする上に、消費が冷え込み、本業部分での収益も上がりません。その結果、借入金返済ができず、その負担に耐えられない企業が続出しました。そこで、長引く不況に対して、政府は景気対策、積極財政策を打ち出し、92年以降、公共投資を軸とした「総合経済対策」が何度も実施されました。財政支出を増やして何とか経済を支え、巡り巡って、税収を確保し、国の財政状況を維持しようとしたのです。そのために毎年財源として国債を発行しました。しかしながら、この投資には期待した効果は全くなく、結果的にこのように財政赤字が拡大しました。

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【国家予算と社会保障】

 現在、一年間の国家予算の中で、予定として使うことになるお金である一般会計歳出を見ると、2005年で82兆円です。そのうち、税収で賄われるのは44兆円と見込まれています。差額のうち、34兆円はやはり公債発行で穴埋めしなければならない状況なのです。まさに借金を借金で埋める自転車操業ですね。その他収入の約4兆を足した48兆円が一般歳出として国が使うことのできる財源となります。

 実はそのうちの20兆円弱(40%強)が社会保障の費用として使われています。防衛 5兆円、文教・科学振興6兆円、公共事業 8兆円と比較して、いかに多いか分かります。2010年頃から、いわゆる団塊の世代が停年を迎えるようになります。本格的な高齢社会を迎えると、医療・福祉・年金とますます社会保障に関する需要が高まります。しかしながら、それを支えるには、少子化で人口は減少しますし、企業からの税収も80年代後半のような勢いを取り戻すことは期待できません。そこで、節約が叫ばれ、その矛先が「社会保障費用」中でも「医療費」に向けられているのが現実です。

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【医療現場の実際】

 医療現場で働いていて、患者さんやご家族のご期待に添えない状況があることを痛感するときがあります。外来診療をしていると、本当に多くの患者さんが来院されます。腰が痛くて動けないからと、9時には受付を済まされている患者さんが呼び入れられて診察室に入ってこられたのは11時を過ぎているようなことは、決して珍しいことではありません。たっぷりと時間を取って悠然と診療する欧米の医師のような日常は、夢のまた夢です。診療の結果、リハビリテーションの指示が出ても、なかなか担当の理学療法士が空きません。マンツーマンでの指導を受けるには再び1時間以上お待ちいただかねばならないこともあります。そうして、12時までに来られた患者さんの診療が3時過ぎまでかかることがあります。もちろん、その間休憩もなく、食事を摂る時間もありません。真面目に丁寧に説明の時間を取る医療者ほど、こうした診療の毎日で疲弊していく現実もあります。

 手術が8件も行われた日の深夜、次々となるナースコールに夜勤の看護師はてんてこ舞いです。かけずり回ってお世話をするのですが、中には「ナースコールを押しても全然反応してくれない。なんていい加減な病院なの!」と強く叱られることも起こります。ゆっくりとお話を伺い、暖かい人間的な対応をしたいと思う看護師ほど、現実の忙しさとのギャップで心理的に追いつめられる場合もあります。

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【これからの対策】

 始めにお話しした財政赤字の対策として、政府は社会保障費の削減をテーマとして掲げています。本当にそれが唯一絶対の方法なのでしょうか?入ってくる収入が低く抑えられる政策が出されると、医療機関は存続のためにかかる費用を節減する必要に迫られます。それは、最終的にはケアに当たる人を減らすことにつながります。それは、医療現場の現実を考えるときわめて危険な政策といわざるを得ません。

 楽に運営してきたところは、これまで通り、少ない人数でレベルの低いケアを続ければいいので、生き残るでしょう。犠牲となるのは、真面目に踏ん張る医療者であり、真剣にケアに取り組む医療機関です。医療安全のために費用をかけ、丁寧で心に届く説明を心がけている医療機関は、倒れてしまうか、こうしたサービスをしない決断を選択しなければならないのです。

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【終わりに】

 医療機関の経営者として愚痴を並べているだけなのかもしれません。しかし、現場で懸命に優れたケアに取り組もうとしている若者達が、さまざまな環境の中でやる気を失い、持っていた情熱をどこかにやってしまって、他の職業に就く例をたびたび見ると、この国の社会保障は、今大きな岐路に来ていると痛感します。ここで費用を惜しむことは、日本の社会保障を戻すことのできない綻びへと導くでしょう。どこから、どんな風に財源を引っ張り出すか、個人負担増加とともに、公的なお金の集め方と使い方をもう一度議論すべきと思っています。