日本の医療制度とこれからの社会保障

日本では、国民皆保険制度のもと、すべての国民が何らかの医療保険に加入し、医療行為を受ける時に、その診療費用の一部を給付される仕組みがあります。大きな手術などの高額療養では、一定限度額を超えた診療費用の給付も受けることができます。こうした保険制度がすべての国民をカバーしており、長い平均寿命や低い幼児の死亡率などという成果も上げており、総体として日本の医療保険制度は優れたものと世界的な評価を受けています。

 しかし、この制度も、いくつかの問題を抱えています。順調な経済成長の最中には、さほど問題とはならなかった財源の問題が一つです。高齢社会に向けて、このままでは現役世代の負担が増大しすぎて、制度として成り立たなくなるという予測があります。また、医療の質が客観的に見てどうか、という重要なポイントを指摘する人もいます。さらに、一定の成果を上げているのは制度のお陰というよりも、医師や看護師といった医療関係者の献身的な努力により支えられているだけで、実は今後の継続を約束できない危うい基盤に乗っているのではないか、という意見も耳にします。

 ここでは、いくつかの問題点をお示しして、一緒に解決法を考えてみたいと思います。

 日本の保険制度を利用する場合、治療にかかった費用は、レストランなどのように各医療機関が、または、診療に当たる個々の医師や技術者が、勝手に価格を設定できません。一つひとつの医療行為について、診療報酬制度のもと、一定の価格が決められており、「誰が」、「どこで」、「どのように」行っても、その行為の対価は変わりません。このことは、一見、公平のようですが、次のような矛盾も含んでいます。

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 例えば、「誰が」ということについては、ベテランでも新米でも、一つの手術に一つの値段ですから、技術の高い医師にとっては、自分の実力が正当に評価されていないという不満が残ります。「どのように」行ったかという点については、さらに大きな矛盾があります。一つの手術を手際よくきれいに短時間で実施すれば、出血も少なく、細菌に感染する可能性は低くなり、麻酔時間は短縮され、術後の痛みも軽くて済みます。その結果、無駄な輸血をせず、抗生物質も少なくて、麻酔費用も安く、鎮痛剤も使わなくてよいことになり、手術の費用は安くて、しかも手術の効果も期待できます。患者さんにとっては良いことずくめです。しかし、報酬の点からは、技術に対応する評価の方法がないために、担当した医師にとって高い技術を安く買われた印象が残ります。

 一方、技術的に劣る術者が同じ手術を行った場合はどうなるでしょう。技術が拙いために余計な出血を起こすことになり輸血が必要となります。時間がかかり、無駄な手順が重なると感染のリスクが高まり、結果的に多くの抗生物質を使いことになります。もたもたと進める手術では手際の悪さからなかなか先に進まず手術時間が長くなり、その分麻酔時間も延長します。こうした下手な技術の手術では痛みなどの術後のトラブルも多発しがちで、それに対する対応も行うことになります。こうして、たくさんの医療行為が重ねられ、満足のゆく成績も望めなくなってしまいますが、皮肉なことに、手許には報酬が多く残ることになるのです。実に不合理な話しです。これでは、高い技術に相応した報酬が約束される制度でないということは、医師が高い技術を磨く動機として、人道的で高邁な奉仕的精神に期待するしかないことになります。こうした矛盾を正そうと、平成14年の診療報酬改定から、経験のある医師が勤める医療機関で、定められた特定の手術について一定数以上の件数を行った場合には、そうでない施設で行うよりも高く請求できるというシステムを導入し始めました。ある程度慣れた施設での手術の方が、良い成果も期待できるというデータに基づいての制度設計です。少しずつですが、技術の高い医師に報われる制度に変革されている気がします。

 日本国内なら「どこで」行っても、同一の費用であるという制度では、都会と地方での不平等が生じます。安い材料費や人件費で運営される地域での医療行為と、いずれもが高くつく地域での診療が、対価としては同一になっているのです。介護保険では、都会における地域加算や過疎地における特別地域加算があり、介護報酬単位を換算する比率に加算を設けて対応するようになっていますが、医療保険ではまだ、導入されていません。

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 いずれにしても、これまでの制度の矛盾が少しずつでも解消される方向で動いていることは評価できると思います。

 また、診療報酬の請求の方式には「出来高払い制」と「定額制」があります。これまでの日本の診療の計算方式はほとんど「出来高払い制」を用いていました。これは、診療を行うときに、使った材料、用いた薬品、一つひとつの医療行為などを加算して、診療費用を割り出すやり方です。外来診療ですと、初めて診察を受けるとなると基本診療料として「初診料」があり、血液検査を受け(検体検査料)、レントゲンを撮り、診断がついて(エックス線診断料)、治療として、薬が処方され(処方料)、リハビリテーションを受ける(リハビリテーション料)と、それぞれの行為を足していって治療費を計算するのです。そのために、多くの検査をしてたくさんの薬を出す方が、売り上げは上がることになる制度です。「薬漬け」「検査漬け」と言われたことのある日本の医療はこうした制度の弊害から生まれました。その後、この制度の欠陥を補うように高齢者の医療などで「定額制」が取り入れられるようになりました。これは、一つの入院に対して、一日いくらという風に、どれだけ検査をして、薬を出してもいくらという一定の額を決めておくやり方です。この制度では、経営的な頭では、これまでと逆に、できるだけ検査や薬といった費用をかけない方が手許にお金が残る計算となります。

 厚生労働省は、「出来高払い制」から徐々に「定額制」の割合を増し、同じ成果を得るのに、効率的なケアのあり方を追求するよう求めています。こうした変化は、限られた資源の有効利用の観点から、きわめて重要になってきます。

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 日本は急速に高齢化が進んでいますし、2007年から人口そのものが減少し、税金を納める人間の絶対数が減っていきます。つまり、高齢化に伴い増大が予測される年金・医療・福祉といった社会保障費用に対して、それをまかなう財源が確保しにくい状況であることは明らかなのです。このままの制度では、これからの世代にとっての負担が増える一方で、社会の活力がなくなってしまうおそれがあります。

 では、どのような制度なら将来の不安がなくなるのでしょうか?支出は増えることが予測されるのに、収入は増えるどころか減ってしまうという環境では、選択肢はわずかしかありません。1)負担を抑える代わりに、これまでよりも社会サービスの範囲を縮小するか、2)負担は増えるのは覚悟で、これまで通りのサービス体制を維持するか、3)折衷案的に、負担を増やさず、効率化により、これまで通りのサービスができるよう工夫するか、この三つしかないでしょう。ことに、1)では、これまでは認められていた給付のうち、何を限定していくかという難しい課題に取り組むことになりますし、2)では、どの程度の負担を受け入れたら、どこまでのサービスが可能かを考えることになります、3)は虫のいい話しでもありますが、これが叶えられれば、一番望ましい姿かもしれません。

 こうした選択肢のうち、どれを選ぶかは、政治家の判断ではないと私は思っています。国民ひとり一人が自分たちの国の将来のあり方について、意見を述べ、責任を背負う覚悟を持って選択する必要があると感じています。子供達、そして、孫の世代に、悔いを残さない元気な国を作っていくために、その基礎となる社会保障のあり方を考えること、そして、自分たちの意見を主張することは、「人口減少」という建国以来初めて迎える大きな転機の時代に生きる私たちの義務ではないかと思っています。