老化によるぼけの話し

 年を取るという現象は生物すべてに起こります。老化を避け、その先にある死から逃れることのできる生物は一つとして存在しません。生まれおち、生を続けて、次第に老いていき、病に倒れて最後は死に至るという人の一生は多少の違いはあるにせよ、生きとし生けるもの全員に巡ってくる現実です。仏教ではこれを「生老病死」と人間の煩悩としてまとめました。避けることができず、受け入れるより仕方のないことだから煩悩ということなのでしょう。

 私も次第に年を重ね、親の死などさまざまな体験をすると、若い時に感じていた「老化」に違った印象を持つようになってきました。漠然とした想像の世界が俄然具体的になってきます。年寄りたちがこぼしていたことが、現実に自分の身体に起こってくるからです。目がかすみ、段差では足がひっかかりやすく、もたつくようになります。3階まで階段をあがると息も一緒に上がります。夜遅くまで起きていた日があるとその疲れがなかなか抜けません。身体が重くだるくて動くことが億劫になるのです。酒はめっきりと弱くなりました。調子に乗って飲み過ぎると、翌日ひどく堪えます。記憶力は減退しました。同じような症状が出始めた女房との会話は漫才の掛け合いのようになります。

 「あれはどこや?」「あれって何やノン」「あれ言うたらあれやないか」「ああ、あれやね」持ち出されたものが「あれ」とはあまりに違うことに愕然とします。でも、いったい「あれ」は何なのか、まだ思い出せないのですから始末に負えません。「まぁ、いつか思い出すやろ」と間抜けな会話が終わります。

 顔と名前がなかなか覚えられず、話しかけられてつじつまを合わせるのに苦労します。「どなたでしたかしら?」と優雅に聞ければいいのですが、分かっているふりをしてしまうと大変です。会話の間中、冷や汗ということになります。頼まれていた用事を忘れます。手帳に書いても、その手帳をすぐに置き忘れます。そして、どこに書いたか覚えていないで焦ることもあります。

 この物忘れは「ぼけ症状」の始まりではないかととても気になります。そこでいろいろと勉強してみました。記憶は「記銘(覚える)」、「保持(貯える)」、「追想・想起(想い出す)」の3段階から成り立ちます。記憶の過程を1)「記銘」機能により覚え込み、2)「保持」機能で維持し、3)「追想」機能によって思い出すという風に分けて考えるわけです。しかし、本人にどの程度の記憶障害があるかを評価しようとしても、現実に確認できるのは3)の追想機能だけです。覚えているかどうかは、思い出せるかどうかで測っていることになります。

 また、記憶の分類を、情報を処理し保持できる時間の長さによって行う方法もあります。情報を一時的に保持し意識的に操作することができる「短期記憶」とその後操作できない状態で長期間に貯蔵される「長期記憶」とに区分するものです。

 電話帳で調べた電話番号を記憶したとします。通常はかけ終えてしまえばもう覚えていません。無理に覚えておく必要がないので忘れていくのでしょう。忘れるということも大切な機能です。これが「短期記憶」です。しかし、その電話番号が重要である場合、頭の中で何度も反復し保持し続ける操作をしているとその情報は「長期記憶」となります。そうなると、必要な時に「短期記憶」に呼び出されて実際にその番号に電話することが可能となります。

 水泳や自転車などといった技能的な記憶も、一旦獲得すると簡単には忘れることがないのは、確実な情報として「長期記憶」として、整理され格納されているからです。久しぶりに泳ごうとすると手足が水の中での動きを思い出し、最初の時のように苦労せずに泳ぐことができるというわけです。「短期記憶」を「長期記憶」に変えて頭の中で整理され貯蔵する機能を保つためには、意図的に必要な情報についての変換を行わねばなりません。それを怠ると、必要な情報をため込むことができなくなり必要に応じて取り出し使うこともかなわなくなるのです。

 短期記憶を長期記憶に変える能力維持のために鍛える方法が大切なのは、加齢による場合も、疾患による痴呆症状でも同じことでしょう。電話番号など、試みに頭の中に閉じこめるよう、何度も「繰り返す」のは良い練習となります。先ほど例に上げた自転車、スキー、水泳といった身体活動や語学、習字などの頭脳的活動でも初心者が技能を覚えていく課程と同じです。何度も何度も頭の中で呪文のように唱えることが記憶の力を支えます。

 そして、生活上は、繰り返しの訓練がしやすいように、視聴覚の教材を準備します。そう言うと大変なことのように思いますが、要するに、よく目につくところに張り紙をしたり、テープに吹き込んだりビデオを撮ったり、さらに、すぐにメモできるようにさまざまなところに、神とペンを準備するといったような環境つくりです。

 物忘れが激しくなりなかなか覚えられないという事実をどのように受け止めるかがポイントとなります。その事実を認め、改善のために積極的な対応をするかどうかです。恥ずかしがってごまかしたり、年だとあきらめないことです。自分の状況を見極め、マイナス面が出ない工夫をしなければなりません。それも人からの強制ではなく、自分から主体的に活動するのです。つまり、本人による現状の正確な把握・理解・認識がスタートです。そして、具体的な対策立案・実行です。さらに、その成果を客観的に評価しましょう。

 私自身、自分の老化がどのように変化していくか、楽しもうと思っています。自分が意図して行う活動や努力・工夫により、自分の身体の中にどんな変化が生まれるのか、興味を持って観察し、味わうつもりです。それは、悪い習慣による反応も含まれています。時には夜更かししてみるのです。さて、どんな反応が生まれるでしょう?
また機会があれば、その結果をご報告したいと思います。