カナダ リハビリ視察ツアー

 9月の中旬の一週間、カナダ・アメリカのリハビリテーションの現場を見学に出かけてきました。カナダからアメリカに移動する前日に、ニューヨークで大変な出来事が起こりました。同時多発テロ事件です。現地の近くにいただけに周囲の動揺や衝撃の大きさは肌で感じました。テレビは終日事件の報道に終始していました。いっさいの通常の番組はストップです。空港は完全に機能を停止させ、多くの人がカナダに足止めです。アメリカ国内でも同様の処置が取られています。株式市場も閉鎖で、経済活動は麻痺した状態となりました。カナダでは、通常の勤務をしている人が多かったようですが、北米は、国境はあってもないのと同然ですから、仕事はかなり影響を受けていたと思われます。忙しく人が出入りしているのは航空会社や旅行業者のオフィスです。明日からの旅程がたちません。カナダ国内は移動できても、アメリカには入国できそうではありませんし、その後の移動の保証がありません。結局、トロントに滞在し続けることになりました。事件の当日は朝からトロント市内のサニーブルック大学にて、老年医学の教授であるフィッシャー先生から講義を受けていました。昼になってランチタイムの時、彼からそれまでの情報を聞きました。厳しい表情で「非常によく訓練されたテロリストたちによる組織的なテロだ」と彼は説明してくれました。テレビの情報は当たり前のことですが、全部英語ですから、半分以下しか理解できません。しかし、ずっと見ていると、少しずつつながってきます。今回の事件の副産物は英語の聞き取り能力が少し上がったことといえるかもしれません。

 後で、フィッシャー先生の娘さんはニューヨークにおられて、私たちに講義をしている時点では、安否の確認ができていなかったと聞かされました。しかし、日本からの聴講生である私たちにはそのようなそぶり一つ見せず、静かに、ご専門である「高齢者ケア」とその基本となる「人の尊厳を守ることの重要性」について、講義をしてくれました。娘さんがどれほど現場に近いところにお住まいだったのか、どれほどの危険性があったのか、詳しくは知りません。しかし、私たちに無用の心配をかけず、遠くから来たゲストが求めるものをきちんと提供するという責任感というものは、ずしんと応えました。

 生きているということはそれだけで辛いことだという言い方があります。医療者は人が悩み、傷ついた時に出番があります。そうした現場で働くことは、それだけの人の悲しみを背負う宿命を持っているともいえます。そのおかげで、自分自身を見つける機会を持つことができるし、人や人生についての深い考え方を持つ機会を得ることもできます。彼の応対を経験して、彼が医師としての日常の生活の中で、本当に自分自身を追い込んで鍛え上げた人だからこそ、可能となったもてなしではないかと思ったのです。

 いつも、思い通りにことが進み、いつも、自分の努力が努力した分、報われて、いつも、よい気分でおられることは滅多にありません。人が一人では生きていけないということは、それだけ、自分一人で解決できる事柄が少ないということでもあり、つきつめれば、それだけ悲しくて辛いことが多いということでもあります。全く理不尽としか思えない出来事も決して稀ではありません。それでも、生き続けることで、何かを学び、どこか成長していくのだと思います。大げさなようですが、人が人によって傷つくことより、人が人によって救われることが多いということを信じることが本当に大切なのだと、私は彼の言動をみて思いました。

 日本に戻るといつもの忙しい毎日が待っています。その忙しさにかまけて、じっくりと考え、取り組むべきことまで、あわただしく処理することの危険を思います。渡米の目的であるリハビリテーションの実践について、また、彼らから学ぶことができました。進歩のあまりの遅さにいらいらとしながらも、少しずつ実現に向けて動いていきたいと考えています。機会があれば、彼の講義の内容などについて、ご報告したいと思います。

 多くのテロの犠牲になった方々に心からの追悼を捧げながら、そして、人を信じることを素晴らしいと思える社会となることを祈って、この稿を終えたいと思います。