時代とともに変わる医療の役割

 戦後、日本の平均寿命は急激に伸び、今や世界一の長寿国となりました。この変化に関与した要因は一つではないでしょう。いくつもの要因がうまく作用し合って生まれた結果であろうと思います。終戦直後、死因で一番多いのは何だったと思われますか? 国民病と恐れられた「結核」です。図をご覧下さい。その結核は5年後にはすでに死因統計では4番目に下がり、その後次々と追い抜かれて(?)いきます。今、三大死因を呼ばれるものは、ガン、心臓病、脳卒中です。肺炎が死因となる例が多くなっているのは、高齢社会を反映していると言われています。

主要死因の年次推移

 さて、結核がこれほど急速に減ったのは何が原因だと思いますか?

 多くの方が、マイシンなどの結核に効く薬が拡がったためだとお考えになります。しかし、公衆衛生の観点では、薬の効果よりも栄養状態の改善が大きいということです。つまり、食べ物がないと抵抗力もないために、病気になりやすかったということです。薬よりも体力が大切なのです。

 このように、病気の側から健康対策を考えると、健康に害を与える要素をできるだけ取り除く方法を実行するのがベストだということになります。この考え方から政府では、医療費が上がって仕方が無いという財政面からの事情もあり、以前は「成人病」とまとめていた心臓病や脳卒中、糖尿病、腎臓病などを「生活習慣病」と呼び、毎日の生活習慣との関連を強調して、予防対策の浸透に努めています。かかってしまった人を治療するよりも予防対策にお金をつぎ込む方が安上がりであるということに気付いたのです。

 「すべての国民が健康で明るく元気に生活できる社会の実現」を基本理念として「健康日本21(21世紀における国民健康づくり運動)」を宣言しました。目標は、「壮年の死亡者数を減らし」「健康寿命を延ばすこと」です。そして、生活習慣対策として、1)栄養・食生活、2)身体活動・運動、3)休養・こころの健康づくり、4)タバコ、5)アルコールの項目で、同時に、疾病対策では、6)歯の健康、7)糖尿病、8)循環器病、9)ガンを上げて、数値目標を上げて対策の推進をうたっています。こうした流れから昨年7月には「健康増進法」が可決され、公的な建物などでの禁煙などこれまでよりも一歩進んだ健康施策が打ち出されています。

 こうした、病気の原因を何とかするという方法だけで、本当に人は健康になるのかと考える学者がいました。アーロン・アントノフスキーという医療社会学者です。彼はユダヤ系アメリカ人です。イスラエルにおいて、ナチの強制収容所にいたことのある人とない人の30年近くなった時点での健康状態を比較する調査を行いました。その結果、収容所経験者は29%が、未経験者の51%が健康であるという結論が出ました。仲間の研究者は収容所での過酷な体験は、やはりその後の人生に影響するという結論を導き論文をまとめました。しかし、彼は、あれだけの経験をした人の中に29%健康を保つ人がおられたことに着目します。彼らには、他の人にない「健康を維持・増進する何か」があるのではないかと考えたのです。その推論から、彼は健康を維持するために、病気にならないようにする観点だけでなく、もっと元気で健康となる要素を高める方策も加えるべきだと主張します。今では「健康生成論」として多くの支持を得る考えとなっています。

 たとえば、タバコです。タバコは確かに統計学的にガンの原因となり、循環器にも悪い影響を与えます。しかし、もし、タバコのお陰で生きる力が湧いて来るという人がいたら、簡単に「タバコは身体に悪いから止めなさい」というのが、健康対策となるのかということです。もちろん、周囲の方への副流煙は問題です。しかし、ご本人に限って見れば、どの方法がベターか、単純に割り切れないことも出てくる可能性があります。

 現代は価値観が多様化してきたといわれます。健康や人生に対する考えも、同一ではなくなりました。多くの方は、寝たきりになるのはイヤだといわれます。しかし、そうならないように今何をするのか、また、不幸にしてそうなったとすればそれからの自分をどうして欲しいと願うのか、考えておく必要があります。ただ、イヤだと漠然と思っていてもどうにもならないということです。しっかりと考え、そして、今できることは着実に行動しなければなりません。しかしながら、実行している人は少ないように思います。

 通り一遍の健康対策ではなく、本当に自分らしい人生を過ごすための自分だけの健康への努力を、私たち一人一人が責任を持って行う時代のように感じています。