日本の医療体制の危機

 前回は、「日本の医療が危ない」ということで、奈良県での妊婦の不幸な事例とその経過から、これからは医療を受ける側である患者(国民)と、提供する役割の医療者とが対立するのではなく、並列となり、共に最大の効果を上げるよう手を組んだ協働作業が必要だと主張しました。

 その後、報道によると、さらに事態がまずい方向に進んでいます。12月22日の毎日新聞です。

 「今年8月、入院中の妊婦のTさん(当時32歳)が転送先探しの難航の末、死亡する問題が起きた同県O病院が、 来年4月から産科を休診することが分かった。県南部(五條市・吉野郡3町8村)で分娩ができる医療施設はゼロになる。婦人科は継続する。病院側は『医師が辞めるわけではないが、十分な看護師、助産師を確保できず、リスクが大きいと判断した』と説明している。同病院が22日、休診を知らせる張り紙をした。21日夕に連絡を受けた県医務課のT課長は、『妊婦死亡の問題で医師に心労があるという話は聞いた。かかりつけの妊婦には、県立医大付属病院や民間クリニックを紹介する』」

 ついに、奈良南部では産科がゼロになりました。大学からの非常勤医の応援を受けながら、この公立病院では、常勤の産婦人科医が一人で頑張ってきました。今回の事例とその経過からの報道で診療中止を決断されました。そのご判断に心が痛みます。これがまさに地域の医療体制が崩壊していく過程です。

救急医療や小児科・産科の診療の現場は、病院勤務の医師の過重労働により支えられています。彼らの日常の勤務体制は一般の方からとても考えられないと思います。例えば、夜中にどれほどの急患に対応し、場合により緊急手術をこなしても、翌日の朝に外来診療があれば、ほとんど睡眠を取っていない状況で、担当しなければなりません。外来診療中にも、病棟の入院患者さんに異変があれば、その連絡が入り、対応を求められます。診療を終えても、入院患者さんの民間保険関係、介護保険など行政の認定関連など書類の山が積まれます。そして、委員会や管理者には管理の会議の出席があります。あっという間に、夕方になるのですが、翌日の手術の準備やご家族への説明が待っており、ようやく受け持ちの入院患者さんのもとへ顔を出すのは夜遅くなってからという具合です。いずれの要件も医師自身が動かなければ始まらない事柄です。しかも、その時に解決が求められるもので後回しにすることができません。しかも、誰かに代わってもらえる事項でもないのです。そうした代わりのない緊張続きの業務が次から次へと迫ってきて、こなさねばならないのです。

 さらに、義務化され、同時に選択が可能となった若い医師たちの卒後研修のシステムの変更は、大学からの医師派遣を困難としています。研修医たちは自分の将来を考え、臨床経験を積むことができる場所として大学ではなく、設備や指導体制の整った市中病院も選択するようになりました。これまで多くの医師を抱えていた大学から急に医師の数が減ったのです。そのため、派遣していた医師を大学に戻ってくるよう指示を出す医師の「引き上げ」という現象も相次いで起こりました。こうなると、病院に残った医師へさらに業務が集中することになります。それでも、何とか地域の医療を支えようと多くの医師が現場で努力をしていたのです。

 医師たちが、こうした激務をこなすことができる理由は一つだと思います。医療者としての「責任感」であり「使命感」です。単に生活のための費用を稼ぐ手段としては、あまりに割に合わない状況です。その疲れを癒してくれるのは、こうした努力を知ってくれている患者さんやご家族からの感謝や励ましです。医師の一言が患者さんやご家族にとって、重要で大きな影響を持つのと同様に、患者さんからの一言は大きな意義を持ちます。その協調関係が、壊れつつあるのが、今の医療現場ではないでしょうか。医療の不確実性により、稀に起こった不幸な事態が、すべて医師のミスであるように書き立てる報道にも乗り、患者さんやご家族は医師を責めます。また、接遇など治療と離れた場面でのクレームも増加しています。感謝ではなく、不平・不満・クレームが診療現場に充満している感じです。

 こうした事態が積み重なると、これまで耐えてきた勤務医の中から「もうダメだ」と悲痛な叫びが上がります。責任感や使命感だけでは、過酷な条件で働き続ける意欲を支える限界を越えてしまうのです。それが勤務医からの撤退、そして開業など別の就労形態を選ぶことになり、結果的には、診療の制限や中止につながってきています。「医療崩壊」を書いた虎ノ門病院の泌尿器科部長小松秀樹先生が「立ち去り型サボタージュ」と呼んだ現象です。

 そうなると、その機能を持つ残された基幹病院へますます診療の集中が起こり、その施設に勤務する医師の過重労働が強化される結果となります。そして、同じことが繰り返されるのです。全国のあちらこちらでこうしたことが発生しています。

 以上、これまで医療者の献身的努力によって支えられてきた日本の医療が少しずつ崩壊し、全体に及ぶ寸前であることをお示ししました。もはや、時間は残されていません。ギリギリの状態です。何とか、「治りたい患者側」と「治したい医療者」とが、手に手を取って解決への糸口をみつけ、再生への活動をしなければ、次世代へ引き継ぐことができないと思われます。厳しい話しとなりました。それでも、なお熱意を持って診療に励む仲間はたくさんいます。彼らのためにも、何らかの行動が必要と痛感しています。今後とも、ご理解の上、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。