当時、その一帯には「桃の木」が植えてあり、花の時期はとても美しかったと聞いています。
結核療養所には『桃園荘』という呼び名がありました。療養所は元学校校舎、運動場もありました。 運動会もあったし、患者さんは花や野菜を植えていました。