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2000.06.01
プチトマト 6月号
前回は介護保険ができた背景について、私なりの考え方を紹介しました。今回は、その制度の特徴について、お話ししたいと思います。
介護保険は今年の4月から始まりました。利用者の方から申請があると、介護保険の適用される施設では、会議を開き、入所、あるいは、退所の判定を行うことになっています。その判定会議で、施設長をしている高齢の医師の方が怒りくるって大声で怒鳴ったという話を聞きました。「医者である私が、この人は入所が必要だと言うとるじゃろ。家族や市会議員の方からも、依頼の電話をもらっとるんじゃ。困っておられると聞いとる。ワシの命令じゃ。入所させてあげろ。何でだめなんじゃ」みんな困って、顔を見合わせたと言います。制度の決まり事として、医師独自の判断では入所させることができなくなっているのです。この点は医療保険とは大きく違います。
医療保険では、入院が必要かどうかを決めるのは医師です。診察を担当した医師が診断の結果、入院が必要かどうかを判断します。どんな検査がいるのか、さらには、どんな治療法が最適なのかも同時に考え、実行します。最近では、インフォームド・コンセントの考え方が導入されて、多少は変わってきました。医師が十分に患者さんに状態を説明し、検査や治療の内容や特徴もお話しした上で、患者さんも理解・納得して、方針を決定する方法をとるところも増えてきました。しかし、まだすべての病院や診療所で、行われているわけではありません。
ともかく、医師は、入院に関しての権限が与えられています。今でも、ことに国立病院などでは、入院が決まると、「入院許可」というはんこが押されることがあります。入院には医師の許可が要るわけです。このやり方は、良い医師が運用すれば、非常にうまく働きます。逆に、悪い医師ばかりだと、社会にとって効率的でなく、利用者にとってもありがたくない制度になる危険性もあります。良い医師というのは、自分自身のため、利益のためではなく、患者さんやご家族のためを第一に思って、専門家としての判断をする医師です。また、そうした判断をするときに、経済効率も考慮に入れようとします。悪い医師とは、自分の利益や研究のためという私心を持って判断したり、社会的な背景を理解できないで行動する医師です。時には、ポケットにつっこまれる現金によって動く医師すらいます。利益ばかり考えた「儲け主義」の医師や病院の話はよく耳にします。でも、税金で運用されている公立病院でも、天下りの院長がはっきりとした経営方針を持たず、しっかりとした運営をしていないで、赤字体質のままであるのも、同じように問題だと思います。ともかく、現在の医療保険制度がうまく運用されるためには、実際に現場で大きな権限を持つ医師の姿勢が非常に大切となります。彼らが倫理的に正しく、また、経済効率よく判断し、行動するという条件がきちんと守られている限り、制度は、国民にとって、安心でき、税金や保険料が無駄遣いされず、良い制度になります。
介護保険はそうした医師の権限を認めていない制度です。それで、施設長の先生は怒ったのです。介護保険を受けるためには、利用者自身が、自分がどれくらいの程度の介護が必要かという「介護度」を調べてもらうよう申請することから始まります。その「要介護認定」の結果から、利用できるサービスの種類や利用できる金額の限度が決まります。そこでは、医師個人の判断は、「要介護認定」の大切な資料ではありますが、医師自身が最終決定する権限があるわけではありません。これはかかりつけ医からの「意見書」とよばれています。これは、先にお話しした医療保険と決定的に違う点です。
実は、アメリカの「マネジド・ケア」というやり方は「管理医療」と訳されたりしていますが、これとよく似た制度です。保険会社が個人とも、医師とも契約しています。利用者はどの医師にかかるか指定されることになります。また、医師は、それぞれの病気について、ガイドラインが定められていて、どのような内容の医療を行うか、制限を設けてあります。自分が、これが一番と思っている治療法を勝手に行っても、保険会社はその治療がガイドラインからはずれていると費用を支払ってくれません。利用者にとっても、医師にとっても窮屈な制度です。しかし、医療費に関しては、強く増加を抑制する効果のある制度です。私は、日本の医療保険の世界でも、厚生省は、介護保険に続いて、アメリカのやり方を真似していくだろうと予測をしています。これまで絶対であった「医師の自由裁量権」は風前の灯火といった感じです。
さて、一方では、利用者の選択権というのもこの介護保険制度の特徴の一つです。「お任せ医療」という言葉があったように、これまで、ケアを受ける側は、ケアを提供する側に対して受け身でした。医師に言われれば、素直にその通りを聞き入れていたという面があります。また、これまでの福祉の世界では「措置制度」といって、行政が個人の財政状況まで詳しく調べ、彼らの判断で特別養護老人ホームへの入所が決まっていました。どの施設にはいるのか、選ぶ権利はありませんし、ほとんどの地域で施設が不足していたために長い待機期間がありました。しかし、今度は、「要介護認定」の結果、その程度に応じたサービスを、どの施設や業者に、どんな内容のサービスやケアを依頼するか、自分で選択することができます。
そのためには、結構、勉強が必要です。いったい、うちのおばあちゃんはどのようなサービスをいくらで受けることができるのか? 自分の住んでいるこの地域では、どこが、どのようなサービスを行っているのか、知っていなければ、要領よく良質のサービスを選択することができません。なかなかこうした内容を個人が一人の力で調べるには限界があるために、相談に応じて、助言を行ったり、情報を提供するのが、「在宅介護支援センター」や「居宅介護支援事業所」です。地域のどこにそうした相談窓口があるか、調べておくことが勉強の第一歩かもしれません。
私は、この制度がうまくいくための最大の条件は、こうした利用者の学習ではないかと考えています。「お仕着せ」のサービスを「お任せ」で受けるのではなく、自分自身が調べて、自分も支払っている保険料の最大の利用方法を選択・決定していくのです。それによって、いい加減なサービスを適当に行っているところは経営が成り立たなくなるでしょう。誰も利用してくれなくなるからです。つまり、利用者が十分に制度を知り、提供機関の内容を判断して選択する姿勢を持てば、サービス提供機関やケアに当たる専門職種の人を鍛え、育てることになるでしょう。そのことは、結果的に制度そのものを成熟させていくことになるのだろうと考えています。
日本人は、税金や保険料といった「公的なお金」の使い道に無関心であったという批判があります。優れた為政者が高い見地から将来を見据えてその「公的なお金」の使い道を判断しているうちはうまくいくのですが、そんな人材を求めるのは、いわば「無い物ねだり」の気がします。自分自身や支持者の利権に縛られて、自由な行動をできない小粒の政治家ばかりのように思えてならないのです。そこで、国民自身が使い道についての意見を述べたり、あるいは、使い方についての監視を強めたりするような行動が必要なのかもしれません。少なくとも、介護保険の制度のもとでは、利用者にかなりの権利が保障されています。利用者と提供者のお互いの学習と努力によって、制度を国民自身に意義あるものに育てたいものだと強く思います。