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2024.08.01

日本の医学の流れ(2024.8)

 

 今月から新紙幣が発行されています。一万円札に渋沢栄一、五千円札に津田梅子、千円札に北里柴三郎と、それぞれ、財界、教育界、医学界で明治期に大きな業績を上げた人物の肖像が利用されています。
 江戸から明治の大きな変革は海外からの圧力に抗して起こり始めたものとは言え、政治、経済のみならず、文化、教育などあらゆる分野にすさまじい大きな変化を生むことになりました。

 

私にとっての関心は、やはり医学における変化です。幕末の戊辰戦争で敵味方の区別なく治療をしたのがウィリアム・ウィリス医師でした。日本人にとって、これまで経験したことのない銃創などの処置を鮮やかに対処し、それを目の当たりにした関係者に強い衝撃をもたらしたと言います。そのこともあってでしょう、明治政府は西洋医学を導入し、教育制度を整え、それまでの東洋医学を否定する立場を取ります。
ウィリスが進めたイギリス医学と、当時世界最先端だとされたドイツ医学のどちらを選択するかの議論の末、ドイツ医学の採用が正式に決定されました。1874(M7)年8月文部省から「医制」が出され、衛生行政機構を整備し、西洋医学に基づく医学教育が確立され、さらに医師開業免許制度ができるのです。この翌年の1875(M8)年には医師開業試験が始まり、さらに1883(M16)年には「医術開業試験規則及医師免許規則」が施行されます。これで医師となるには西洋医学を修めねばならなくなり、従来の漢方医はその職を奪われる形となりました。つまり日本の医学界は西洋医学一本となったのです。

 

こうした環境の中、熊本県小国町に生まれた北里柴三郎は熊本で医学に触れ、1874(M7)年に東京医学校(現・東京大学医学部)に入学し、在学中に予防医学を専門分野とすることを決意して、卒業後内務省衛生局に勤務します。患者さんへの医療を通して臨床から学ぼうとするイギリス医学ではなく、研究を重んじるドイツ医学を範とする当時の医学界です。彼は1885(M18)年にドイツ留学を命じられ、翌年ベルリン大学のコッホに指導を受け細菌学者として研究を重ね、破傷風菌培養から破傷風菌抗毒素を発見といった世界的な業績を上げるのです。
1892(M25)年に帰国して、細菌学の分野のみならず、医学教育への貢献として慶應義塾大学医学部の創設にも関与していますし、日本医師会などの医学団体の設立も行うなど、大きな功績を残しています。
ドイツ医学を選択した明治政府の方針に従った医学界ですが、その影響は今でも残っているのをご存じですか? 患者さんの診療記録のことを「カルテ」と呼ぶのはご存じでしょう。これはドイツ語なのですね。それ以外でも診療の現場では、入退院や死亡などといった用語で今でもドイツ語の単語が用いられたりしています。
そして、不本意にも全否定されたような漢方など東洋医学ですが、明治も終わりに近くなり、「医学理論は西洋医学が優れているが臨床に関しては漢方に優れた面が有る」(和田啓十郎著「医学の鉄槌」 1910<M43>)などという意見も出るようになって、1911(M44)年8月に「按摩術営業取締規則」及び「鍼術,灸術営業取締規則」が制定され、営業免許が与えられました。1920(T9)年「按摩術営業取締規則」の改正があり、柔道整復術という名前で、従前の骨接ぎ業者に施術が認可されたのです。

 

戦後、新憲法発布で各省令は失効し、新たに、1947(S22)年12月「あん摩・はり・きゅう、柔道整復術営業法」となり、施術が提供されました。柔道整復が単独で法制化されたのは1970(S45)年になります。この年「柔道整復師法」が可決成立したのです。さらに、1988(S63)には①修学三年制、②国家試験、③大臣免許の三点に関する改正があり、現在に至っています。

 

長々と幕末から明治、そして、現在に至る流れを見てきました。私がここで言いたいことは、ドイツ医学の研究重視の姿勢は一つの柱として重要であることは間違いありませんし、もちろん、異論ないのですが、もう一本の柱として患者さんの診療を通してその経験の積み重ねから何かを見いだそうとする臨床の立場も忘れてはならないということなのです。

 

私は骨、関節、筋肉という運動器に起こる問題を相手に医師として40年以上経験を積んできました。画像を頼りにして診断をして、その診断を元に治療計画を立てて、時には手術をお勧めし、実践してきました。多くの場合、リハビリのセラピストたちの協力を得て、症状を取るだけではなく、その方がしたい活動が継続して実践できるようなサポートを続けてきました。そうすると、東洋の教えが役に立つと思われる事例にいくつも出会うことになっています。
たとえば、古武術など東洋の伝統的な文化で強調される「丹田」の概念です。「丹田」は、場所としては、おへそより指3、4本分下のあたりで、身体の中心、核という意味になります。しかし、人体の解剖としてここですと指し示される臓器などが明らかに存在しているのではありません。「丹田」は、概念的な存在で、東洋医学では、気を作り出すための部位となります。この「丹田」が例えば、スポーツ選手の演技指導においても重要であることと同時に、腰痛治療におけるアドバイスにこの部への意識の集中をすると効果的であることも経験したのです。西洋医学で、そのことを説明するようになってきたのはつい最近のことです。
つまり、明治維新から150年以上を経過し、そろそろ、両者の融合というか、良いとこを合わせたような診療体系ができないものだろうかと夢想をしています。



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