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2022.05.01

ケネディ大統領のこと(2022.5)

 私は1951(昭和26)年生まれです。今年、71歳になります。今になって、時折、子供時分のことを思い出します。例えば、世界の放送史上画期的な初めての試みであるテレビの宇宙中継のことです。太平洋を越えて、情報が送られてくるという今では当たり前のことが不思議に思えたものです。それは、1963(昭和38)年11月23日のことでした。この歴史的な電波が海を越えて送られてくるという日に届いたニュースに、みんな凍り付きました。それはケネディ大統領暗殺の悲報だったのです。子供心に、恐ろしいことが起こったと感じたことを覚えています。銃弾に倒れる大統領、その横で、倒れた彼を守ろうとするジャクリーン夫人の姿が忘れられません。

 その後、人生の何かの折にジョン・フィッツジェラルド・ケネディJohn Fitzgerald Kennedy(JFK)が私の目前に登場してくることになります。スポーツ医学を学んだのは、師匠の市川先生からですが、彼は腰痛に対して、積極的に動かして治すという「ダイナミック運動療法」を提唱していました。弟子である私も、当然、腰痛診療に関心を抱きます。教科書では、腰痛を起こす疾患として、骨の異常が認められる診断名が並んでいます。加齢による背骨の変化は、誰にでも起こるというのに、「変形性脊椎症」という病名がついています。本当に、レントゲンに写っている変形が腰痛の原因なのだろうかと疑問が起こりました。そんなときに、「筋筋膜性疼痛症候群(myofascial pain syndrome:MPS)」という概念があることを知りました。
これを勉強している過程で、JFKが登場しました。彼は名門ケネディ家に生まれ、ハーバード大学卒業後海軍に入り、魚雷艇PT109の乗組員となり、1943年8月1日日本海軍の駆逐艦「天霧」に遭遇し、衝突します。彼も他の乗組員とともに海に投げ出されます。死者も出た中で彼は近くの小島まで泳ぎつくのです。まだ動けた彼は、この食べ物のない島から泳ぎ、他の島で食糧が確保し、一緒に遭難した仲間を救うのです。この話を雑誌「リーダーズ・ダイジェスト」が取り上げたことから、全米での知名度が各段に上がり、後の政界への進出の基盤となります。
同時に、この遭難事件でもともと持っていた腰痛が悪化します。そのため、複数回の手術を受けるのですが、改善しません。松葉杖が必要な姿は、決して家族以外には見せないようにしていたと言います。それほど辛い彼の痛みを解決したのがジャネット・トラベル(Janet G. Travell)医師です。彼女はニューヨークの内科医で、特定の苦痛を伴った筋肉の状態を局所麻酔薬を注射して治療する方法を提唱していました。そしてデイヴィッド・シモンズ(David G. Simons)博士とともに“Myofascial Pain and Dysfunction -The Trigger Point Manual-”を1983年6月にWilliams & Wilkinsから出版しています。
JFKは彼女に痛みを救ってもらったことが本当に嬉しかったのでしょう。大統領就任後は、彼女を私的な主治医としてホワイトハウスに招き入れ、生涯相談相手になってもらいました。
 

この著作は日本語訳として、1994(平成6)年11月にエンタプライズより刊行されています。痛みが筋肉に由来するという考え方は、運動療法の効果を説明するものでもあり、私の臨床での印象とマッチしました。
整形外科での診療は、骨の変化と症状を結びつけることが多いのですが、首・腰や手足の痛みは、かなりの割合で筋肉・筋膜などの骨以外の組織からのものと今では確信しています。それが故に、その組織を良い状態にするために、安静ではなく、動かすことは、とても重要な視点を考えています。ということで、現在の私の診療や病院の運営方針の基盤を決めることにもなった出会いでした。
 次にJFKが登場したのは、30歳代の若さで理事長・院長となり、運営や経営で悩んでいたときのことです。彼の大統領就任演説に触れ、心が揺すぶられました。こんな人たちと一緒に歩んで行けるように、何をすれば良いのか、立ち尽くしていた頭と身体が動き始めるきっかけになった言葉です。
就任演説はワシントンDCの連邦議会議事堂の石段で、1961(昭和36)年1月20日に行われています。彼は1917年生まれですから、44歳でした。初の20世紀生まれの大統領です。自分自身も新しい世代の一員であることを自覚し、その立場から同世代の人々に呼びかけています。
「あなたの国があなたのために何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい。」
“Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country.”
 
当時、管理者を務めてくれていた人たちは全員私より年上でしたし、そして、古くからの日本人の習性として、上位者は絶対的な存在であり、自由に意見を述べるという雰囲気はありませんでした。組織には明らかに問題が存在していると感じられるのに、誰もそれを口にしない。そんなもどかしさを感じている頃でした。もちろん、状況が分かったとしてもそれをどのように変えれば良いのか、まったく実績がない自分であることも自覚していました。その意味で、JFKのこの言葉は、私に勇気を与えてくれたと思っています。一人だけではない、みんなに手伝ってもらえば良いのだ、だから一緒に進むようにしようと心に誓うことができました。
その後、運動器ケアという概念を育てながら、みんなで進んできたのですが、職員にしても、患者さんにしても、「自立」しているかどうかが鍵になると考えるようになりました。そして、この自立を調べていて出会ったのが、また、JFKでした。

 

1960年代、アメリカでは反人種差別運動から、アメリカ合衆国市民(公民)として法律上平等な地位を獲得することを目的とした公民権運動(Civil Rights Movement)が盛り上がり、1963年8月28日にはワシントンD.C.で20万人以上の参加者を集めたワシントン大行進があり、そこでキング牧師の有名な演説もあり、1964年7月2日の公民権法(Civil Rights Act)制定につながります。この流れとともに、消費者が、生産においてはもちろんのこと、消費においても商品の値段・品質を吟味し、選択することができないでいることから消費者の権利が語られるようになっています。そこで、1962年にJFKは大統領として、消費者利益の保護に関する特別教書を出し、その中で、四つの権利を提示しています。
それは、1)安全である権利、2)知らされる権利、3)自由選択の権利、4)意見が反映される権利です。その後、フォード大統領が、5)消費者教育を受ける権利を加えています。
私はこれは、医療や介護においてもまったく同じだと驚きました。60年前に書かれたものに、まだ十分、追いついていないと思えるのです。
医療について、この消費者運動における権利を当てはめてみると、日本での医療は、安全は確保されてはいるものの、十分に情報を与えられ、意見が反映されて、治療方針を患者自身が選ぶまでには至っていないと思うのです。
まだまだ進まねばなりません。また、JFKと出会って何らかの方向性が見えるかもしれないなと楽しみにしています。



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