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2021.05.01
古代ギリシャで医学の祖と賞されるヒポクラテスは、「歩くことが最良の薬である」と言いました。彼が生まれたのは紀元前460年頃と言われていますから、今からおよそ2500年近く前の話です。そして、老化についての専門家であるロバート・バトラー(Robert. N. Butler)は、「運動をピルに詰め込めたら、多くの症状に効く万能薬になる」と語っています。彼は人種差別主義(レイシズム)やセクシズムに倣って、1969年に「エイジズム」という言葉を提唱したことで知られています。年寄りを型にはめ、結果として差別すること行為に異論を唱えました。
そして、アメリカスポーツ医学会は2007年から「Exercise is Medicine(EIM:運動はおくすりです)」と健康や予防・治療のために運動を普及させる活動を世界に広める国際プロジェクトを展開しています。
適度な運動が身体にいいことは、誰も反対することはないと思うのですが、「適度」と「運動」は十分に吟味されなければならないでしょう。つまり、どんな運動をどの程度行うかが鍵となると言うことです。
運動と言えば、服を着替えて、スポーツやヨガ、ジョギングといったように、何だかのルールややり方に従って行う身体活動だというイメージがありますね。そうした活動での主体は筋肉で、これが収縮することで、関節が動き目的とした活動になります。でも、人間が自主的に身体を動かすという運動は身体にかかる物理的な刺激全体からすれば、一つの形式にすぎないととらえる考え方もあります。たとえば、重力も身体にかかる物理的な刺激で、地球上のすべての生物はこの影響を受けて生存をしています。また、微小なレベルでは、血管の内側の細胞は、流れる血液の圧や捻れといった物理的な刺激を休むことなく受け続けていることになるのです。こうした身体の中で細胞や組織にかかる物理的な、力学的な刺激は、「メカニカルストレス」と総称されています。このストレスに対して、常に生きている身体は何らかの反応をしているのです。
運動もこのメカニカルストレスの一つであって、それを利用していい効果を生体に与えてやろうというのが、EIMの基本の考え方です。私が師事した故市川宣恭教授は、腰痛を体操で治すという「ダイナミック運動療法」を1980年初頭から提唱されています。痛い箇所があれば安静という通常の対処とはまったく違うものです。当初は一部のスポーツ選手・関係者や重いものを取り扱う会社などで、受け入れられましたが、大きな変化を生むものではありませんでした。しかし、今では、動かすことの重要性を語り、安静の弊害を説くのは、常識となってきました。
さて、私が市川先生から習った当時の運動のメリットは、あくまで体力面に関してのものでした。腰痛においては、体幹の柔軟性、筋力、筋持久力が強い負荷に打ち勝つ身体を作るという発想で、柔らかくしつつもトレーニングのように、鍛えるという方法を指導していました。
近年、それにプラスして、運動による効果が語られるようになってきました。それは、筋肉でも骨でも、先ほどのメカニカルストレスが加わったときに、細胞が反応して、役割を持った物質が放出されることが分かってきたのです。それらの物質は、体中に送られ、さまざまなメッセージを伝えるのです、その結果、運動が、そのメッセージを届ける物質を介して、老化による認知症、高血圧、糖尿病などの疾患に作用することや関節痛や身体の慢性痛にも効果があることがわかってきたのです。それが、運動がクスリになるというEIMの考え方につながります。
老化はすべての生物の宿命です。加齢により、人間の身体の構造は変化し、機能は低下します。しかし、その大きな流れを食い止めることはできないとしても、通常より早い変化や低下の速度を緩めたり、回復させたりする方法については、検討の余地が残されています。骨で起こる加齢による骨量・骨質の低下である骨粗鬆症と同様に、筋肉もサルコペニアという筋量・筋質の低下から起こる病態があります。筋力が低下し、転倒へとつながるものです。
健康な人が老化することだけではなく、病気があれば、その過程が後押しされてしまうことにもなりかねません。身体の動きが制限されれば、その状態に合わせた工夫をして、こうした構造の変化・機能の低下に対抗する手段を講じなければなりません。そして、身体活動によるメカニカルストレスを自分自身の身体にうまく作用させて、身体の中から、元気につながる物質を導き出すようにすれば良いのではないかと考えています。臨床医は、問題が出てきた方と接点が生まれ、仕事が始まるのが普通です。しかし、診察室で待ち受けるだけではなく、さらに、学問を突き詰め、その人が困った事態にならないよう、その個人の状態を正確に評価し、最適のプログラムが提供できるようになりたいと思っています。