読み物BOOKS
読み物BOOKS
2021.03.01
私の父は明治43(1910)年生まれでした。名古屋大学を卒業し、内科医となり、国民病とも呼ばれ、当時の一番の死因であった結核の診療を続け、療養所を設立しました。その彼は、戦後のアメリカから輸入された「民主主義」はお気に入りだったようで、「物事は民主的に決めなきゃならん。」と口癖のように言っていたのを覚えています。今になって、彼の言う「民主的」というのは、一体何だったんだろうと考えるようになっています。
イギリスの元首相ウィンストン・チャーチルは、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての政治体制を除けばだが、」という言葉を残しています。難しい言い回しで、通常は、これは逆説的表現であって、「民主主義こそが最良である」という意味だと説明されています。しかし、ここ最近の政治状況を見ていて、果たして本当に民主主義が最良の制度か、疑問に思うようにもなっています。そしてこの言葉は、彼の本音を表していて、民主主義が大きな問題を抱えていること、そして、その問題を解決することが自分にはできないという諦めと懺悔のような気持ちを表しているのではないかと考えるようになりました。
というのも、民主主義が広まった20世紀は戦争の世紀とも総括され、全世界で1億人以上の戦死者が生まれています。ユダヤ人に対する理不尽なホロコーストでは、500万人以上の大量虐殺がありましたが、これを指揮したナチスドイツのヒトラーは民主的な選挙で選ばれています。彼は、集団としての遺伝的質の向上や劣化防止を目指す政策論を支持し、障碍者をこの考えから切り捨て、強制的な断種手術を行っています。こうした政策は人道的視点から到底許せるものではありません。独裁制による弊害は分かりやすく語られますが、いわゆる民主的な手続きを踏んだとしても、こうした悲劇は容易に起こるということになります。
民主主義では、有権者が支持した代議士が選任され、その代議士が構成する議会において多数派を占める意見によって政治が動かされます。このような民主主義の制度で、常に、最善の決断が導かれるとは限らないわけです。
日本でも優性思想に基づき、1948(S23)年、戦前の国民優生法を改称し優生保護法が制定されています。遺伝性疾患についての断種手術の徹底が基本で、これが幾度も改正され、母胎保護の観点からの堕胎の制限の緩和から、「経済的理由」を目的とした中絶に範囲が拡大します。さらに、遺伝性以外の精神障害や知的障害のある人にも対象が拡大したのです。
こうした強制不妊手術は、一時、年間1000件以上でしたが、次第に減少し、1980年代にはほとんど行われなくなり、1996(H8)不良な子孫の出生防止にかかわる条項が削除され、優性思想がようやく排除されて名称も「母体保護法」となりました。
私の経験をお話ししたいと思います。私は、父から病院という組織を継承して、30歳代後半に責任者となりました。医師としてまだ一人前でない上に、経営に関して系統だった勉強もしたことのない私が多くのスタッフを預かる組織のトップとなってしまったのです。ともかく、目指したのは、自分が専門としている運動器の領域について、スタッフやその家族に信頼され、頼られる病院にしようということでした。それには、自分自身がその分野において、他者にも認められるレベルに到達しなければなりません。そこで毎日の診療を精一杯することはもちろんですが、その質向上の観点から、最新の情報を手に入れ、自分自身の業績をまとめて発表し評価を受け、意見をもらうために、学会などの研究会に積極的に参加するようにしました。
若手の二代目病院経営者の集まりにも出席し、経営についての知識を増やしていきました。そうして勉強しているうちに、自分たちの組織の運営について、深く考えるようになりました。自らの責任として、組織の方向性を自分が示し、率先することだと心に決めました。その時、自分の頭の中では、「良質の独裁」という言葉を使っていました。民主的ではないかもしれないが、未熟な組織が前進していくために、合議している暇などないと気負った気持ちでいたのでしょう。
そして、時が経ち、今組織は、「タテからヨコ」を合い言葉に上下ではなく、水平方向の管理を語るようになっています。この変化の鍵は、構成員の志が基盤でしょう。みんなで前進しようという意欲、そして計画を進めるための方法論の共有といった、一人ではなく、みんなが持つものが重要であるようと感じています。
ささやかな私の経験を当てはめれば、これから、どのような政治、あるいは統治の形態が選択されていくのか分かりませんが、良いものとなるための条件は、一人ひとりの構成員、つまり国民の意識がポイントになると思っています。自分自身に負荷がかかることは回避し、良いところだけを望むという姿勢からは、新しい仕組みは生まれることは期待できません。世論が、健全ではない多数派によって引っ張られてしまう危険性を、私はこれまでより強く感じるようになっています。治める側と国民がお互いに正確に情報をつかみ、判断し、それに基づいて、率直でかみ合った議論ができればいいなぁと夢想しています。