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2021.11.01

運動器の医師がワクチン接種について考えた(2021.11)

 

 私は骨・関節、筋肉、神経といった身体を動かすための器官である運動器について、それらに生じる痛みや使いつらさと言った悩みを伺い、仕事としてきました。若いときは、その解決方法の一つとしての手術を自ら行い、人を治しているという実感を得ていました。それが、組織の経営を担うことになって、しばらくしてから、手術をする医師はある程度確保できてきたことに気付くと同時に、意外とできていないことが見えるようにもなりました。
それは、手術を含め、診療や事業の運営を円滑に運ぶための組織の体制作りや、何よりも一緒に働く仲間を気持ちよく働いてもらえるように基盤を整備すること、そして、その仲間たちの生活の糧としての給与を安定的に支給し続けるために、事業の継続について、経営的視点を持たねばならないことなどです。
 そう考えて、メスを置き、外科医は卒業したのですが、運動器を診察するけれども、手術することはその専門家に委ねるという立場の人間を表現する言葉がないのです。試みに整形内科医と名付けてみましたが、自分自身、どうもすっきりとせず、今では、「元整形外科医です。」と紹介するようにしています。

 

 さて、そんな私ですが、今でも外来診療は続けており、患者さんのさまざまな悩みを伺い、一緒に解決のための方策を話し合っています。そんな日常で、びっくりすることが時々起こります。今回、驚いたのは、ワクチン接種について、意見を述べられた40歳代の女性のことでした。
 彼女は朝起きたときに腰痛があって、すぐに腰を伸ばせず、洗顔をしたり、トイレに行くのに、腰をかがめたままになっているということが気になって受診されました。時間がたって、動いているうちに、腰は伸びてくるとおっしゃって、夜、横になって休むときに、特に痛みのために眠れないことはないということでした。

 私自身としては、足のしびれや力の入らない感じ、また、排尿などへの影響といった他の気になる症状がないことを確認して、レントゲンチェックはするものの、おそらく、身体のメンテナンスを覚えていただければ、問題は解決すると判断して、その流れを説明しました。

 

 そうした話の中で、COVID-19に対するワクチン接種のことが話題になりました。そこで彼女は急に口調も改まった感じとなり、「ワクチン接種は問題ですよ。重大な副反応がいっぱい起こっているのに、ほとんど隠されていて、みんなそんなこと何も分かってへんで、アホみたいに打ちに行っているんやわ。」というのです。さすがに黙っておれず、「そりゃ、100%何もない予防接種はないと思うけど、そうしたマイナス面を上回るだけの値打ちがあるから、世界中でワクチンを打つように国も政策を進めているんやと思うで。」と反応しました。彼女は、「先生、何も知らんねんなぁ。あんな危ないもん、何で許しているか、私には理解できへん。これやから、困んねん。」と反論したのです。これには驚きました。
 どのような科学的根拠があって、彼女は、仮にも専門家の端くれである医師に、ワクチンの議論をしようというのでしょうか。
 実は、こうしたワクチン忌避という行動は、予防接種の発明以来続いているといわれています。しかし、その効果に関しては、天然痘やポリオがほとんど見られなくなったことからも明らかでしょう。
 ことに私はワクチン接種の個人を病気から守る「個人防御」の大切さとともに、集団での感染拡大を防ぐ「集団免疫」や予防接種を受けたくても受けられない人たちを感染症から守る「集団防御」といった「集団免疫効果」が、社会的にはことに重要ではないかと考えています。
妊婦や新生児、さらには何らかの理由で予防接種を受けられない人たちを感染から守る集団防御を達成するには、ほとんどすべての人が予防接種を受けることが必要となります。
 しかし、ワクチンの普及によって感染症による大規模な流行やそれによる死亡例があまり身近ではなくなってきたためでしょうか、ワクチン忌避の行動が目立ってきたように感じるのです。それが、先に述べた集団免疫効果がうまく確立しない要因となっているとすれば、決して無視できませんね。実際、世界保健機関(WHO)は2019年に「世界の健康に対する10の脅威」を発表していますが、その1つに「ワクチン忌避」を挙げているのです。麻疹(はしか)の患者数が2018年に300%の急増を示したことから、彼らが強い危機感を持っていることの証でもあります。

 ちなみに、彼らが取り上げた2019年の健康課題は次の10項目でした。
1.大気汚染と気候変動
2.非感染性疾患(NCDs:Non communicable diseases)
3.グローバルなインフルエンザ・パンデミック
4.脆弱な国の保健システムの強化
5.薬剤耐性 (AMR:Antimicrobial Resistance)
6.エボラや他の高脅威病原体
7.弱いプライマリヘルスケア
8.ワクチン接種への躊躇(ワクチン忌避)
9.デング熱
10.HIV
 
さて、ある集団でのワクチンの効果を考えてみます。その集団において、感染症に対する免疫を持っている人がいない状態で、感染が発生すると、それはどんどん広がって、結果的には集団のほとんどが感染してしまうことになります。何人かの免疫を持つ人がいる状態であれば、その感染は免疫を持っていない人だけの間に広がることになるでしょう。では、ほとんどの人が免疫を持っていればどうなるでしょうか。感染が出ても、周りに広がることはほとんどなくなるので、結果的に免疫を持っていない人を感染から守ることになりますね。これが集団免疫の概念となります。
 したがって、麻疹の流行を食い止めるために、医学的に接種できない人を守るためにも、打てる人は主体的にワクチン接種を行い、集団免疫が成立するように行動をとるべきではないかと私は考えています。

 しかし、どうして、ご紹介した彼女のように、ワクチンが危険極まりない代物で、それを打つ人はだまされており、真実を知らない愚かなものだと決めつけることができるのでしょうか。科学者への不信感や、科学そのものへ疑問を抱いておられるのかもしれません。ワクチン接種の義務化を迫るような国の姿勢に、個人の自由が脅かされるという不安を感じとられるのかもしれません。
でも、どうも彼女はそんな風ではありませんでした。政府や団体が国民から真実を隠そうと共謀しているというような話しぶりだったのです。謀略説を信じている人に対して、論理的な議論を持ちかけてもうまくいきません。最後は「そうですか、いろんな意見があるのですね。」と言いましたが、彼女は、救いがたいなぁと言う表情で診察室を後にしました。

 

 私が医師としてどう行動すべきか、考えてみました。少なくとも、「ワクチンは安全で有効だ」とただ漫然と伝えても、集団免疫獲得への後押しにはならない気がします。予防接種の歴史から、その効果、さらにはワクチンに含まれている成分の具体的な働きなど、ワクチンに関する事実を丁寧に知っていただく努力をするしかないのではないかと思っています。この文章も、その活動の一つと捉えていただければ幸いです。



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