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2019.01.01

横綱稀勢の里の引退を巡って考えたこと(2019.1)

 

 大相撲初場所において、この場所に進退をかけるとして出場していた横綱稀勢の里が初日から三連敗。その翌日、日本相撲協会は彼の現役引退と年寄「荒磯」の襲名を発表しました。まだ、32歳という若さですが、ケガが大きな影響を与えたのは間違いありません。
新横綱で臨んだ2017年3月の春場所13日目、日馬富士との対戦で左大胸筋と左上腕を負傷します。しかし、残り2日間を強行出場して賜杯をつかみ、大きな感動を呼びます。

 

この時、土俵から転がり落ちて顔をしかめる横綱を私は現場で目にしていました。そして、取り組み終了後、ちょうど勝負審判として土俵だまりにいた親方と電話で話しました。様子を聞かれたので、「上腕二頭筋という力こぶの筋肉の一部なら大丈夫でしょうが、大胸筋という脇を締める筋肉の損傷だとすると、彼の利き腕だけに、復帰は厳しいよ。」と答えたのを覚えています。

 

結局、翌場所から横綱としては最長となる8場所連続の休場となります。そして、昨年9月場所では9場所ぶりに15日間を取り切り、10勝というまずまずの成績を修め、復活の糸口をつかんだかに見えました。ところがその次の九州場所で、初日に結局優勝することになる貴景勝に敗れてからズルズルと四連敗し、途中休場。今場所がまさに正念場だったのです。
彼は会見で、「横綱として皆さんの期待に沿えないということには非常に悔いは残りますが、私の土俵人生において一片の悔いもございません」と心境を語り、同時に「けがをする前の自分に戻ることができなかった」と涙ながらに付け加えました。
それは17年間の土俵生活での信念を聞かれて、「絶対に逃げない。その気持ちです」と答えたことと無縁ではないはずです。彼の土俵での姿勢は、「まっすぐ当たって前に出る」ことに尽きます。まさしく「逃げない」信念の現れなのでしょう。それは、大ケガをしても休場せず、劇的な優勝を勝ち取ったことで幕を閉じたのかもしれません。
調子が回復しない中、もがきながら出直す道を歩み続けたことがよく分かります。私はスポーツ医学を専攻している立場から、彼の言葉は重く響きました。ケガを回復させてやることができなかったという無力から、医師として残念で申し訳ない気持ちになるのです。ただ、彼に本当の状況を説明し、理解してもらい、治療の選択肢を検討し、そのどれを選択するのか、彼の決定を横から支える存在がいたのかと疑問に思っています。
昔の相撲界と言えば、ケガしてもまともな治療はなかったと言います。そして、東洋医学の手法だけに頼っていた時期もありました。最近は、親方衆も力士たちも西洋医学のいいところも理解し、うまく使い分けている印象を私は持っていました。今回はどうだったのでしょう?

 

この場所、横綱の引退に加えて、五日目から大関 栃ノ心が、六日目から横綱 鶴竜が、七日目から好調の小結 御嶽海が休場となっています。せっかく盛り上がりを見せている大相撲人気に影響が出るのではと心配になる状況です。
力士のケガについては、1958年7月場所から年6場所制となり、力士のケガが増えました。そこで1972年1月場所から「公傷制度」が取り入れられました。当時、厳しい適用基準が定められていましたが、場所中の土俵上でのケガによる休場は、公傷として、番付をそのままで治療に当たることが許されていたのです。その後、「全治2ヶ月以上の診断書」の提出が条件となり、力士の中には公傷制度の適用を拡大する動きをするものもいたことで、2003年11月場所を最後に公傷制度が廃止されました。
大相撲を揺るがした八百長問題は、このケガへの協会の厳しい姿勢がその背景にあると指摘する人もいます。このスキャンダルからの大相撲新生委員会が2011年4月に相撲協会に提言した8項目の防止案に新たな公傷制度の創設が含まれていたのはこの辺りの事情が関連しているのでしょう。それでも、新たな制度はまだ創設されていません。
土俵に上がる力士たちの多くは関節に白いモノが巻かれています。大きな装具を付けて相撲を取っている力士もいます。大型化している力士たちは、相手での勝負とともに、ケガのリスクとも戦っているのだと思います。大相撲に、是非、スポーツ医学の委員会を立ち上げ、基本的なケガの防止対策と、万全の治療体制を整えてほしいと願っています。
 年寄荒磯を襲名した稀勢の里は「一生懸命に相撲を取る力士、けがに強い力士を育てたい」とも語っています。彼は自分の味わった無念をきっと後進指導にいかしてくれることと信じますが、一方で、協会も何らかの対策を講じるべきではないかと思いました。



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