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2019.07.01

「公と民」についての私たちの意識(2019.7)

 

「お上」という言い方があります。時代劇では、お上の意向と言えば、這いつくばって、逆らえないという場面が出てきたりします。黄門さまの印籠もそうかもしれません。明治になり、議会制民主主義が導入され、参政権もどんどん拡大されてきました。この時代に、「お上」だからと訳もなくへりくだることなど、ないはずなのに、現代でも庶民が政府や官僚などを「お上」として扱い、ただ従ってしまっている状況も残っている気がします。戦後制定された日本国憲法では「主権在民」と定められているにもかかわらずです。
庶民と政府や官僚との関係性は、もう少し上下ではなく、並行になるのが好ましいのではないかと個人的には思っています。

 

 私は、20年くらい前に社会医療研究所の岡田玲一郎氏が主宰する北米ツアーに参加して、カナダのオンタリオ州で医療の現場を見学したことがあります。
カナダでは、日本と同様に、メディケアと呼ばれる国民皆保険制度を採用しています。原則として税の財源からの負担で、患者は支払う必要がありません。もっとも、そのために消費税は15%です。ただ、歯科診療・外来での薬剤(入院中は無料)・リハビリなどは3割の個人負担が求められます。
イギリスの医療制度と同じで、日本のように自分で専門医を受診することはできません。地域の家庭医を受診して、その紹介が必要となります。ところが、これが簡単ではないのです。まず、家庭医の受診に予約が要ります。さらに、必要があれば専門医の紹介となります。この専門医の診察予約にたどり着くには、数ヶ月以上かかるのが一般的といわれています。そして、CTやMRIといった検査は台数が少なく、家庭医のところにも専門医のところにもないのが普通で、そのために検査の待ち期間が数ヶ月かかるという実情もありました。
病院というのはほとんどが公立で、政策によって、方針が決められていました。私が滞在していたとき、ちょうど選挙の時期で、税金の使い道が争点となっていました。病院の医師や看護師を増やして、急性期の治療の体制の充実を主張する候補者と、教育現場で、一人の教師が受け持つ生徒の数を減らすために、教員を増やすという方向性を述べる候補者が争っていると聞きました。税金を何に使うのか、それは、まさに州民の意向が政策に反映されるという選挙だったのです。
 税金の使い道という意味では、医療の現場で、電気や水道といった公共料金について、節約を求める院内の掲示があったので質問した時、その返答にも不意を突かれた思いがしました。彼らは、病院や学校、図書館といった公立の施設では、みんなが率先して不要な電気は消すし、ムダをしないようにしているというのです。彼らの理屈では、「自宅では、電気や水道料金は自分で支払うし、使い方も自分で決めることができる。しかし、公的な税金だからこそ、大切に使わねばならない。」という説明でした。

 日本ではどうでしょう? 会社のものなら雑に扱い、自宅では、節約に努めるし、ものを大切にするという傾向、ありませんか? この違いは、公的なお金の使い道に関する意識の違いだと、強く印象に残りました。

 

 さて、私は、民間の医療機関の経営者です。日本の医療はカナダと同様に、国民皆保険で、保険料と税金、そして、患者の自己負担によってまかなわれています。つまり医療費財源の8割は公的なお金と言えるでしょう。その使い道を、反省を含め、考えて見たいと思います。
 厚生行政では、医療費適正化をうたっています。ムダな医療費をなくすべきだという方針で、さまざまな仕組みが取り入れられています。
最近では、地域医療構想という考え方から、各地域の病床やその機能について、調査が入り、ことに、公立病院の役割が議論されるようになっています。なぜなら、公立病院というのは、民間医療機関が支えることの難しい山間へき地・離島などでの医療、救急・小児・周産期・災害・精神などの不採算・特殊部門の医療、がんや循環器病などの高度・先進医療、広域的な医師派遣の拠点としての機能などが求められています。そのために、財政的には、資本金や財産的基礎のための政府出資金、診療における赤字を補填するための運営費交付金・繰入金、さらには各種補助金が支払われています。2017(H.29)年には、8,008億円余りが支出されているのです。その上、国税としての法人税に、地方税としての事業税、不動産取得税、固定資産税はいずれも非課税です。そこで、本来の公立病院の役割に戻り、こうした税金の使い道の検討が始まっています。

 

医療機関にとって、一つひとつの医療行為の価格が定められている診療報酬は、死活問題となります。2年に一回改定が行われる医療関連と、3年に一回の介護報酬ともに、さまざまな議論で、改定内容が決定されていきます。最近では、高額の医薬品の開発で、この制度での議論も困難な状況です。検査を行い、薬を処方すれば、その分費用がかかります。診療側はそれが収入です。もし、窓口負担のない立場の方が、医学的な必要以上にたくさんの検査、薬を受けているとしたら、大きなムダです。長い入院も同じことです。
国民にとっては、窓口で支払う料金が上がるのは困ったことです。どこで、診療報酬が上がるのには反対を主張することになります。しかし、一方で、あまりに低く抑えすぎて、医療機関の経営が成り立たなくなり、需要に応えるだけの状況ではなくなると、これも大変な事態となります。
 どのような仕組みを確立していけば良いのでしょうか? 私はこの問題は「お上」が考えるというだけでは、解決への道が遠いと思っています。先のカナダの例のように、みんなが当事者意識を持って、より良い制度への議論をする必要があると感じているのです。
 評論家の宮崎正弘氏は渡部悦和氏と江崎道朗氏の対談『言ってはいけない!?国家論』(扶桑社)の書評の中で、次のように述べておられます。
「重要な議論を日本人が避けようとしてきたのではない。関心が薄いのだ。選挙で『あなたは何を基準に投票しましたか?』と世論調査をすれば『社会保障』『年金』『保険』『福祉』『教育』、そして『消費税』であり、防衛とか改憲とかを判定基準とする人たちのあまりの少なさに呆然となる。まるで中国とは正反対である。」

 

 私は医療・介護に従事しているので、どうしても社会保障に関心が向きますが、確かに、昨今の国際情勢、ことに極東における国家間の緊張状態を考えると、もう少し、国防、そして憲法に論点があるべきだという思いはします。
 ともかく、「お上」が決めた制度や仕組みについて、自分の立場での文句を付けることばかいするよりも、制度を決めていく過程で建設的な発言を能動的にするべきだというのが私の主張です。



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