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2011.12.01
江戸の末期、幕藩体制崩壊のきっかけは、1853年、アメリカ合衆国海軍のペリー提督率いる黒船艦隊の来航でしょう。当初の久里浜から幕府は江戸湾浦賀(神奈川県横須賀市浦賀)に誘導し、アメリカ合衆国大統領国書を受け取ります。有名な狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」は、「上等の緑茶を四杯飲んだだけで、夜眠れなくなる」という表向きの意味に、「わずか四杯の外国からの蒸気船で世間はこんなに騒がしくなっている」という意味をかけ、江戸庶民の驚きと激しく動く時代への予感が現れています。この出来事から明治維新までを「幕末」と呼び、開国や攘夷と、意見が分かれ、大きな岐路に立つことになります。
この黒船が日本に来た背景には世界、ことに西欧諸国の覇権争いの中での植民地獲得など、政治・経済的流れがあります。この歴史をひもとくことは、今話題のTTP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement)の議論にもつながるので、皆さんにも紹介したいと思います。
まず、覇権争いというのは、オリンピックの優勝を競うというような名誉をかけた正義のある戦いではないということです。それは、一言で言えば、「富」を得るために、他国を出し抜いたりおとしめたり、攻撃しても、自国を有利に導くドロドロした戦いです。あらゆる戦略を用い、成功したものだけが覇権の獲得につながります。その中心になるのが軍事であり、外交政策ということになり、貿易の条件は中でも「富」つまりお金に直結するため、非常に重要です。
当時、イギリスで起こった産業革命により西ヨーロッパ各国の工場には機械が導入され、工業化により大量生産が始まっています。その工業品の輸出先を求めて、西ヨーロッパ諸国はインドを中心に東南アジアと中国大陸の清国へと市場拡大を急いでいました。相手国に圧力をかけ、不平等な交易条件を結ぶことにより大きな富を生むことを知った彼らは、さらにそのおいしい相手国を求めて熾烈な植民地獲得競争を行っていきます。イギリスは清国との貿易の不均衡を正すため、つまり自国の儲けのために、植民地のインドで作られた「アヘン」を清国に輸出するのです。確かにそのおかげで大きな成果を上げるのですが、ドラッグを貿易に使ってまで有利に事を運ぼうとする姿勢にはジェントルマンのかけらも見えません。一方、アメリカでは、産業革命により東部を中心として紡績業が発展していました。この輸出相手国を探していたのですが、西ヨーロッパ諸国に先を越され、焦りがありました。
アジアに向かうために、大西洋を渡るにはイギリスの植民地を経由しなければならず、大きな市場となる中国(清国)に到達するため、また、ランプをともす鯨油のための太平洋での捕鯨を発展させるにも、航行の物資補給のための寄港地の確保も急務であったことも関連して太平洋航路の確立が急務となっていました。そのため、国内では、東から西に向け先住民であるインディアンたちを駆逐しながら、領土を拡張していきます。メキシコ領だったテキサスを併合し、さらにメキシコとの戦争に勝って、アリゾナ、カリフォルニア、コロラド、ニュー・メキシコなどを奪っていきます。こうした侵略は、未開の自分たちよりも劣る人種に文明を教えて教育するという彼らの「神によって与えられた明白な使命(Manifest Destiny)」にしたがって実施されています。そして、東と西を結ぶ動脈として大陸横断鉄道の建設を進めます。
日本へ来る前の1851年、ペリーは独自の基本計画を提出しており、そこで、「4隻の軍艦、内3隻が大型の蒸気軍艦で遠征を計画し、それを見せて近代国家の軍事力を誇示し、中国に対してと同様、日本人にも恐怖に訴える方が、友好に訴えるより多くの利点があるだろう。」と述べています。つまり、当時の西洋諸国のアジアの国に対する姿勢は基本的に「上から目線」であったことが分かります。当然、幕府との交渉においてもこうした高圧的な態度が続きます。アメリカ合衆国大統領親書を渡す相手として、浦賀奉行所与力では階級が低過ぎるとして預けることを拒否し、待機期間を短くするよう圧力をかけ、指示に従わない場合、兵を率いて上陸し、将軍に直接手渡しすると脅しをかけるのです。
この時、実際に第十二代将軍徳川家慶が病に伏せっており、老中は将軍が国務を遂行できないことを理由に一年の猶予を要求します。その後将軍家慶が死去し、家定が十三代将軍となりますが、病弱で国政を担えず、開国か、異国排斥の攘夷か、方向性を決めることができず国政は混乱します。その状況に乗じるかのように、ペリーは1年間待たずに半年で決断を迫るべく再度1854年1月、浦賀に来航し、結局、アメリカの開国要求を受け入れ「日米和親条約(神奈川条約)」を締結することになります。
開国され総領事となったタウンゼント・ハリスは通商条約の締結を日本側に要求します。その強い主張に大老井伊直弼は孝明天皇の勅許がないまま、アメリカ側に領事裁判権を認め、日本に関税自主権がないという不平等な条件での1858年7月、「日米修好通商条約」の締結に踏み切りました。これに引き続き、幕府はイギリス・フランス・オランダ・ロシアとも同様の条件で交易の条約を結びました。それが桜田門外の変での暗殺につながります。この不平等条約の解消には、明治の末期に日本が日清・日露戦争に勝利し、列強諸国からの評価が高まるまで待たねばなりませんでした。
さて、こうした歴史から何が見えてくるでしょうか? 今世界は、大変な時期に差し掛かっています。戦後、ソ連との冷戦を経て、アメリカの覇権が続き、ドルが基軸通貨として世界の経済の中心となっていました。しかし、1980年代、レーガン大統領が小さい政府の方針でレーガノミクスを推し進め、経済復興しますが、貿易赤字・財政赤字は拡大します。一時的に1990年代(クリントン時代)にITバブルにて双子の赤字は改善しますが、1999年ドルに対抗したアメリカ包囲網の一つとして、ユーロが発足します。そして、石油の取引からドルを閉め出しユーロにするとドル基軸通貨体制へ反旗を翻したフセインイラク大統領に対して、ブッシュ大統領は2003年3月イラク戦争を仕掛けます。それがさらに国内の財政状況を悪化させ、世界一の対外債務国・財政赤字国・貿易赤字国となるのです。
そして、今年の4月米格付け会社スタンダード・アンド・プアーズは米国の長期債務格付け見通しについて、巨額の財政赤字や今後の見通しから「安定的」を「ネガティブ(弱含み)」に引き下げたと発表します。5月末には米下院本会議では連邦政府の総債務残高の法定上限を2兆4060億ドル(約196兆円)引き上げ、16兆7000億ドルとする法案を否決し、具体的にデフォルト(債務不履行)の危機が現実のものとなります。ドルが紙切れになる恐れが眼前に迫ってきたわけです。
こうした一連の出来事の中で再選時期を控えたオバマ大統領は巻き返しに出ています。中国に対するにらみをきかせるためにオーストラリア北部(ダーウィン)に海兵隊を駐留させ、アジア太平洋地域におけるアメリカの存在価値を高め、中国を牽制しています。TPPは貿易に関しての関税障壁の撤廃だけではなく、環太平洋における軍事的な同盟体制も含んでおり、世界の覇権争いの中での戦略の一つであるという認識を忘れてはならないでしょう。その上で、日本としての判断を迫られていると考えねばならないのです。
争いを好まず、人の財布に手を突っ込むような行為を恥と知り、礼節を重んじ、人を信じることを、生活の第一義におく考え方ではこうした覇権争いの中で、翻弄されるのは目に見えています。はたして、どのような立場を取ればよいのか、日本に住む人は真剣に世界の中の日本という視点で考え、意見を述べ、行動すべき時ではないかと私は感じています。