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2011.04.01
あらためまして、今回の一連の災害に対し、心よりお見舞い申し上げます。いくつか印象に残っていることがあるので、それを記して私自身のまとめにしたいと思います。この小文が少しでも参考になり、最終的には復興につながればと願っています。
1.日本人の他者評価と自己評価
一つ目は「日本人というもの」についてです。お年寄りたちは(私も含めてかもしれません)、「この頃の若い者は、…」とよく小言を言いますし、だんだん言い疲れて、もはや口に出すことはなくなり、あきらめるようにただ首を振るだけになっている場合もあるでしょう。
しかし、今回の大震災の直後、大変な事態の中で、避難所に集まった方々は大きな悲しみを抱えながら集団での生活を、秩序を乱すことなく開始し運営されました。その姿に、海外メディアも驚嘆し、レポートが書かれました。アメリカでも同様な報道が相次ぎ出ています。彼らの場合、2005年8月のハリケーン「カトリーナ」に襲われたニューオーリンズで、被災した地域に起こった略奪の実例と対比させ、余計に調和を保ち冷静に行動する日本人の対処ぶりが際立って見えたのだろうと思います。
戦後の教育体制への批判などがあり、日本人の精神的土壌について危惧する意見も聞かれる昨今の風潮でしたが、確かに落ち着いて行動している被災された方々のお姿は、逆に、西日本に済む人たちへも勇気と自信を与えてくれたように感じます。きっと、この高潔さと称される日本人の気質は身体の奥で、遺伝子のように深く染みついて存在しているものなのでしょう。
その意味では、ダメージを受けたことは間違いがないのですが、日本人の精神的な復興に関しては何ら心配をしなくてもよいのかもしれません。これくらいのことでへこたれる柔な魂ではないと改めて確認するべきだと思います。
2.政府のあり方
それに引き替え、政府や東京電力など関係者たちのあわてぶりはあまり自慢できるものではなかったように思います。地震と津波による未曾有の被害に加えて、安全性が危惧されながらも高い技術力により安定していると総括されていた原子力発電所の事故による放射能漏れが発生し、制御できないのではという不安が膨らみました。
海外メディアはこの事態をある意味、日本人よりも深刻に捉えて、日本よりも原子力発電への依存度が高い(約80%)と言われるフランスでは政府が在留フランス人に退去を勧告し、大使館員を成田空港に派遣、チャーター機を準備してまで脱出をサポートしました。その他のEUの国々もまた、中国なども同様の対処をとっています。政府の判断と実行力が迅速で強いことになります。
その点、日本政府の避難勧告や指示は、いくぶん慎重であったように思います。あまり早期から大きな影響のある指示を発することには公的立場としてためらいがあったのだろうと想像します。それは当然の配慮でもあります。かといって、不測の事態に発展した場合、決断が遅きに逸すると責任問題が生じるわけで、そのタイミングや表現方法をどのように設定して発表するかということは、きわめて重大な判断となります。
いずれにしても、こうした事態ではあらゆる局面で「批判」が増えることが想定されます。おそらくは誰にもぶつけることのできない不安とストレスが、それぞれの関係者の中で増大する結果なのでしょう。人の判断が自分と少しでも異なるとつい批判してしまいます。しかし、批判は多くの場合生産的とはなりません。つまり、批判から何か新しいものが生まれることは少ないということです。そして批判はその当事者にダメージを与え、逆に、批判された側はその批判に対しての意見を感情的に繰り出すことになり、結果、不毛の議論に続く危険性もあります。
こういう苦しい状況にあったとしても、いやむしろこういう事態であるからこそ、批判を控え、周囲を信頼と愛情を持って眺めるという意識が必要ではないかと私自身は感じています。とは言っても、現場ではそうはいかないのでしょうね。
国の指揮を執る総理大臣や内閣の参謀の方々の行動を簡単には批判しないように、私自身は自戒しています。
3.天皇陛下のお言葉
このような状況の中、3月16日天皇陛下は東日本大震災に傷つく国民に向けてヴィデオメッセージを発信されています。そのお言葉の最後に次の一節があります。
「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。」
復興の道は決して簡単ではないでしょうが、みんなが力を合わせて一歩ずつ積み上げていくことが大切だと改めて感じました。危機に及んだ時の皇室からの提言の意義をしみじみ味わいました。
4.マスメディアの役割
実は、今回の報道の中で私がショックを受けたものがあります。それは、3月21日付の産経新聞に掲載されていた記事です。「病院に放置? 医師ら姿なく」という見出しで、避難指示の出た病院に自衛隊が到着すると、患者100人あまりが残されており、病院のスタッフが一人もいなかったというのです。記事は県の担当者が「病院職員がいないことはあり得ない。放棄ととられても仕方ない」と批判したことでまとめられています。
その後、この情報が間違いで、院長たちは警察の指示で避難し、病院に戻ることを許可されず、仕方なしに待機していたということが判明し、記事の内容について訂正が出るのですが、小さな扱いでしかなく、このことを読んだ方は最初の記事を見た方より明らかに少ないと思います。
今回、原発事故に対して現場で事態の収拾に当たっている東電の職員の方々、消防隊員、自衛隊員の行為に賞賛の声が出ています。我が身の危険を顧みず、地域住民ひいては日本という国の安全確保に全力を尽くす彼らの姿は尊く、使命感に燃えているようです。
一方で、私は、私たちの従事しているヘルスケアという仕事について考えました。ヘルスケア業務では、危険な感染性の病気に困る人を何とか治そうと努力することは日常にありふれた仕事の一部です。そこでは自らに感染するリスクがゼロではありません。十分な知識に基づく安全対策を徹底しても、何が起こるか分からないのが現場です。また、急に体調が変化した人に、最善の処置を尽くそうとすれば、通常の勤務時間で終わるわけもなく、そこで労働条件の話を持ち出す人間などいません。
ほとんどの医療関係者が国際的にも十分とは言えない現場のスタッフが熱い気持ちで職務に当たっているのです。にもかかわらず、いつの間にか、その立場の人たちに対して、治療を受ける側の皆さんから賞賛する声も感謝の眼差しも投げかけられることは珍しいことになってしまっています。そこにあるのは「当たり前」の感覚です。医療者なのだからそのように行動するのは「当たり前」というわけです。それでも踏ん張って我が身を粉にして現場で仕事を続ける仲間が多くいます。彼らが今、「もう続かないよ」と呟くようになっています。あるものは、誰に対策を言っても当分変わりようがないと現場から去り、あるものは、自分の仕事だけに徹しようと見て見ぬふりをするような仕事ぶりを身につけていきます。あるものは、できることの少なさに自分を責め、精神的に追い詰められています。医療者たちにもう少し光を当てて欲しいと、フラッシュを浴びながら記者会見で胸を張り職務を報告する消防隊の責任者の姿を見てつい願ってしまいました。
放射能の汚染の状況に関しても報道は神経質であるべきです。風評被害を話題にするのに、自分たち自身がその立場にいるという自覚が薄い気がしてなりません。野菜などの生鮮食料品、そして水道水、さらに、海水に汚染が拡大するとその地域で生活すること自体が危険となります。しかも、汚染は幼い子供たちに大きな爪痕を残すことになるのです。情報に敏感になるのは当然といえますが、情報源の人がどのように発信するか、重大な影響があることを自覚し、慎重に言葉ややり方を選択して報道していただきたいと思っています。
5.まとめにかえて
とりとめもなく、今回の大震災について現時点(3月下旬)での感想と意見を述べさせていただきました。今、私たちができること、それは義援金やボランティア活動も大切ですが、何よりも、自分たちの足下を見直すこと、そして、昨日よりもしっかりと目標を持ってひとり一人が生き抜くことではないかと感じています。現地の一日も早い復興を心からお祈りしております。