読み物BOOKS
読み物BOOKS
2011.09.01
世界の歴史を振り返るのに「古代・中世・近世・近代・現代」と区分することがあります。
それぞれの境目は簡単には決まらないのですが、一定の背景の中で発生した象徴的な出来事を区切りとすることが多いようです。たとえば、ヨーロッパの歴史では、キリスト教の価値観がすべてを覆い尽くし絶対王制による中央集権国家が主体の「中世」は、1600年前後にルネサンス・宗教改革が起こり、大航海時代が始まることによって、「近世」に代わると言われています。封建主義社会であった「近世」も約300年が経過した1900年前後に市民革命があり、産業革命が起こって「近代(モダン)」に突入します。さらに、第二次世界大戦が終わり、冷戦時代のあと、ソ連が崩壊しアメリカが覇権を握って「現代(コンテンポラル)」となるのです。こうした時代区分にはいくつかの案があり、地域や国により異なるのは当然ではあるのですが、ヨーロッパを中心に考えた場合、私なりに各時代区分のキーワードを考えてみました。中世は「宗教」、近世は「科学」、近代は「経済」、現代は「金融」が当てはまる気がしています。
この移り変わりの中で、人の生活はどんどん便利になり、交通機関が発達し、携帯電話やコンピューターなど大量の情報が瞬時にやりとりされる社会になってきました。それを「進歩」と疑問を持つことなく信じてきたところがあります。こうした変化に伴い、人々の生活様式も、めまぐるしいほどにテンポが速くなり、スピードが問われるようになりました。そこでは時間の感覚が変わり、ゆったりとした生き方はそぐわなくなってきたように思います。
私のその影響をもろに受けていて、「いらち」が高じています。つまり、待つのも、待たされるのも苦手ですし、我慢できなくなります。行き先に青信号が見えると、間に合うように足早になります。運転中では、前を走る遅い車に舌打ちすることもあります。会議の開始時間や待ち合わせでは、ギリギリに着くような予定で行動します。
仕事上のお付き合いでゴルフに出かけたときのこと、スタート時にキャディさんから、当日は公式競技があり、選手たちが来ると自分たちのプレーはやめて、彼らが通り過ぎていくのを待って欲しいと言われました。一つの組で7、8分ほどです。それなら仕方がないと思ったのですが、この日はそれが7組あるというのです。つまり、1時間弱の間、待つことになります。私は、そうなれば、迎えに来て欲しいと伝えました。そこでプレーをやめて引き上げたいということです。私にとって、何もしないで待っているのは耐えられないと考えたのです。幸い、私たちの組は選手たちが来ることはなかったのですが、友人たちは私の反応に驚いたようです。
この話は極端かもしれませんが、何もしないで過ごす時間を持つことが苦手なのです。出張などで交通機関の待ち時間は、本を読んだり、音楽を聴いたりできます。いつも、ノートパソコンを持ち歩いていますから、短時間で仕事することもあります。今この文章も飛行機の中で書いています。もし、こんな私が江戸時代や中世のヨーロッパにタイムスリップしたら、調子がおかしくなるでしょうね。
しかし、60歳を迎える今年、こうした追われるような毎日が多少息苦しくなってきました。手帳を開いて空いているところがあると、居心地が悪い気がして、用事を詰め込んできた人生を振り返る気になっています。ビジネスの社会では「タイムマネジメント」が大切とされ、1分1秒を争い効率的な行動や生産性の高い活動が問われています。確かに要領よく動くことは大事です。でも、自分が過ごすすべての時間をきちんと効率的に管理することはゆとりを奪い余裕からかけ離れた毎日になってしまいます。自分に残された時間は限られていますが、だからこそ、キチキチの予定ではなく、幅のある計画を立てなければならないのではないかと考え始めるようになっています。
3月の東日本大震災は、科学の力で自然を管理しようとしてきた人間の思惑をいとも簡単に吹き飛ばしました。同時に、科学の粋を集め「安全神話」に守られてきた原子力発電にリスクが隠れていることも公にされました。この同時に起こった二つの出来事は、先述の時代区分の一つの区切りに差し掛かっているのではないだろうかと漠然とした予感があります。その意味でも、忙しく時間に追われる毎日から足下を見つめ、必要なことに時間をかける習慣や、何もしないでいる贅沢をじっくり味わう生き方にシフトしていこうと考えています。皆さんはいかがですか?