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2012.02.01
日本で生まれ、日本のさまざまな法律や制度の中で日常生活を送っていると、その環境が当たり前となります。たとえば、日本の医療制度です。日本では、昭和36(1961)年に国民皆保険となりました。それまでは、農家や自営の方は保険に加入しておらず、国民の約三分の一に当たる3000万人に及んでいました。それが整備され、国民すべてが何らかの医療保険制度に加入することになったのです。そのおかげで、保険証さえあれば、どこでケガをしても病気になっても診療を受けることができ、一定の負担で済むように医療の給付が得られるようになりました。
これは、諸外国がうらやむ素晴らしい制度で、医療機関にかかる平等性という意味では世界に誇るべきものだと思います。しかし、いくら優れた制度でも、状況が変われば多少のアレンジが必要となります。変化の一つは、病気の治療の専門化・高度化ですし、またもう一つは少子高齢化による人口構造の変化です。診療の精度が上がり、診断がより早くまた正確になり、治療方法も最新のものが用いられるようになりました。一言で言えば、人は簡単には死ななくなったということになります。それに伴い、病(やまい)や障害と共存して生きる方々が増えてきました。そして、若者が少なく高齢者の割合が高くなりました。
こうした変化は国の財政にも影響を与えます。企業の業績は上がらず、働く世代が減ると税収は期待できません。その一方で、年金、医療、介護といった社会保障に関する費用は増え続けるのです。そこで、仕組みを変える提案が検討されることになっています。
これまで自分たちが使っていて当たり前となっている体制を、今後の社会の変化に合わせて、見直さねばならなくなってきたのです。つまり、当たり前と受け取っていた制度を存続させるためにはどれくらいの負担が必要か、または、負担を増やすことを避けるなら、制度自体の中身を変えなければならない時代になっているということです。実は、こうした議論は、もっと前にすべきだったという反省もあります。でも人間は追い詰められなければなかなか本気になることが難しいのですね。過去に遡るわけにはいかないのですから、現時点でもっとも良い方法を探し、選択・決断の上、実行するしかないのだろうと思います。
さて、こうした見直しに際して、海外の制度を学ぶことは参考になります。どのような制度で、どんな利点や欠点があるのか比較することで、客観的に自分たちの国の制度を知り、今後の方策を考えることができるからです。
国民皆保険とはまったく違った制度で運営されているアメリカを例に取り、私なりにこの問題について、考えてみたいと思います。
日米の医療制度の違いで一番大きなことは、医療を受ける時に使う保険の仕組みです。日本では基本的にすべての国民が何らかの医療保険に加入して、病気やケガで治療を受ける時にこれを利用して、支払いの還付(給付)を受けています。アメリカでは、国民を保険の加入によって分類することができます。日本と同じように、政府が管理している保険には、65歳以上の高齢者と一定の障碍者に対する「メディケア」(約3800万人:13.3%)と、日本の生活保護制度に似た貧困者に対する「メディケイド」(約3200万人:11.2%)があります。約7割の人(1億9900万人)は民間医療保険の加入者で、もっと特徴的なのは、病気やケガをした時に何のカバーもない無保険者が約4200万人(14%)存在していることです。この無保険者を人種別に見ると、ヒスパニックが32.4%、アフリカ系が20.2%、アジア系が18.4%で、いわゆる白人層以外で71%を占めています。なお、数字は、2001年のデータです。
公的な保険である「メディケア」「メディケイド」は基本的に税で運営されており、「メディケア」は保険料も徴収し、税と合わせて財源として運用されています。そして、これらの医療費用は制度創設の1965年から約20年の1983年には30倍に膨れあがり、政府はその抑制策を打ち出します。たとえば、医療で使われた費用をそのまま請求する出来高払いの制度から、診断にしたがって支払い額をあらかじめ決めておく定額方式が導入されています。これによって、医師は、治療に際して多くの検査をして、たくさんの薬を出し、長い時間をかける方が利益の上がる仕組みから、できるだけ費用をかけずに短期間で治療を行った方が、利益が上がる方式へ転換したことになります。
民間医療保険で、こうした縛りがないかといえば、そうではありません。もちろん高額の掛け金で何でもフリーパスのタイプの医療保険も存在しますが、よほど裕福な人でなければ加入できません。一般的には、自分の加入している保険によって、医療機関の選択や受けることができる治療の範囲が制限されているのです。時には、医師の治療内容が範囲を超えていると保険会社が支払いを拒否することもあるため、医療機関は診療内容を厳しくチェックし医師へ圧力をかけることになります。
入院や手術となると専門医の診療になりますが、自分で病院や専門医を選択することはできません。保険会社の指定に従わねばならず、希望する場合は保険の対象外となり、法外な費用を支払わねばならないことになります。そして、入院期間も保険会社が決めた期間に従うことになります。
まとめると、アメリカの医療は、確かにお金さえあれば、素晴らしいものです。お抱えの医師を持ち、専用の個室で必要なだけ滞在し、優秀な専門家による最先端の治療を受けることができます。その反面、4000万人を超す無保険者の存在や、それほど裕福でない一般の国民にとっては、選択が許されず、極めて制限の多い不親切な制度と総括できると思います。
さて、日本です。今のままでは、費用が膨らむ一方でそれを支える財源が見つかりません。そのため国の借金は増えるばかりで、GDPの2倍以上の1000兆円という規模となっています。財政健全化に向けては何らかの改革が必須という状況です。医療に関していえば、アメリカ型の自由競争に任せる体制には私は反対です。患者さんが受診されて、一番目に「保険に加入していますか?」と質問しなければならないのはいやですし、「あなたの入っている保険では当院での治療はできません。」と追い返すこともできないからです。私の友人はアメリカで交通事故を起こし、救急病院に運ばれた時、受付でゴールドのクレジットカードをかざした途端に対応が変わったと驚いていました。医療があまりにお金と結びつくのは医師としての私の信条にそぐわないのです。
国民皆保険制度は決して崩してはならない優れた仕組みと私は信じています。では、それを守るためにどうすればよいか、みんなで方法を議論すべきなのですが、実はあまり選択肢がないことに気付きます。いつもと同じことになるのですが、要するに、財源がないのですから、もう限界に近いと言われる窓口負担の増額を除けば、税か保険料のどちらか、もしくは両方を上げるしかないということです。後は、政府がこの状況を国民に周知し、政治家が国民の合意を得ながら、専門家に依頼し、いつ、どのような方法で、どれくらい上がるかという細部をつめる作業を進めていくことになると私は考えています。
皆さんはどう思われますか?