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2012.12.01
私は、整形外科医です。ことにスポーツ障害・外傷に関する勉強を積みました。
その過程で、通常の整形外科診療における問題点とともに、リハビリテーションの重要性や高齢者医療や障碍者対策が置き去りにされていると気がつきました。そこで、外来診療などの臨床を行いながら、自分なりにその問題点を整理し、疾病や障碍によって自分らしく生きることが続けられにくくなっている人に、元の生活に戻ってもらえるようサポートすることが私たちケアに当たる人間の活動の目的だと総括するようになりました。
ヘルスケア機関の代表者として、その考え方を説明し、すべてのスタッフに浸透するよう活動しながら、自分たちの組織がどの方向に向かうのか、そのためにはどんな体制が求められ、どんな人が必要で、どのように整備を進めていけば良いのか、その時々の業績を元に運営のリーダーシップを取ってきました。
成果としては不十分で、設定したゴールにはほど遠く、道半ばであることは認識しています。
それでも、医師として、組織のリーダーとして、多くの方々に助けていただき、経験を積み、学習を積み重ねて、僅かでも前進できたことを感謝しています。
年の終わりに当たり、これまでを振り返り、これからの課題を考えてみたいと思います。
私が携わってきた診療や運営という仕事には共通点があります。それは人に関わるというところです。ものを作る製造業とも、人にものを売る販売業とも違います。
つねに、人が相手であるということで、人のあり方の変化が敏感に反映される仕事であるとも言えると思います。
私が医師になったのは、1978(昭和53)年です。最初に、外科医としての修練を受けることになり、当時の国立大阪病院(現大阪医療センター)の外科に研修医として勤めました。
余談ですが、9年後の1987(昭和62)年に神戸大学を卒業した山中伸弥先生も同じコースを辿り、同じ病院で研修を受けます。こうした縁と彼がスポーツ医学に関心を持っていたことも関係して、大阪市大の薬理学の大学院に進んだとき、診療を続けたいという彼の希望と非常勤医としてでも手伝って欲しいという私たちの病院の事情が合致して、その後留学時代を除く10年間ほど、島田病院で整形外科医としての仕事をしてくれることになりました。
大きな病院の外科では、ほとんどがガンの患者さんでした。
消化器では胃ガン、大腸ガン、その他、乳ガンの患者さんも多くおられました。点滴や術後の傷の処置は私たち研修医の仕事でした。
当時はガンという病気のことをご本人には伏せたまま治療を行うのが一般的でした。時には、手術室で開腹をしても、腹膜にガンが拡がっているため、そのまま創を閉じるということもありました。それでも、麻酔が醒めた患者さんに執刀医は「うまく取れたから良くなりますよ」と説明します。
術後から抗ガン剤の点滴が始まります。副作用が強く、患者さんは衰弱します。それでも主治医は「良くなるから頑張れ」と患者さんを励まします。患者さんはそうした励ましに弱々しく応えようとします。
そして、私たちのような、新米の医師には、本音を漏らされるのです。
「先生、F先生は良くなると言いはるけど、ホンマは私ガンなんやろ。良うなるはずないやん。この注射かて、ビタミン剤とちゃうやろ。抗ガン剤とちゃうのん。こんなしんどいのん、もういらんわ。ほんとのこと言うてくれへん。大丈夫やから、頼むわ。」
こんな風に迫られるのです。
研修医の自分が先輩の医師の言いつけを破るわけにはいきません。
「何言うてるの? 僕は経験がないから分からへんけど、F先生には見通しがあると思うよ。自分から弱気になったらあかんのんとちゃう」
などと、必死でごまかしました。
それでも嘘をつくことが辛くて、どうしても以前のように一日に何度も病室を訪れることができなくなっていきます。
ご本人の苦しみがひしひし伝わるだけに、そこへ向かうには相当な覚悟が必要で、どうしても逃げたくなってしまうのです。
ところが、ある日を境として、状況が変わります。急に答えを求められなくなるのです。ほぼ例外なしにそうした劇的な変化がありました。ある種の悟りではなかったかと今では思うのですが、同時はそれが解決になるという諦めの境地を待つ方法でした。
その時代からすれば、今のガン治療の現場はずいぶん変わりました。
ほとんどの症例で、早い時期から病名が告げられ、治療方針が説明され、ご本人の決断により実際の治療が開始されるようになっています。
それでも、まだ、本当の意味で、いつでも、どこでも、誰でも、ご本人と医療者が、上手なコミュニケーションを通じて、心の底から信じ合い、助け合っているかといえば、まだまだ情けない事態は皆無にはなっていないように思います。
治療によって自分の期待通りの結果にならないと、医療者に何かのミスがあったに違いないと決めつけ、訴訟を念頭にクレームを言いつのる患者さんやご家族が絶えませんし、私たちの仲間である医療者の中にも、患者さんのことを第一に考えるよりも、自分の利益や立場を守ることを優先するものが存在することも事実です。
経済のグローバル化が叫ばれ、バブル経済を経験した頃からでしょうか、昔の価値観は古くさいものと顧みられなくなり、お金が何より大切で、お金こそすべての基準であるという考え方が、世の中に定着してきたように感じています。
ビジネスというか、商取引がすべての領域に当てはめられ、勝つか負けるか、損か得か、そんな議論があふれています。
しかし、医療は、教育や宗教と同様に、ビジネスには馴染まない分野ではないかと私には思えます。
それは、受ける側と与える側が決して対等にはならないという共通の基盤があるからでしょう。
一方が、圧倒的に知識や経験を持ち、他方がそこに頼らざるを得ない関係性がある限り、ビジネスとはまったく異なる条件が課せられていると思うのです。与える側には、経済的な利益である儲けを期待するような皮相の目的意識ではなく、自分の存在により相手が満足し、価値を見いだしてくれればそれでいいといった利他的な行動規範や使命感があります。そこに、また、その職業の値打ちがあるとも言えるでしょう。
しかし、残念なことに、そうした贈与性は失われてしまっているかのようです。
一方は、非贈与性を忘れ、期待と異なる結果は医療者の過失であり、何らかの補償を求めようとし、他方は、利益を追求する企業論理と同様に、儲けにならないことは避けるという経済優先の動きをします。
人間同士が辛い体験からともに努力し、何らかの教訓を得るといったケアの与え与えられる関係性など期待することがむなしくなる時代でもあります。
私は、それでも、人間の「思い」に期待を捨てないでいます。
東日本大震災で見せた仲間を見捨てない気持ち、その意識は、損得勘定を優先させ、他者を切り捨てるような人生の選択ではなく、私たちの心の中に、困った人がいれば、自分の現状はさておき、ともかく自然に手を差し伸べるというDNAがあるという強い自信を思い出させてくれる気がしています。
これからも、目先の利益を追い求めるのではなく、社会の中での「自分たち職業」の、また、「自分たちの組織」の存在意義を確かめながら、少しでも人間に根ざした活動が続けられるよう、本質を忘れないでいようと再確認しています。