読み物BOOKS
読み物BOOKS
2012.08.01
「社会保障と税の一体改革」は、消費税の増税につながりました。国民にとっては負担増となるこうした増税案は、これまで口に出したら選挙に負けるということを繰り返してきたため、政治家は避けて通ってきました。そのため、いよいよ、このままでは立ちゆかないと、野田首相が「決断する政治」
首相官邸のオフィシャルブログ「官邸かわら版」に2012年06月27日「決断する政治の大きな一歩」と題して、総理の次のような文章が掲載されていました。
今、世界各地で、民主主義の成熟度が試されているように思います。厳しい経済情勢や財政制約の中、難しい決断を迫られ、多くの先進国が「決めるべきことを決められない」状況にあります。
国際社会から、その「決められない政治」「先送り政治」の代表例と見られてされてきたのが、我が国でした。
消費税増税に反対して民主党は割れて、ますます政治の混迷が語られていますが、少なくとも、これからの社会保障を議論する上で、不十分とはいえ、その財源論を真っ向から国民に問う姿勢は評価できると私はとらえています。
なぜなら、医療や介護を提供する立場にいる私にとっては、この分野に投入される費用の認識について、切実な思いがあるからです。よいケアを行うには、多くの専門職が関わる必要があります。製造業のように、機械化を進めることで人にかかるコストを切り詰めることはできません。有能な専門技能を有した人たちが、横のつながりを持って、困った事態に立ち向かう時に、よい成果も期待できることになります。また、人だけではなく、材料や機械もよいものを使わねばなりません。切り詰めることがケアの質に影響する制度下では、私たち専門職の志気は著しく低下します。
とはいうものの、無駄遣いは厳に戒めねばなりません。限られた財源や医療資源をどう使うか、慎重な制度設計が求められます。医療にかかる費用の財は三つです。2007(H.19)年のデータで割合が大きい順に、個人や事業主が支払っている保険料(49.2%、個人負担 28.9%、事業主20.3%)、公費つまり税(36.7%)、個人の窓口での負担(14.1%)となっています。医療費全体の額が上がってきていますので、絶対額ではいずれの負担額も増えてきているのですが、伸び率からすれば、国民からすれば意外に思われるかもしれませんが、公費負担の伸びが一番大きく、本人負担はそこそこで、保険料負担は割合が下がってきています。こうした傾向は今後、考慮する材料の一つになると思います。
さて、今年6月に、アメリカのクリーブランドを訪れ、いくつかの医療施設を訪問し、そこで医療関係者と話す機会を持つことができました。アメリカは豊かで自由な国というイメージがありますが、実はアメリカの財政は双子の赤字と呼ばれ、慢性的に国家の収支は借り入れに頼り、貿易も輸入超過で赤字となっており、非常に厳しいものです。その中で、日本よりも高い比率で社会保障に財源を投入しています。国民皆保険ではなく、民間保険が主体のアメリカが、高齢者・障害者と、貧困者に対してだけは公的な医療保険を適用しており、その額が巨大に膨れあがってきたため、ここ30年ほどのアメリカの医療制度は、この公的医療費の抑制の歴史となっています。民間保険業界は、この公的保険における医療費抑制の仕組みを、お墨付きを得たかのように取り入れてきたため、医療現場は双方からの締め付けで大変辛い思いをしているという現実があります。にもかかわらず、自分たちが支払った税金の使い道として、社会保障を存続させるために、効率的で有効な方法であると提示されて、従わざるを得ないと受け止めている印象を受けています。
今から10年前の2002年、欧米の大きな内科医の四つの学会が共同で医師の責務を規定した論文を有名な医学雑誌「ランセット」などに掲載しました。「新ミレニアムにおける医療プロフェッショナリズム:医師憲章(Medical Professionalism in the New Millennium: A Physician Charter)」と題されたこの論文は、21世紀を迎えて、時代に合わせた医師の行動指針を示した形となっています。李 啓充氏が2002/4/1の週間医学会新聞に紹介されているのを読み、私は驚きました。まず三つの根本原則があげられています。
1)患者の利益追求(primacy of patient welfare)
2)患者の自律性(patient autonomy)
3)社会正義(social justice) です。
この三つ目の「社会正義」を説明する文書の中に、医療資源を効率的に活用することが含まれているのです。我が国も欧米諸国でも、高齢化による医療・介護ニーズの増大する一方で、少子化と成熟経済によって財源が確保できないという不均衡があり、医療にかける費用を考えざるを得ない状況となっていることを反映して、医師の責任の中にこうした条項が組み入れられたと思われます。限られた医療資源をうまく使って、最大の効果を上げる努力を惜しんではならないということだと思います。
そして、本年4月、約10年を経過して、米国内科専門医認定機構財団が主導し、米国の9つの医学会がそれぞれ「医師と患者が問い直すべき5つの項目(Five Things Physicians and Patients Should Question)」を発表し、これまでの診療のあり方を問い直す具体例が提示されています。このキャンペーンは「Choosing Wisely」(賢く選ぼう)と題され、対象を医師だけではなく利用する国民も含めて「医師と患者」が双方で見直すべきだというメッセージを送っているところが革新的だと感じました。
たとえば、家庭医の学会では「進行性の神経学的な所見や骨髄炎を疑わせる所見がない場合、腰背部痛が起こって6週間以内にレントゲン写真を撮影してはならない」とか、「軽い頭痛や失神でCTまたはMRI撮影をしてはならない。」といった内容を公表しています。この提言を「医師と患者が問い直す」とした意味は、きっと、レントゲンも撮ってくれないという患者側からのクレームに備えたものでもあるのでしょう。つまり、いわゆる「念のため」に行う医療行為を制限していることになります。念のためのレントゲン、念のための抗生物質はやめようということです。それによって、医療にかかる費用を削減するためにできるだけ無駄をなくすことになるというわけです。
それでは、患者さんを守ることができないのではないかと現場で診療を行う医師は声を上げるかもしれません。しかし、医療経済の条件が厳しくなったために、制限する条項がいろいろ設定されても、医療者として患者さんが不利益を被らないようできる限りの努力をすることは、医療者としてのプライドであり、誇りの問題になるという気概をアメリカの現場で感じました。
翻って、私たちの医療の現場では、まだまだ厳しさに足りない現実を目にします。迎えに来る都合があるからと退院を伸ばす患者がいます。入院病床が空いているからとそれを容認する経営者もいます。いずれも、現在の厳しい財政状況のもと、税金・保険料という公的な資金の公正な使い道という視点かれすれば問題があります。また、医師が必要性を感じていない検査を要求する患者も、また、検査の予約に遅れてくる患者も自覚が足りないし、逆に、必要以上の検査を指示したり、薬を処方する医師も、同様です。
厳しい制約が次々と打ち出されているにもかかわらず、現場の医療者から、うめき声は聞こえますが、政府に対する怨嗟の声はあまり出ていません。それはここで述べたように、経済状況をよく理解し、医療を行うプロとしてのプライドをかけてこの難局を乗り切ろうとする姿が垣間見える気がしました。日本の現場でも、限られた医療資源を有効に使う覚悟が染み渡らなければ、負担を増やしたにもかかわらず、現場のケアの質は低下するという最悪の事態を招きかねないと危惧しています。医療・介護に携わる人、また、これを受ける人、双方の「底力」が試されていると痛感します。