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2013.06.01
さまざまな分野で、進化に伴い、一人の人間が幅広くその領域をカバーすることが難しくなっています。その結果、一定の限られた範囲を得意分野とするいわゆる「専門家」が増えることになりました。それは、学問だけではなく、服飾や料理の分野でも言えますし、飲食業界でも当てはまります。昔、デパートにあった大食堂が、寿司やイタリアン、そば屋と専門店が並ぶレストラン街に替わったのはその象徴的な姿でしょう。娯楽や趣味の世界でも同じことです。「オタク」と呼ばれる人たちが誕生し、関心や興味が一致する仲間だけが情報を共有し、周囲からは、いったい何が面白くて集まっているのか理解することが難しい不思議なグループを形作ることになっています。
医学でも同じ現象が起こっています。研究会や学会は、学問の細分化に伴ってどんどん専門分野に特化し、その数が増え続けています。そこでは、規模は小さい反面、興味の対象が一致しているだけに、きわめて活発な議論が行われています。専門分野から少し外れると、外から見ると同じような領域の仕事をしていると思われる人でも、ほとんどの話題について行けないことも決して珍しいことではなくなりました。
その傾向が医学を応用した医療、つまり、臨床の現場にも反映され、一部では混乱を招いています。たとえば、救急医療です。頭のケガというと、脳神経外科医が担当することが当たり前になりました。外科医や整形外科医はたとえ、ただの切り傷で、縫合すれば診療としては問題がないと予測される事例でも、仮に頭の中に出血などの病変があることを見落としてはならないと、脳神経外科医による診療を勧めます。患者さんは、脳神経外科医がいる施設が見つかるまで、医師の診療を受けることができない事態となります。
一方、受診する患者やご家族の側にも、専門家でないと困るという強い要望があって、施設を探すのに手間取ることもあります。小児の発熱など、まずは内科医が診てから必要に応じて、小児科医が呼ばれる形態もあって良いと思うのですが、医師の側でも患者や家族の要望を退けてまで代わりに診るわけにはいかず、尻込みすることにもつながります。そのように、専門家が本当に必要な事態を見分ける工夫がなければ、効率的な医療の体制ではなくなることになります。
こうした変化は、診療科の名称にも影響を与えています。内科、外科という分類は、日本に西洋医学が導入された明治時代に、メスを持っての対応かそうでないかで分かれました。今でもこの分類は中小病院や診療所の標榜科目としては用いられていますが、都市部の大学病院や地域中核病院などでは次第に見られなくなってきています。それに代わって、臓器別の診療科目が一般的になってきました。循環器科、呼吸器科、消化器科といった具合です。そして、その中から、たとえば、消化器なら、胃、十二指腸という上部消化管と大腸を主体とした下部消化管に分かれてきましたし、そこに肝・胆・膵が別にあると言った具合に、どんどん細分化してきたのです。そして、その細分化された分野において、主に学会が学会員の中から一定の要件を定めて、専門医や標榜医、認定医という資格を認可するシステムを構築しています。しかし、それが診療報酬などの実際の診療に反映されているわけではありません。
整形外科でも同じことです。大学の整形外科では、毎日、専門外来ということで、脊椎、膝、股関節、手、骨腫瘍、肩・肘、リウマチといった具合に、部位や病状によって専門家による診療が行われています。ところが、専門家を煩わせる必要のない程度の病状や、受診する側にとって、どの専門家に相談するのが一番適切なのかが分からない場合は、ガイドされないままに放置すると、効率の悪い仕組みになることも往々にして経験します。
厚生労働省は「専門医の在り方に関する検討会」(座長:高久史麿日本医学会会長)を発足させ、検討を重ねています
その過程で専門医の定義が討議されました。一般の方が持つ「専門医」のイメージである「神の手を持つ医師」や「スーパードクター」ではなく、「それぞれの診療領域において十分な経験を持ち、安心・安全で標準的な医療を提供できる医師」を専門医と定義しています。そして、専門医の質を保障し、医師が地域や診療科に偏っている現状を是正するために、学会から独立した中立的な第三者機関を設定し、そこが認定することにして、全国や地域で、各診療領域の専門医の養成数を管理・調整する方向を打ち出していました。
しかし、本年4月22に出された最終報告書では「地域医療の安定的確保」の文言は「専門医の養成と地域医療との関係」に変えられ、この専門医制度の見直しの目的は、専門医の質向上を目指したもので、医師の地域偏在解消ではないことを明確にしています。
その専門医制度については、初期臨床研修後19ある基本領域のいずれかの研修を受け、専門医資格を取得した後にさらに詳しい専門領域(サブスペシャリティー)の研修を受けるという「二段階制」の仕組みを提案しています。その中で重要な提言は「総合診療」が19の基本領域の中の一つに位置づけられていることです。しかし、その定義や役割、位置づけなどはまだ議論が分かれているようです。
検討会のメンバーで、総合診療に関するオピニオン・リーダーの一人である聖路加国際病院院長の福井次矢氏は、総合医の必要性に関して以下の四つの視点を上げています。
1)全人的視野での症候からの診断-臓器や疾患の専門性にこだわらないアプローチ-
2)高齢者など同時に複数の臓器の疾病を有する患者の診療の効率
3)一般診療での多様性に富んだ健康問題への適切な対処
4)エビデンス(調査研究結果)としての有用性・効率性
私自身、脳卒中などの急な事態で治療を受けた後、リハビリテーションを目的に入院してこられる患者さんについて、服用されているクスリの多さに驚き、聞き取りをしたことがあります。いつ、誰が、どんな症状に対してその薬を処方したのか、高齢の方の場合、かなりの割合でその経過がすでに追えなくなっていました。つまり、その薬が今も必要かどうかを判断する責任がどこ(誰)にもなくなり、以前から服用していたからという理由で、単純に引き続いて処方されていることが多かったのです。
最初に述べたように、学問が進歩し、専門分野で新しい技術が導入されることは、治療の効果を高め、苦しむ患者さんにとって福音となっています。しかし、その新しい方法をどのように適用するかが問われている気がしてなりません。患者さんやご家族は専門家による診療を希望します。確かに、専門診療が効果を持つ例も少なくないでしょうが、逆に、専門家の診療の適用とならない例も存在することは事実で、それが医療体制の効率性、さらには、全体の医療費にも影響を与えていることは間違いありません。
また、医師の世界での「階層意識」がこの問題を複雑にしています。大学で研究を行っている特定分野の専門家が地域で総合診療を担っている医師より上であるという考え方です。人間社会ですから、どちらが上かという比較は避けて通れないのかもしれませんが、診療全体を見渡した時、専門診療と総合的な診療はちょうど車の両輪で、両者が適切な時期に適確に実施されるように、うまく組み合わされた時、望ましい体制ができるはずだと私は考えています。その両者に上下はあり得ません。
整形外科の分野で、多くの場合専門家は手術の腕を競います。新しい技術、今までよりも優れたやり方、早く復帰できる方法など、整形外科の学会や研究会では多くの発表を聞くことができます。しかし、私は、手術の結果は術者の腕だけではないと思っています。手術に至る過程における十分な話し合い、また、術後の適切なリハビリテーションや看護、生活指導、さらに相談員による社会的な問題に対する解決法の提示など、関連職種の協力があってはじめて期待された結果が望めると思うのです。
医療の分野の素人である患者さんやご家族が、どうすれば最高の結果に到達できるのかを判断して行動することは容易ではありません。フリーアクセスを確保することも重要ですが、最善のケアの在り方を全人的立場からアドバイスできる総合医の存在は、誠に心強いものとなると確信しています。整形外科においても、「総合整形外科」が要るのではないかと思うことすらあります。教育・研修の在り方や認定の具体的な流れなど、検討すべきことはありますが、基本において、専門と総合のうまい組み合わせを作ることに大きな期待を持っています。