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2013.09.01
皆さんは、テレビとラジオの違いって、考えてみたことがありますか? というのも、医療や介護の世界で働いていると、コミュニケーションのことが話題になることが多くて、それがきっかけで、このテーマにつながりました。
ケアがうまくいくのは、患者さんと私たち医療者のコミュニケーションが取れていることが前提です。何を困っておられるかがきちんと把握されていること、その課題を一緒に解決しようと活動をともにすること、それがかなえば、極端に言えば結果とは無関係に、ケアに当たる当事者は、ある種の達成感を味わうことができます。逆に、患者さんと医療者という両者の関係だけではなく、職種の違う医療者の間でもコミュニケーションがうまくいってなければ、良いケアにはなりにくく、お互いの満足感も低いものに終わる可能性が高いでしょう。良いケアには、必ず良いコミュニケーションがあると言っても言いすぎではないと思うのです
そこで、「どうすれば良いコミュニケーションができるようになるか」とみんな話し合いました。その話の中で、テレビの弊害が語られました。私も、テレビに関しては、その影響力の強さを孫の反応で感じて以来、恐ろしくなっています。今は小学校の1年生と2年生の孫たちが保育所に通園している時、その園の方針で、テレビは見せないことになっていました。ある時、たまたましばらくの時間を私がその子たちと過ごすことになって、彼女たちの底知れぬエネルギーに疲れ果てて、ついテレビという魔法箱の蓋を私が開けてしまったのです。さすがに、アニメは見なれていないはずだと避けて、大人の時事番組では場が持たないだろうと勝手に推測して、その日曜日の午後、彼らにわずかな時間見せる番組として最終的に選択したのは競馬中継でした。
孫たちは画面の中でいっせいに走る馬の迫力に、それこそ口を開けたまま食い入るように画面に集中しています。コマーシャルになると、その集中ぶりが増します。周囲の声が聞こえないような状況になるのです。
私は恐ろしくなりました。私たちが何気なく付けているこのテレビというものには、子供たちを引きつける魔力が確実にあります。そして、それはいい影響を与えるものかと考えたとき、答えは「ノー」です。
コミュニケーションは、人と人の接点における心の在り方をいうものだろうと想定しています。自分が相手を「認識している」、「気にしている」、「大事だと思っている」というメッセージを込めて接していると、言葉がなくても通じるのが人間同士のコミュニケーションでしょう。そこで必要なのは、相手を感じることであり、想像することでもあるでしょう。
テレビは、映像が勝負です。最近では字幕まで出して、見ることによる働きかけに強い力を持っています。そこでは、音声は補足でしかありません。映像が言葉の存在意義を消してしまうのです。確かに「百聞は一見にしかず」ということで、伝えるという意味においては「見ること(映像)」に勝るインパクトを持つ手段はないと思います。しかし、その強さが故に、見えないものを想像する力や見えないところが持つものを感じる感性はないものと同じ扱いを受けることになります。これでは、優れた能力がそがれてしまう危険性だってあります。
そのテレビと比べると、ラジオは音しかありません。つまりそこから流れる「言葉」がすべての情報になります。私たちケアに携わる医療者にとって大切な「想像力」「感性」「国語力」といったものを思えば、テレビは娯楽として利用するにとどめ、情報を得るなら、ラジオというメディアを活用する方がいいように思っています。
私の友人でもうちに帰るとまずテレビを付けるという習慣があるというのがいます。朝は時計代わりにずっと付いているというご家庭は多いと想像します。娯楽としてのテレビは彼らの戦略に乗って、いったん見始めるとずっと見ることになって、時間つぶしには良くても、時間の浪費にもなりかねません。そこで、私の結論は「想像力にはラジオ、直接的な楽しみにはテレビ」で、使い分けることというものです
ラジオの延長線上に「読書」があります。ウィキペディアでの「活字離れ」の解説でアメリカの市場調査会社GfK NOPの2005年の調査の結果が紹介されています。それによると、本と新聞、雑誌など活字媒体を読む時間は、調査対象30か国の平均が週6.5時間だそうです。活字媒体を読む時間の上位5か国は、1)インド(週10.7時間)、2)タイ (9.4)、3)中国 (8)、4)フィリピン (7.6)、5)エジプト (7.5)であり、下位5か国は順に韓国 (3.1)、日本 (4.1)、台湾 (5)、ブラジル (5.2)、イギリス (5.3) となっています。
日本の活字離れは深刻な状態とも言えます。私は、たまたま、本屋で見かけた池井戸潤氏の小説を読んで「面白いぞ」と女房に貸したら、それが人気テレビドラマであることが分かったと言う経験をしました。テレビはスポーツ番組とニュースしか見ないので、そういう芸能情報にはまったく疎いため、家族には笑われていますが、今回は逆に、原作を読んでいると尊敬されたのだから、世の中どうなるか分かりません。
それで一度、放送を見ました。なるほど、小説の中の人物が実像となって動き、話している姿は面白いものでした。こりゃ、うまくできていると思う反面、私が想像していた姿と違う実像である場合もありました。それが、テレビというものであるとこの時よく分かったように思います。
昨今では、インターネットが普及し、スマートフォンにより、情報に関しては手軽に映像つきで簡単に手に入るようになりました。世界中で、新聞の購読者が減り続けているそうです。こうした環境の変化はめざましいものですが、人間の生態、中身自体は何も変わっていないと思うのです。
つまり、病気になれば不安になることは同じで、いくら情報を取り寄せたところでその根源的な悩みは新しいメディアによって解決できる訳ではありません。そこで、コミュニケーションです。人と人の交流、その接点が機械に取って代わられることはあり得ないとすると、きわめてアナログな世界をより大切にしなければ、対応ができない事態になることが予測されます。
ラジオを聞き読書し、人と対話するというスローでアナログな時間が、困った人間同士が助け合える社会の基盤になるような気がしています。
ちなみに、私の孫たちですが、競馬中継を見た日に母親に「今日、おじいちゃんがテレビでお馬ちゃんが走るのを見せてくれた」と興奮して報告したそうです。「もう、おじいちゃんたらーッ」と厳しい叱責が待っていたのはいうまでもありません。