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2014.08.01
皆さんはAEDという装置をご存じでしょうか? 自動体外式除細動器(Automated External Defibrillator)というもので、心臓がうまく働かなくなった場合に、身体の表面から電気の刺激を与えて、正常のリズムを取り戻すようにする道具です。装置を使用しようとすると、まず、心臓がその刺激を必要としている状態かどうかを判断してくれるという賢い機械でもあります。2004年7月に医療に従事していない人でも、使用が認可され、偶然居合わせた人がこの装置を使ったおかげで、救命できたという報告をちらほらと聞くほどに普及してきたと言えます。昨年の9月に厚労省の指示により日本救急医療財団が「AEDの適正配置に関するガイドライン」を発表し、具体的な設置や管理の基準をまとめて、緊急事態におけるAEDのさらに有効な活用に向けての対策を講じています。
そんな中、一つの新聞記事が目にとまりました。今年の6月25日の毎日新聞です。「大体大サッカー 練習中に死亡 AEDあったのに」という大きな見出しで、小見出しでは「『使用周知怠った』両親が賠償提訴」とあります。どういうことでしょう。
記事によると、「大阪体育大のサッカー部員のN君が今年3月3日の朝の練習で、ランニングなどした後の午前9時31分頃、突然座り込み、過呼吸などの症状が出て、33分ごろ、学生トレーナーが救急車を要請した。N君の意識や脈拍が下がり始め、37分頃トレーナーは心臓マッサージを実施。43分頃、ヘッドコーチが駆け付け、心臓マッサージの継続を指示し、同じ頃、約40m先に設置されていたAEDを部員が持ってきて、44分頃到着した救急隊員がAEDを使った後、病院に搬送した。という経過です。
N君は4日後、脳に酸素が届かなくなる障害(蘇生後脳症)のため病院で死亡しました。そこで、部員の両親が6月23日に大学側にAEDを適切に使用しなかったため死亡したと賠償を求める訴えを大阪地裁堺支部に起こしたのです。ご両親は、スポーツ専門の教育機関である体育大学でAEDの適正使用に関する指導が徹底できていなかったことを問題視し、再発予防の観点からも法的な手段に訴えたと語っておられます。
AEDがうまく使われれば、1秒を争う緊急事態で有効な手段となる事は間違いありません。その処置ができなかったために、我が子の命が絶たれたというご遺族の無念の思いはよく分かります。
私が注目したのは、「しなかった」ということが、大きな論点になっているところです。多くの医療現場に関連する訴訟は、なされた治療行為の結果が予測したものではなかったこと、つまり、治療による期待していた効果と異なり、下回ったときに起こっているように思います。「手術を受けたが、治らない」、「薬を飲んで、副作用で苦しんだ」、「入院しているのに、一つも良くならない」など、治療行為の結果に関する不満が訴訟につながっていることが多いと思うのです。
しかし、時には、しなかったための弊害も多く経験します。たとえば、安静であり、リハビリテーションです。長くギプスで固定をされたが、「骨がくっついているから良かったね」と説明を受ければ、動かなくなった手足をどうすれば良いのかと途方に暮れるでしょう。早期から積極的なリハビリテーションが実施できれば、介護の必要性が減少したと思われる事例には、毎日のように出会うといっても嘘ではありません。
何かして結果が悪ければ、過失があったのではないかと疑われ、時には攻められることになりますが、何もしないで動かないように指示しておくことは、ご本人やご家族の受け入れも良くて、「無理せんように」というのは、医師の常套句のようになっています。しかし、機能面から見れば、明らかに違います。よほどの事態を除いて、動ける範囲で動く方が、あとの治りが良いことは多くの研究で実証済みです。にもかかわらず、日常の臨床では、「無理せんときや」がまかり通っているのです。
ことに人間の機能に強く関係する運動器を扱う整形外科では、いつから、どんな方法で動かすことが安全か、その見極めや工夫が、医師としての技量を決めるといっても過言ではないとさえ思っています。しかし、世の中は安全重視に偏り、リスクを背負わなくなりました。下手に動かして何か起こるくらいなら、じっとしておくように言う方が賢いやり方になっているのです。「『安全』に、『危険』を提供する」ことの値打ちは顧みられる機会があまりないように思います。 それでも、動くことの重要性や効果に関する説明を尽くし、安全対策を講じながら、機能の維持・向上にお役に立ちたいと思っています。
「もし、あと2週間早く、ギプスを外し、リハビリをしてくれていたら」、「もし、もっと早く回復期リハビリ病棟へ転院し、集中的なリハビリを受けていたら」、「もし、腰痛でも寝るばかりではなく動ける範囲で動いた方がいいとアドバイスを受けていたら」、「もし、痛みがあるときには動いてはいけないと怒られなければ」、機能はこんなに悪くならなかったのに、というような訴訟が起こるときはあるのでしょうか? そして、もしあるとすれば、司法はどのような判断をするのでしょうか?