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2014.03.01
今年も春の甲子園で行われる選抜高校野球大会は多くのファンを引きつけています。29日の2回戦「広島新庄(広島)対「桐生第一(群馬)」の試合は延長15回1-1で引き分け、翌日に再試合となりました。
再試合では、前日、お互いに一人で15回を投げ抜いた二人の投手がマウンドに立ち、桐生第一が4-0で勝利。山田投手が前日より落ちた球速を自覚し、絶妙の投球術を駆使しての完封です。彼は2日間で計24イニング、275球を投げたことになります。そして、この勝利により、準々決勝に進出。翌日も試合が組まれています。投げるとすれば、3連投です。一方、広島新庄の山岡投手も結果的には11安打を浴び4失点を喫し、敗戦投手となりましたが、2日間23回を304球という熱投でした。
「龍谷大平安(京都)」との準々決勝では、桐生第一の山田投手は先発しませんでした。チームは前半に4点を奪い、その後小刻みな継投によって逃げ切りを図りました。そして、7回から山田投手が起用されました。しかし、さすがに3日間の連投がこたえたのでしょう、1死満塁から暴投により決勝点を与えてしまい、敗れました。
昨年の選抜高校野球でも済美高校(愛媛)は1回戦から勝ち上がり、決勝戦で敗退したものの、エースの安楽智大投手は、すべての試合に登板し、772球を投げ、大会での投球制限についての議論が起こったことは記憶に新しいところです。
スポーツ傷害を専門としている私の立場としては、投球による肘・肩の症状で受診する若者たちを多く経験しているだけに、未然に防ぐ方法を提言することは責務の一つと考えています。一方で、球児たちが目標としている夢の舞台、甲子園での試合において、中途半端な形で参加を制限されることは、残念に違いありません。
この問題には、二つの側面があると思います。一つは、純粋に肉体の問題です。投げ方や体力要素によって、投球による身体、ことに肘や肩に対する影響は変わります。つまり、同じ投球数であっても、それほど疲れが残らず、障害に繋がらないタイプの選手もいれば、しっかり休ませなければならない選手もいるということです。
投球させるかどうかは、本人の自覚症状に加えて、普段から健康管理を担当する身近なトレーナーの意見などを参考に、コーチ・監督が投球に耐える状態かどうか判断し、最終的に参加の可否をすればいいと思います。
もう一つは価値観の問題です。たとえ、身体を痛めることがあっても、それを目標としてきたのだから、出場させるべきである。出たいというならそれを止めることはないという考え方です。
「肩は消耗品」という考え方が浸透しているアメリカでは、投手は分業制で、先発投手は登板間隔を一定にしたローテーションで守られ、完投することはほとんどなく、試合途中で交代し、中継ぎ、そして抑えの投手に引き継ぎます。投球数を制限することが、安全に、長く、高いパフォーマンスを維持することになるという意識が定着しているためです。こうした環境に育った人から見れば、この日本の高校野球の投手起用は信じられないことになるでしょう。
ただ、後者の価値観については、一定の考慮すべき点があると思っています。選手が自ら、自分の体調を冷静に評価し、可能であると申し出て、指導者もこれまでの過程から、耐えると判断して起用に踏み切った場合に、何も分からない他者が単に球数だけで、批判を口にすることは避けるべきだと思うのです。
スポーツ医学を専門としている医師は、こうした状況で何を求められているでしょうか? 傷んだ選手を治療した経験から、一般論として連投や過剰な投球数が危険であることは情報として流すべきでしょう。しかし、だからといって個別の事例で、自分が直接管理に携わっていないとすれば、球数だけを理由に投げさせないと主張することはできないと思うのです。ただ、投げすぎによって、その選手の将来に、永続的で致命的な影響を与えることが分かっていれば、そのことを理解されるまで告げて、その上での判断を求めることが重要な責任になると思っています。その情報を飲み込んだ上で、本人とご家族や指導者が最終判断をしたとすれば、その決断には敬意を払うべきだと感じています。
人は一人ひとり違います。身体の構造も、その働きも少しずつ違います。そして、生き方が違い、大切にしているものも違うのです。誤った情報による判断ではなく、正しい情報に基づいてなされた決断は、他者からすれば奇妙に見えても、それは重い結論だと評価しなければならないと感じています。
(なお、この文章は、4月1日、消費税が8%になった日に書きました。甲子園では準決勝が予定されています。)