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2015.04.01

財政健全化と超高齢社会の社会保障(2015-4)

 医療・介護の分野で「2025年問題」と言われているのは、この頃に、団塊の世代が後期高齢者となり、増加し続ける高齢者数がピークを迎えるためです。現役世代に比べて数倍の医療費がかかるといわれている高齢者が増えるため、医療費の総額が増大します。さらに、今でも人手が不足しているという介護の現場で、これまで以上の介護ニーズが生まれることになります。そのため、工夫や改革がなければ、公的な医療や介護の制度が立ちゆかなくなります。「持続可能な」社会保障制度という文言がたびたび公的な文書に登場する理由はこの人口構造の変化に伴う需要の増大にどう備えるかという課題にあると言えるでしょう。
その上、経済成長率はこの20年の平均を見ると1%に届かない数字となっています。これでは国家予算を組み立て、一般歳出の財源となる税収が増えるはずもありません。そこで、この差額を埋めるため、国債を発行し続けてきましたが、それによって生じた国と地方を合わせた債務がGDP比で200%を越える事態となると、さすがにこのやり方を続けることはできなくなります。「将来世代へのつけを減らす」といった表現で、この借金を減少させようと財政健全化が大きな政治課題となっています。

 

先進諸国の中にあって、高齢化のトップランナーである我が国が、需要は増す一方なのに、財源の目処がつかないという事態は海外からも注目されています。それは、時期が多少違うかもしれませんが、各国共通の問題だからです。2010年6月のトロント・サミットでも、2013年9月のサンクトペテルブルクでも、G20サミットといった国際会議の場で、債務の減少へのシナリオを明らかにすることが首脳宣言にも盛り込まれています。現在の第3次安部政権でも、安全保障問題と並び、経済・財政再建が大きな政治課題となっています。
こうした状況の中、この4月1日から新しい介護保険制度が始まりました。今回の改正では、1)地域包括システムの構築と、2)利用者負担の公平化が大きな目的といわれています。それに伴い、介護報酬も改定されました。その中身を詳しく述べることはできませんが、要するに、先ほどご紹介した状況の中で、限られた財源をどのようにうまく配分し、医療や介護の質をできるだけ保つにはどうしたらいいかということにつきると思います。
つまり、ケアの対象者を絞ることや、公的な医療・介護サービスの中身を制限するといった提供できる医療・介護の量を減らす方法か、今まで通りに提供するとしても、その内容を薄めて医療・介護の質を落とす方法しかないと総括できるでしょう。そして、利用者の負担は増えることはあっても、減ることはないと予測されます。

 

私は医療・介護を提供する施設の責任者として、国の置かれている状況は理解できますし、そのための施策には協力せざるを得ないと言う風に覚悟もしています。守るべき立場は、「必要な人に必要なケアを、適切な場所で適切な方法を用い、効率的に提供する」ということだと考えています。医学的に不必要と判断されるケアはお断りしなければなりませんし、提供の方法として、これまで以上にケアにかける医療資源について、効率化を意識しなければならないとも思っています。

 

たとえば、検査が要らないと医師が判断した患者さんが、不安だからどうしてもMRIを撮影して欲しいと依頼してこられたら、どう対応するのが正しいのでしょう?不安を持っている人が希望しているのだから、撮るように指示を出せば良いのでしょうか?それとも、医師として自信を持って、そんな検査が要るとは思わないのであれば、そのことを説明し、撮影しないように努めるべきなのでしょうか?
また、医学的には退院可能な患者さんが、日が悪いとか、家族の都合が付かないといった理由で入院を延ばしてほしいと伝えてこられたら、どうすればいいのでしょうか?次の入院患者さんが入っていれば、その事情を説明し、決められた期日に退院をしていただくことになるでしょうし、先方にも何とか理解して受け止めていただきやすいでしょう。その一方で、予定の患者さんが決まっておらず、病床に余裕があればどうでしょう?空いているので、構いませんとその滞在を許せばいいのでしょうか。
足首をくじき外来受診した患者さんが、骨折ではないと判明し捻挫だと診断したとします。痛み止めと湿布をできるだけたくさん処方して欲しいとおっしゃった場合、医師はどうしたらいいのでしょうか?数日で改善するだろうと予測していても、その日数を超えた量の薬を処方することが医師としての推奨される仕事ぶりになるのでしょうか。

 

これらの事例は、保険がきくから個人への負担が軽いことや、空床にするより必要のない方にであっても入院しておれば、病院には収入になるという背景があることで、その判断に傾くのではないかと想像されます。
しかし、冷静にその費用の財源を考えなければならない時代になったと思うのです。つまり、お金はどこから支払われているかということを思い浮かべる必要があるということです。医療や介護の費用は、国や地方の公的なお金、保険財政、そして、個人の負担の三つの財源から賄われています。医療行為や介護サービスの大半は、個人が負担する部分よりも大きな額が税にしろ保険金にしろ、みんなから徴収されたいわば公的なところから支払われていることを忘れてはならないと思うのです。
あくまで、「必要な人に」、「必要なケア」を、医学的判断のもと十分吟味して提供するのであって、「不必要な人」に「不必要なケア」を行うことは、無駄であり、あってはならないことになります。そして、医療者は、ケアの提供に際して「効率」を意識しなければなりません。
厳しい財政の中、無駄を省き、本当に必要な人が必要なケアを受けることができなくなるという事態を避けるために、医療者も国民と一緒になって、協力する必要があるのだろうと考えています。



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