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2015.10.01
皆さんにとって「医療事故」という言葉は、どんなイメージがあるでしょう?おそらく、患者取り違えだとか、間違ってクスリを入れられただとか、手術中のミスで取り返しの付かない結果になったとか、これまでの新聞などのマスメディアの報道を思い出されることでしょう。
私たちが取り扱っている病気やケガは、ひとり一人身体の特性やこれまでの生活などの背景が異なる人たちに起こった希望しない事態です。それを科学的な知識や経験によって、何とか元通りの生活に戻っていただこうというのが、ケアの目的となります。そのことを目指していない医療者など、想像できません。そして、その過程で、思いもかけぬ「予期せぬ」出来事も起こりうるし、うっかりミスからとんでもない結果につながる場合もあります。
結果から見れば、それは不幸なことであり、あってはならない事態です。ことに、治ることを期待しているにもかかわらず、思いもかけず亡くなったような事例では、ご遺族にとって、「何故だ」という疑念がわくのは当然ですし、その先に、「誰が」悪いのかという懲罰感情が生まれるのも理解できます。
しかし、そうした流れのまま、医療に関連して起こった不幸な出来事を調査していくことで、果たして問題は解決したと言えるのでしょうか? そして、二度と不幸な事態を起こすことがないような体制を作ることに寄与する調査となるのでしょうか?
平成27年10月1日からこうした議論を積み上げられた末に、「医療事故調査制度」が開始されます。私なりの、この制度のポイントとなる部分をお伝えし、皆さんのご理解を得たいと思い、今回のテーマに選びました。
今回の制度を作る上での基本的な考えとして、一番大切な点は、「医療安全」につながる制度であるということです。世界保健機構(WHO)は、医療安全がいかに大事なものであるかを先駆的に示していますが、2005年に「医療安全に関する6つの行動領域」を掲げました。1)医療安全への患者の参加、2)報告と学習システム、3)医療安全に関する用語、4)医療安全対策、5)医療安全に関する研究、6)世界的挑戦 の六つです。
そのうちの「2)報告と学習のシステム」が今回のような、医療事故調査制度となります。そして、WHOは同年に「有害事象の報告・学習システムのためのWHOドラフトガイドライン」を公表しています。そこでは報告制度の目的には「学習」と「説明責任」の2種類があり、一つの制度に2つの機能を持たせることは困難であると指摘しています。つまり、二度と同じことが起こらないように事例を念入りに振り返り、検討することと、いわば犯人捜しをして遺族への説明や当事者への懲罰を与えることを目的とすることは制度として同時に成立させることはできないと述べているのです。
私は、問題を起こした医療者を同業者としてただ庇うつもりでいるのではありません。事故から学ぶ姿勢は重要ですし、調査から判明したことが次にいかされることをみんな望んでいると思います。何か事故が起こって、その調査を進めていく過程で、それが公表され、遺族にも伝えられると同時に、警察に渡され、裁判においても証拠として採用されることが分かっていて、本当の調査が可能でしょうか?仮に、そのような制度にして、当事者を逮捕し、懲罰を与えて、次に同様の出来事が起こらないような方策につながるでしょうか?こうしたやり方は、やり場のない思いとなっておられるご遺族にとって、その憤懣を多少は軽減する可能性はありますが、問題の本質を解決する効果はあまり期待できないと思うのです。
議論の中で、こうした制度にするべきだと主張していたのが、患者さんの代表者とともに弁護士であったことは、私に別に疑念を与えています。
というのも、たとえば、過払い金請求でもそうですが、法曹界の様相が、ずいぶん変化してきていると感じられて仕方ないのです。私の仕事に関連して言えば、交通事故があります。
昨年の10月読売新聞は「交通事故訴訟、10年で5倍 弁護士保険利用」という見出しで、最高裁の調査により「交通事故の損害賠償請求訴訟が全国の簡易裁判所で急増し、昨年の提訴件数は10年前の5倍の15,428件に上った」と報じています。その原因として「任意の自動車保険に弁護士保険を付ける特約が普及し、被害額の少ない物損事故でも弁護士を依頼して訴訟で争うケースが増えたこと」を上げています。
この弁護士保険は、「2000年、日弁連と損害保険各社が協力して商品化した。事故の当事者が示談や訴訟の対応を弁護士に依頼した場合、その費用が300万円程度まで保険金で賄われる。契約数は12年度で約1978万件」ということです。
私は医療事故が、こうした彼らの仕事の場になってはならないと思います。大阪弁護士会のホームページでも、医療事故の相談を無料で受け付ける案内が大きく掲載されています。
制度創設の最大の目的は、医療安全の確保です。原因の追及はきわめて重要で、それをないがしろにすることは許されません。しかし、その内容を、懲罰を与えるための証拠として用いず、また本人を特定しないやり方にするという原則は守らねばならないと思います。それがWHOのドラフトガイドラインの7つの条件:1)非懲罰性、2)秘匿性、3)独立性、4)専門家の分析、5)迅速性、6)システム指向性、7)応答性 のうちの最初の二つに相当すると考えています。
私は、外科医として長年働いてきました。そして、患者さんへのケアが本質的に危険を孕んだものであることを知っています。すべてが順風満帆に思惑通りに進む事例はむしろ少数ということも、経験してきました。しかし、ケア提供を仕事として生きてきた私たちと、一生の間に稀にしか私たちからケアを受けることを経験することのない一般の方とでは、ケアに対する感覚がずいぶん違うことを感じるようになって来ています。
不幸な事例があったことの報道を読むたびに、その乖離を痛感します。しかし、繰り返しになりますが、不幸な結果が生じたとしても、それに関連した「個人」を責めることでは、問題の本質的な解決はできないことを知るべきだと私は思うのです。
技術革新はすばらしい成果を約束するように報じられますが、その背後に、これまで知らなかったリスクが潜んでいます。新しい技術の臨床への応用においては、使うものと使われるものの両者がそのことを理解しながら、成果に期待し、弊害を最小限にする方策を一緒に追究しなければなりませ。そして、どのような方法で具体的にその革新的な技術を応用していくのか考えていかねばならないと思っています。
この10月1日ともかく制度は始まります。この制度の発足の趣旨を、医療関係者も、行政も、法曹界も、患者さんやご家族も、みんなが理解し、医療安全につながる成果が生じるような運用を強く望むものです。