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2015.05.01

整形外科について、思うこと(2015-5)

 

 会員の皆さん、役員の皆さん、先日の総会は盛会で、おめでとうございます。期待していた六車先生からは、難しい専門的な内容を実に分かりやすく解説したご講演をいただきました。会員の方からの具体的な成果がいつになるのかという質問に対して、しっかり灯った光を、焦ることなく、じっくりと待っていただきたいというご返答でした。そのご説明の内容に、私はむしろ六車先生の研究者としての責任と覚悟を感じました。これまでにもまして、皆さんがそれぞれのお立場で、この研究への支援をお考えになったのではないかと想像します。良いニュースが飛び込んでくることを、心待ちにしたいと思います。

 さて、今日は、私が専門としている「整形外科」に関して、さらには、医療を行う医師のあり方について私が最近感じていることをご紹介したいと思います。

医師になる過程では、卒前教育の中で医学生たちはすべての教科を学びます。医学部を卒業したからといって、医師として仕事ができるのではありません。資格を獲得するには国家試験に合格しなければなりません。私が卒業した当時(1970年代です)は、毎年必ず出題される基本的な診療である内科や外科、公衆衛生などに加えて、耳鼻科や眼科といった専門診療科目から選択されていました。それらは事前に告知され、受験生は合格のためにそれらを必死で詰め込んだものです。

そして、無事合格して資格を得ると、2年間の研修期間がありました。今はそれが必須化されて、広い範囲で学ぶようになっていますが、当時は、すぐに自分が進みたい診療科について、大学の教授の下にいわば入門する形でお願いする形式でした。それを入局といいます。そこで、教科書からだけではなく先輩たちから医師としての考え方や技術など、仕込まれていくわけです。

私はこの研修の過程で「外科系」を選択し、次いで、その中でも「整形外科」を選択し修行をしたことになります。早いもので、あっという間に35年が過ぎようとしています。ありがたいことに、未だに現役医師として仕事をさせてもらえる場があるので、日進月歩で変革される治療技術の進歩に後れまいと、先日、神戸にて開催された日本整形外科学会に参加しました。大阪大学の吉川教授が大会長でしたが、神戸のポートアイランドにて開催されました。国際会議場だけではなく、ポートピアホテルや国際展示場まで使い、さまざまなテーマで12会場まで設定されています。プログラムを片手に、次に聞く講座を探して移動も大変です。

外国からの演者や参加者も多く、日本の学会が国際的になって来ました。ここで参加者の整形外科医たちが熱心に話し合うのは、治療の方法、ことに手術に関する事柄です。微に入り細に渡って、議論が行われています。メスを置いて、15年になる私にすれば、自分自身が昔そうであったことなど忘れて、変わった人たちの集まりを見るような思いで眺めてきました。

外科医が、手術の方法などを語り合う機会はとても意味のあるもので、私はそれを否定する立場ではありません。彼らの熱心な探求心が少しでもいい手術をしようという熱意に支えられていることは間違いありません。それでも、私には一抹の不安を持ってしまうのです。それは、手術という治療手段の最終目的に関する彼らの理解にあるのだろうと思います。

関節に異常があって、そのために歩けなくなっている人に、最新の技術を用いて歩けるように手術という技術を使って治してさしあげる。これは、本当にすばらしい進歩です。しかし、ヘルスケアの目的は、それで完遂したのではありません。つまり、歩けるようになって、何をするのか、どこに行くのか、それができるようになるかどうか、それが治療のゴールでなければならないと思うのですが、手術を担当する医師は、そのような患者さんの生活や人生をイメージした手術選択を行い、その後のリハビリテーションを指示してきたか、そこが見えないのです。

「歩くようになること」は最終的な目標にとって、途中経過であり、やりたいことの目的ではなく手段に過ぎません。歩けるようになって何ができるかを最終目的とすれば、どんな手術とその後のリハビリを厳しく設定する必要があると思います。そして、その方の歩き方に関して、正確な評価を行い、適切な対処をしなければならないでしょう。

私は整形外科の仲間たちの仕事にケチを付けているのではありません。彼らの新しい技術を練り上げ、これまでなら無理だろうとあきらめていた人たちに立つこと、動くことができるようにする技術を開発してきた努力と成果に、心から敬服しています。しかし、さらに、だからこそ、これはステップであって、本当に到達するべき目標はまだ先にあるのだと、そして、それは医師だけで届くものではないことを改めて忘れないで欲しいのです。

私たちは、技術の進歩が時に、適切に使われずに、不幸な結果を招いている事例を知っています。その轍を踏まずに有効な技術革新になるために、技術革新が誰のために何をかなえようとされているのかその意味を十分に認識する必要があると思っています。

それはいわば、技術という具体的なものに対比させれば、概念的で形のないものです。そしてそうした基本的な考え方である哲学とでもいうべきスタンスは、技術以前に大切なものに思えてならないのです。確かに、哲学は人を治すことはできません。しかし、哲学のない技術は危険に満ちており、時に人を傷つけることを忘れてならないと思うのです。

すでに、メスを置き、技術が伴わない整形外科だからこそ、ことさらに技術論一辺倒のあり方にある種の危惧を感じたのかもしれませんが、ヘルスケアの役割を考える良い機会になりました。

 

 

 



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