読み物BOOKS

2016.06.01

歯の治療から、思い起こしたこと(2016-6)

 

 私は、何本かの歯にインプラントの処置をしてもらっています。そのおかげで、固いものを噛みきったり、前歯でトウモロコシをガブリと食べることもできるようになりました。歯の具合は食の楽しみに大きな影響を与えるので、すっかり良くなって、大変喜んでいます。

前回の検診の時に、「上の犬歯の土台が、ちょっと不安定になって来ていますね。」と告げられました。なるべく反対側でかむようにして、持たせようと努力をしていたのですが、好物の山口県産の歯ごたえのある蒲鉾を食べたときに、失敗しました。傷んだ歯のところが当たるように噛んでしまったのです。その後は少し固いものが当たるとグラグラするのが分かります。好きなはずの食べることが楽しくなくなってしまいました。

さすがにそれでは面白くないし、しぶしぶ受診の予約をしました。やはり「残念ですが、これでは使いものにはなりませんね。」先生は、申し訳なさそうにおっしゃいます。食べることを楽しむには、覚悟を決めるしかありません。そこで、次回に抜歯してインプラントの埋め込みをすることになりました。

そして処置の当日、麻酔がしっかりと効いていて、幸い外科的な処置中に痛みは感じませんでした。抜歯が終わった段階で、「うまく取れましたよ。では、一度うがいをしてください。」と指示されました。

 グジュグジュとうがいの水を吐き出すと、赤黒い色で、口の中に血が貯まっていたことが分かりました。その時、鼻に抜ける鉄さびのような生臭さを感じました。そして、その瞬間、中学生の頃の自分に一気に引き戻される生々しい記憶が浮かびました。私は友人と激しい喧嘩をしていました。本気の取っ組み合いです。彼の頭があごに当たり、私は口の中を少し切ってしまい出血したのです。

血の味。それは、友人との喧嘩という特殊な状況とともに、脳にしまい込まれていたのでしょう。鮮明に、具体的な光景を伴って浮かんできたのです。痛みまでが思い出されるほどはっきりした記憶です。胸苦しくなるとともに、ほんのり暖かい記憶でもありました。その記憶を通して、私にみずみずしい感性を持つ少年時代が確かにあったことが確認できました。それは、本当に驚くほどの体験でした。

 舌が覚えている「味」が記憶を呼び覚ます例としては、通常は、「オフクロの味」に代表される懐かしい料理であって、ここに紹介したのはいささか特殊です。私も母親が作ってくれた料理に伴う思い出があります。「冬瓜とカシワのスープ」です。今でも、そのスープの味とスープの表面に浮かぶ丸い地図のような油の層を見ると、その食卓に疲れて機嫌の悪い父親がいたことを思い出すのです。

皆さんもきっと、食べると、懐かしいというだけではないある種の感慨が出てくるものをお持ちではないでしょうか。口に含むと、その当時の自分自身のことや周囲の景色、場合によっては会話の内容などの状況がはっきりと具体的な像を伴って思い出されるような経験です。

 こうした現象を引き起こすのは、「味」だけではありません。風景や何かの場面といったものを目にした途端に過去の記憶が急に呼び覚まされることもあるでしょう。そして、「臭い」もきっかけになります。鼻腔に拡がるある特定の香りが脳に届くと、それに呼応した出来事が想起されるのです。指先や肌が覚えたある素材の「触覚」や「音楽や音」もこうした記憶を引っ張り出す「引き金」の役割を果たすこともあります。オルゴールの音など、映画の中で効果的に主人公の昔と結びつける演出があるのは、みんなに、この経験があって、理解しやすいからなのでしょう。

つまり、ある特定の状況や環境において人間の五感が感じた出来事が、長い年月を経ても、同じ種類の感覚の刺激によって、呼び覚まされることがあるということだと思います。

こうした五感に入力される情報は日々膨大な量に上っているはずで、なぜ、特定のものだけが、強く刻み込まれるのか、不思議な気もします。きっと、心の中の何か特殊な状況がセットになって組み合わせとして記憶されるのだろうと想像しています。

「血の味」で思い出すことになった相手との喧嘩という体験もそうです。その記憶は50年間、私の脳のどこかに静かに眠っていた事柄なのです。それが口の中に拡がる特殊な味によって、かなりのリアリティーを持って出てきました。それはその出来事の当時の確かな自分を確かめることであったのですが、その延長線上で、「今自分は確かに存在し、生きている」という実感にも通じたように感じたのです。

皆さんは、自分が生きているという手応えのようなものをお持ちでしょうか? 私は、時に、今生きているということへの確証が頼りない感じをぬぐえない気持ちになることがあります。もちろん、いつもはそんな風に不安に包まれることはありません。何となく身体の調子が悪いときなどに、足下が不安定な感覚に襲われることがあります。「生きている」という身体の奥から感じる確かな感覚が満たされないのです。

 そのような不確実で脆弱な基盤に比べると、私が体感した「血の味」といった特定の感覚が呼び覚ますことになった過去の体験は、その場で生活し、生きていた強固な自分の存在を明瞭に呼び覚ますことになりました。毎日の生活の積み重ねの中で時に不安定となる自己の存在に関して、過去の出来事の追憶・追想がそれを安定させるのに、大きな役割を果たしているかもしれません。さらに言えば、この些細な呼び起こされる感覚こそ、生きることに自信を失った自分自身の確かなよりどころになり得る可能性があるということです。

 人は新しいもの、経験したことのないものに出会ったとき、誰もが勇気を持ち、立ち向かっていけるわけではありません。それはむしろ少数派でしょう。大多数の人は、通常、不安におそわれ、怖さも生まれて、逃げ出したくなります。しかし、感覚が呼び覚ました確固たる自己の存在の記憶は、不安な自分や頼りない地盤に立つ不安定な状況を乗り越えるために、何よりも代えがたい有力な後ろ盾になることができるように感じました。

 過去を振り返ることは、年寄りの証しだといわれるかもしれません。しかし、人間の記憶に潜んだ意外なパワーに驚きながら、これがどんな風に使えるか、自分なりにもう少し考えてみるつもりです。はたして、これからどんな時に、どんな感覚とどんな記憶が一緒に浮かび上がってくるのか、楽しみに待ちたいと思います。

 



一覧に戻る