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2017.08.01
年齢を重ねると、身体も頭も機能が落ちてくることを自覚しますね。今回は少々個人的な話しからになりますが、人間の老化について考えたいと思います。本当に、年を取るというのは正直というのか、冷酷というのか、はっきりしています。階段で3階以上まで上がると、息が乱れてすぐに話ができないので、ちょっと待ってもらわねばなりません。一日でも睡眠時間が不足すると、その影響がなかなか取れません。脂っこい食事をおいしいからと食べてしまって、夜中に胸が苦しくなって目が覚めたりもします。要するに、今まで何とも思わなかったことが、自分自身でも気付かないうちに平気ではなくなってきているのですね。オヤッと思うことが度重なるようになり、ようやく、これはそのままではいけないと思うようになりました。
人には偉そうに指導したりするのに、情けない話しです。65歳で始めるのは、遅すぎたのかもしれませんが、身体の機能を維持しなければと、自分なりに多少の努力を開始しています。一つは身体の能力です。犬の散歩で歩くコースを延ばしたり、遠出して山歩きに連れ出したり、要は歩くことを意識しています。そして、仕事や街での移動では、なるべく階段を使うようにしています。たまにジムでマシン相手に有酸素運動をするのですが、そのタイミングを取るのが簡単ではないので、あまり現実的ではありません。
そしてもう一つの機能も気になり始めています。脳の機能です。認知機能は年齢により低下することは、周囲を見ていても分かります。認知症は、脳の血管に問題があって起こるタイプと、アルツハイマーのように、病気として起こるものがあるのですが、いずれにしても、高血圧、糖尿病、といった生活習慣病やうつに加えて、過体重、運動不足、さらに、酒、タバコがその危険因子であることが知られるようになっています。私の場合はお酒が好きなもので、おいしい料理につねに何かアルコールを合わせて楽しむようになっていて、脳の機能低下に悪影響があるのではないかと心配しています。でも、止められません。結局、生活習慣病と認知症の予防は危険因子から見ると同じようなことに気をつければ良いということになります。
また、認知症に関わる事項としては、脳の利用というのか、つまり頭を使うことの重要性が指摘されています。これは、仮に認知症と診断されたとしても、進行しないようにする方法でもありますし、時には、機能が改善した例も報告され、注目されています。一般的には「脳トレ」と呼ばれたりしていますね。要は、頭を適切に使ってやることが大切だということだと私は解釈しています。頭をできるだけ使うようにすることが、弱らせないこつということになります。
私に関しては、まだ、現役で責任者として働いていますので、悠長なことは言っておれず、業務上、報告を受け、会議に出席し、最終的には決断をする立場ですので、頭が休まることはありません。それはある意味、恵まれた環境なのかもしれません。というのも、時々、外来診療でお話を伺うと、仕事を退職され今は自由だとおっしゃりながら、やることがなくて、一日が長いとこぼされる例に遭遇するからです。どうも、退職した後、趣味や社会活動など仲間と一緒にしたいことがある方は、比較的元気を保っておられるのですが、何もないと頭も身体も弱ってくるというパターンがあるようなのです。
仕事の上で、調べなければならないことがある上に、本を読んだり、音楽を聴くのも好きですから、いろんなことに興味が生まれます。それで、情報を集めるのですが、最近のインターネットやスマートフォンの普及は本当に助かります。手軽に調べることができるようになり、疑問を疑問のままで忘れるということがなくなってきました。そうすると、今度は情報過多になり、少々オーバーフローし始めて、整理が大変になってきています。便利になったことの裏返しの現象として当たり前なのですが、うまく処理しなければ、情報の海でおぼれてしまって、息ができなくなる可能性も感じています。
こうした科学技術の進歩の恩恵は上手に使いこなしてこそのものだとなります。脳トレを開発された東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授は、スマートフォンによるゲームやテレビを長時間見ることによる脳機能の低下を強調されています。きっと、流れ出る情報を受け身でただ受け取るという活動は、脳を刺激するのではなく、ダメにするのでしょう。実際、川島教授の研究では、長い時間ゲームをする子供とそうでない子供を比較して成績を調べ、明らかに悪い影響があると報告されています。高齢者だけではなく、子供たちに、親が便利だからと携帯を与えて子守の代わりにするのはよく目にします。それは子供たちの脳を退化させているという恐ろしい研究結果です。授乳中に母親が携帯の画面を操作するということも小児科医からは良くないと警告が出されています。お乳を飲みながら、自分の母親の姿を目で追い、それに母親が応えることで成立する親子の関係性が、遮断されてしまうというのです。こうした弊害に関しては、大いに、啓発をしなければと思うのですが、ただ、テレビを見る時間が長いと脳機能が悪い影響を受けるという事実をマスメディア、ことにテレビ関係者は報道しようとしないようです。これは大切な知識として、伝えなければと感じています。
さて、昔のことを持ち出すと笑われるでしょうが、私の学生や新米医師の時代は大変でした。つまり、40年前ですね。一つのことを調べようとすると、図書館に入って、一つ一つ文献に当たるために、本を探し、コピーを取り、それを読んでいました。そして、手書きのリストを作り、あるいは文献カードに記載して、まさにアナログでの整理をしていました。その手間と苦労は思い出してもため息が出ます。今でも、その資料が仕事場にあるのですが、引っ越しの時にどうするかと尋ねられてもどうしても捨てる気になりません。当時の私の大切な記録というか分身のように思うからです。そうした過程を経て得た知識は、一歩ずつではありますが着実に身になっていったように思います。今では、その段階はすべて省略です。調べたい項目を打ち込んで、検索エンジンをポンと押せば、膨大な量の情報があふれ出るように提供されます。それらは工夫すれば自動的にリストが作成され、いつでも望む資料を取り出し確認することができるようになりました。
はたして、これだけの情報を読み込んで吸収していくことができるのか不安にもなります。でも、その便利さは、一度味わうと病み付きになります。大量の情報に決して流されず、安易に得ることができる多くの情報の中から、本当に大切なものを見抜く目を養う必要があるように感じています。
結局、ICTが普遍化しつつあるこの現代社会において、認知症を予防するために頭を使うには、このデジタルの情報から得たものをアナログに変換し、自分のものとする作業が重要ではないかと思うようになりました。皮肉なことではあるのですが、ICTにやられると、人工知能(AI)が一部の人間の仕事を奪うようになると予測されているのと同様に、脳の機能が低下する危険性があるのです。
6月に友人の誘いで御殿場や箱根を訪れることができました。眼前にそびえる富士山や渓流の側にある箱根の老舗旅館の温泉に浸かり、素晴らしい週末を過ごすことができました。日の光を浴び、山間を伝ってきた風に吹かれ、芽吹いた緑が揺らぐさまを眺めていて、突然、十七文字が浮かんできたのです。それは大げさに言えば、ある種の神が舞い降りてきたという感覚でした。それまで有名な俳句を鑑賞することは楽しみの一つではありましたが、自分が実際に創作するようになるとは思ってもいなかったので、新鮮に喜びと驚きがありました。次々とその日は25句ほどもできあがり、有頂天になったことを覚えています。そして、いつもの日常に戻ったのですが、それでも時に浮かんでくる十七文字を携帯のメモに残し、後で、推敲して楽しんでいます。
これは相当いいトレーニングになると今では感じています。他人様にご覧に入れるようなものではないのですが、楽しいし、何より今まで使ってはいなかった脳の別の部分を刺激している感覚があるのです。これはきっと、一定の予防効果があるに違いないと、意識し始めると、今度は景色が迫ってくるようになりました。
ユリウス・カエサル(シーザー)は、「人は見たいものしか見えず、聞きたいことしか聞こえない」と言ったそうです。本当に、今まで何を見ていたのだろうと思うくらい、十七文字を意識してから景色が変わりました。
現在の能である猿楽を芸術の域に高め、大成させた世阿弥は「風姿花伝」といういわば教本を残しています。その中で、若いときの躍動的で鮮やかな魅力的な踊りを「時分の花」とたとえています。若い生命が故に人の心に届く力がある芸なのでしょう。しかし、彼は「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころの事なり」と、厳しく「時分の花」で慢心してはならず、「能を尽くし工夫を究め」ることを強調します。真髄を追い求め続けていくと「まことの花」となり、一過性のものではない美を保ち続ける、しかも自分だけの花を咲かせることになると教えています。「時分の花」と「まことの花」が違うことを知ることを「初心」として、「初心忘るべからず」という教訓を残したのです。
この話は、老いをネガティブにとらえるのではなく、ポジティブに考えるとき、とても参考になります。若者にはない年を重ねたからこそ咲く花がきっとあるのでしょう。年取ったと嘆くばかりではなく、立派なものではなくてもよいので、自分らしい何かを残せるよう、活動すべきだと改めて感じました。
多くの高齢者の方が若い人たちに迷惑をかけたくないとおっしゃいます。その姿勢はよく理解できるのですが、やや消極的にも感じます。一歩進んで、若いのに一つ教えてやらにゃならんと、前向きに考えようじゃありませんか?もう一踏ん張りして彼らに皆さんが培ってきた大切なことを伝えませんか、一緒に頑張る仲間募集します。よろしくお願いします。