読み物BOOKS

2017.09.01

「何を信じれば良いのかなぁ」(2017-9)

 21世紀となり、ますます分からなかったことが分かるようになってきて、科学の力はさらに人間を良い方向へ導いてくれると明るい未来図が見えるように感じる反面、本当に、人類の将来は明るいのかと楽観的な将来予想に反する意見も強くなっている印象もあります。一体どちらが正しいのでしょう?

日本人にとって、どちらの意見が優勢であるのか、私は分かりませんが、悲観的な予想の背景には、世界は安定しているという確信を支える基盤となるものの揺らぎがあると思います。不安を呼び起こす要因はいくつかあるのでしょうが、その一つは、人口の減少と人口構造の変化、つまり、少子高齢化ではないかと思います。有史以降増え続けてきた日本の人口はそのピークを過ぎ、減少し始めています。

一年間に生まれる子供の数は減り続けており、亡くなる方の数は増え続けています。子供が少なくなるということは、働き手も減るということです。その反面、長生きとなり、高齢者の割合は増えます。とすると、誰が、増える高齢者を支えるのかという課題が生まれます。

こうした人口での将来予測は、今過ごしている毎日の生活が積み上げられ、定着している日本人の価値観が育んだ結果です。誰かの指示によって、こういう現実が生まれたわけではありません。戦後の日本を振り返れば、それは「右肩上がり」という言葉に象徴される「成長と拡大」の歴史であったと総括できるのではないでしょうか。しかし、経済の成長はどうでしょう。この25年間、企業の活動の証しとも言える国の租税収入はこの間、ほとんど変わってはいません。そして、人口は減り続けています。つまり、生活の基盤に大きくなることがいいことだとする考え方は改める必要があるのではないかと思うのです。

具体的な例を挙げます。私は、医療や介護の事業を行っています。そして、これまで、事業の成功は病床数と関連してとらえられてきました。300床の病院は100床の病院よりも何かしら優れているという感覚です。実際、何か解決が難しい病気やケガになれば、国民は「大きい病院」を受診しようとすることが、その証拠でしょう。

しかし、都市部での患者数は高齢者の数の増加が予測されており、収容する受け皿としての病床数は、この30年間ほどはある程度準備が必要かもしれませんが、地方ではすでに、過剰になりつつあります。病床数を削減して施設の維持を考えなければ、経営が成り立たないと推察されています。規模縮小が生き残りの戦略となるのです。

「成長と拡大」の未来図では立ちゆかないという理屈を私たちが受け入れるには、一定程度の時間が必要ではないかと感じています。それが後退であり退歩であって、進歩から外れるという心許なさがつきまとうからです。

足元の揺らぎは、人口や経済面だけではありません。政治の世界でも、これまでとは異なる出来事が起こっています。アメリカやヨーロッパで、大方のメディアの予測が見事に外れる結果が続きました。ポピュリズム、大衆迎合主義という批判が高まる一方、経済の領域では世界を市場とするグローバリズムや自由貿易を進める体制に抗して、国内の利益を第一とする閉鎖的な保護主義を掲げる意見に賛同する人たちが多くなってきている傾向があるようです。

「真理」を追求する科学の世界でも、ことに生命を扱う研究や高齢者の臨床を扱う現場で、唯一絶対の回答がなくなり、混乱があります。専門家が考える本人にとってベストと思われる治療方針と本人やご家族の意向が一致しないことも多くなりました。それは、医療者と患者(国民)との間の信頼関係が築きにくくなることを意味しています。本人の価値を守ることだけが優先されるだけではなく、医療者の経験や良心から生まれる臨床における倫理にも耳を傾けて欲しいと考えるのは、古くさい考え方なのでしょうか。

原因と結果が直線的に結びつき、その図式を医療者も患者も信じて、実際、効果が生まれていた時代ではなくなってきたということだと思います。それは幸せの基準が単一ではなくなってきたこととも関連します。

あらゆる分野で「進化や革新」が求められ、多くの研究者の努力により日々新しいものや考え方が生まれています。それは「進化や革新」が「進歩」と分かちがたく結びついていた時代でこそ高い意義があったのでしょう。今は明らかにその時代とは状況が違ってきています。「革新や変化」が必ずしも「進歩」に結びつかない場合が出てきたのです。時には、新しい技術や考え方が混乱の一要因になるのです。消費者は多くの選択肢を提示されても、その特性が理解できなければ、選択するといういわば贅沢な環境自体がストレスを生むことにもなります。まったくもって、やっかいです。そこでどうすれば幸せになるのか、何を信じれば良いのか、分からなくなっているような気がします。

そこで、私は、シンプルに人生を考えることが大事ではないかと思います。今、この時点を維持できること、繰り返しの毎日をつまらないと考えないことです。それは、何も努力しないで日々を送ることを勧めているわけではありません。拡大ではなく、中身を充実させ、高める努力は必要です。ただ、明日が今日より良くなるために大きくならねばならないという種類の負荷を背に担うことは止めてもいいかもしれないということです。規模の大小は目標の基準とはなりません。夢は大きくなることではなく、中身があることです。そこに信じられる自分と家族や仲間と仕事など社会とのつながりがあることです。誰もがこういう風に気持ちを切り替えなければ、常に充足感のない、不満だらけの気分でみんなが暮らす社会になってしまうように思います。

どうして、今の時代が生きにくいと感じるのか、なぜ、突き抜けるような喜びが身体を走ったり、母の慈愛が染みてくるような優しさにくるまれることがないのか、それは、満足を得るということの条件が社会の変わりようと乖離してきたからかもしれないと私は勝手に想像しています。

 



一覧に戻る