看護師の判断と技術が問われる

「先生の患者さんが腰を暖めて欲しいと言うてはります。いいですか?」「かめへんけど、暖めるだけはあかんで。運動させや」「分かりました。指示箋を書いて下さい」外来中のやりとりである。こうした手続きは実に面倒だ。
 診療行為決定の権限に関して、日本はかたくなである。実態は別として、すべてが「医師の指示のもと」実行される建前となっている。院内で、物理療法はPTが行う決まりを作っても、厳密な意味では許されない。そのため、技術者の中には、自分で考えることを忘れ、ひたすら指示を待つ「指示待ち族」が生まれる。行き過ぎると、明らかにおかしい医師の指示にも盲目的に従い、事故につながるという破滅的な事態を招くことにもなる。
 こうした診療のあり方に、「鋭いつっこみ」も入り始めている。日本看護協会の「21世紀における医療制度の基本的な考え方」では、「日本の医療は医師中心に発展してきた。しかし、今後は施設内での医療と在宅での医療が福祉・介護の領域へと分化し、連携が取れるシステムが必要である。医療にも福祉・介護にも存在する看護職は、そのシステム作りに大きく貢献できると考える」と看護職の業務のあり方について述べ、医師の指示による活動ではなく、看護師自身の判断による診療活動の利点と効率性を訴えている。
 従来の枠組みに関する疑義は行政サイドからも出ている。坂口力厚生労働大臣は「医療の場において看護師がどのような業務範囲を分担するか、その範囲拡大の是非、看護師の独自の判断でできる医療の分野がある」と国会で述べ、その結果「新たな看護のあり方に関する研究会」が設置された。2002年9月に出された中間報告では、医師の指示下での看護師などの静脈注射の実施を「診療の補助」看護業務と位置づけ、厚生労働省通知が出された。本年3月、この検討会の最終報告書が出された。
 そこでは、看護業務の一つである「療養上の世話」について、法令解釈上、医師の指示は不要と明言し、病人食の形態、安静度、清潔保持などは、治療方針をふまえて看護師が判断し行うべきだとされた。看護師の業務上の裁量・役割の拡大を狙う看護協会の主張が織り込まれた形である。また、症状緩和に対する医薬品などの使用も看護師の状況判断に委ねるべきであり、ことに、終末期ケアにおける疼痛管理などは専門看護師の実施が期待されるとある。
 こうした看護職の裁量拡大は、医師側からすれば医師の裁量権を脅かすものであり、それにこだわる医師会の賛同は得ることは難しい。しかし、どちらがイニシャティブを取るかが争点となるべき話ではない。ケアの質への影響、患者・家族にとっての効果を一番に検証するべきだろう。その意味では、高学歴で、専門分化しつつある看護職の能力が有効に発揮されることは、ケアの質の向上に有効で、コスト効率も優れていることは経験上、予測され、看護協会の方針は基本的に容認できる。しかし、実効を示すには条件がある。医学的判断を行う看護師の実力が第一の課題であり、次に、周囲、ことに医師の協力体制が第二の条件である。病棟における安静度(活動度)決定の権限が看護師に委ねられた場合、転倒などのアクシデントに対しての責任も、指示した看護師に求められる。看護師の指示の的確さがまず重要だが、アクシデントに対するフォローアップ体制が重要だ。それが不十分だと、これまでよりも、指示が安静に傾く危険性も生まれる。患者にとっての安全よりも、自分の安全(保身)を優先させるからである。看護教育を見直し、現場での理解を得て、環境を整える工夫が必要だ。
 こうした看護師の裁量権拡大の契機となったのは、「保健婦助産婦看護婦法の一部改正案」の成立(2001年12月)である。この法案は「専門資格の名称が男女で異なっている現状を改める」ことで審議された。しかし、真の意義は、これだけではない。ヘルスケアの現場で発言を求められていた従来の三師会(医師・歯科医師・薬剤師)に「看護師」が加わり、公的に政治的な力を持つに至ったことである。
 もうすぐ自民党総裁選挙があり、その後解散に続く衆議院総選挙が噂されており、今秋の政局はめまぐるしい。また、来年4月が、「診療報酬改定」に相当する時期でもあり、関係団体の動きもあわただしい。この時期の記事に「四師会」という表現を見るようになった。「三師会」に看護協会が加えられ、交渉の場に臨んでいる。日本看護協会の会員数は52万人と言われ、日本医師会の15万7千人、日本歯科医師会の5万3千人、日本薬剤師会の9万6千人と比べると飛び抜けて多い。南裕子会長はこうした数を背景に、政治的な力を発揮しようとしているようにも見える。彼女の発言には、政策提言への活動として「国から市町村まで議員候補者の育成、議員の増加と支援活動、行政機関における看護職の増加」など、具体的な内容が含まれている。
 医療制度や診療報酬の改定といった政治的課題においても、また、ヘルスケア現場での個々のケアにおいても、看護職が鍵となることは間違いない。医師の指示を手足となって忠実に実践していた「看護婦」の姿は、その名称とともに過去のものとなった。自分で考え、判断し、責任を背負って業務を遂行する近未来の看護職が見える。さて、他の診療技術者たちも、「士」から「師」へと活動をしてはどうだろう?それは医師のコア業務を考える圧力となる。医師の裁量権は周囲からの浸食で、やせ細る一方だ。チームリーダーとして、患者・家族やチームメンバーに関わる活動こそ、医師の存在意義と思えてならない。いずれにしても、各職種とも「真の実力」が問われる時代となってきた。あなたは、この時代を歓迎しますか? それとも…。