「さま」が医療を歪めた

 外来診察中、クラーク同士の会話が耳に入ってきた。「この人な、呼んでんけどな、いてへんねやんかぁ。しやからな、おったらな、…」あわてて、近寄って注意した。私が聞こえるということは、患者さんの耳にも届くということだ。お呼びするときは「何々さま」といくらお行儀良くしても、裏に回ってこれではどうにもならない。
 「さま呼称」に関しては、呼び方そのものではなく、サービス提供者の「気持ち」の問題だと評価する人が多い。無理にそう呼ばなくてもハートが伝わればそれでよいと形より中身重視の立場である。「さま」と呼び始めて、患者−医療者関係が悪くなったとする意見もある。実は、私もその一人である。「さま」と呼ぶのが顧客本位のサービスだと単純に思いこむ医療者も、「さま」と呼ばれて舞い上がり、身体が悪いのは自分自身であることを忘れて、サービスが悪いと文句たらたらの利用者も、どっちもどっちである。私に関していえば、自分自身にも、また、診療スタイルにもそぐわないし、気持ち悪くて使えない。
 ファーストフード店でのマニュアル通りの言い方も賛否両論である。20人前を頼んでも「こちらでお食べになりますか、お持ち帰りですか?」とオウム返しに問われるというのは、常識を越えてシュールな笑い話である。そのばかばかしさに眉をひそめる人もいれば、気分の悪い表現をされるくらいなら、ロボットでもましだという意見もある。
 しかし、ヘルスケアの対人サービスはそれではまずい。利用者は、身体の不都合から心理的にも不安を抱え、受診している。その方々に、傷んだ局所に集中して、物理的な処置を機械的にこなすだけでは、十分なケアとはいえない。「気持ち」が必要だ。では、「気持ち」とは、何だろうか?安っぽい同情やセンチメンタルな対応ではない。それは、信頼、尊敬、人間愛、誇りなどに支えられた信条(心情)ではないかと思われる。
 第47回国連総会(1992)において、1999年を国際高齢者年とする決議が採択された。基本理念は、その前年(1991)の「高齢者のための国連原則」であり、高齢者の「自立」、「社会参加」、「ケア」、「自己実現」、そして「尊厳」の実現を、格調高く、宣言している。高齢者年は、政策や実際の計画活動でこの原則を具体化するため行われた。
 「尊厳」の項目では、「尊厳及び保障を持って、肉体的・精神的虐待から解放された生活を送ることができるべきである」また、「年齢、性別、人種、民族的背景、障害等に関わらず公平に扱われ、自己の経済的貢献に関わらず尊重されるべきである」とある。安全に、公平に扱われることが尊厳を守る必要条件との宣言である。健常で元気な人たちと比較して、多くの高齢者は、障害者や患者さんと同様に、弱みを持った状況となる。その方々の尊厳を守るには、その人自身が「生きている値打ち」を損なわれることがないように、周囲が配慮しなければならない。その配慮の仕方が「気持ち」の問題である。ばらまき福祉は、お金そのものや額ではなく、その出し方に問題があるから批判が出るのである。金さえ出せば、優れた福祉制度とはならない。社会が、本当の意味での思いやりをどう示すかが重要である。ヘルスケアでも同じである。技術の提供だけでは不十分である。落ち込んだ状態の患者さんに追い打ちをかけるような「情けない思い」をさせない治療や介護を「気持ち」を働かせて、準備するのである。
 こうしたケアの実践に、もっとも重要な役割を担い、活躍が期待されるのは看護師である。患者さんが公平で、かつ、公正に扱われているか、現場で厳しく監視し、権利擁護のスタンスを常に守るのである。しかし、優しければよいというものではない。患者さんの甘えを容認するものであってはならない。起こった事態の収拾策は、医療者や患者側のそれぞれが行う単独の作業でも、どちらからの一方通行のものでもないからだ。同じ目的に向けての双方のエネルギーが一致した時、ケアは最大の効果が望めるのである。
 ヘルスケアでは診断・治療の経過において、不快な思いや身体的不自由、さらには、痛い手段が必要なときがある。その時に、それがなぜ必要であるのか、十分に説明し、できる限り、いやな思いをしないように、その方の尊厳を守って実践できるか、医療者の実力が問われる。「気持ち」はその大きな要素である。中でも治療のためという「錦の御旗」を掲げて患者さんに我慢を強制するケアは、改善が急務である。ことに医師は、治療について熱心になるあまり、その行為自身が患者さんを痛めつけていることに無関心となる傾向がある。周囲の気づきと積極的な働きかけがなければ、医療機関が、病気を治そうとする治療行為で、局所の物理的な故障は修理できても、結果的に患者さんを痛めつけてしまうという困った事例は減ることはない。そこで被ったダメージは、本人の努力ではなかなか回復が難しく、行為者自身の配慮が唯一の対策であり、予防ともなる。
 ヘルスケアは、損なわれたQOLを、可能な限り押し上げるのが使命のサービス業である。利用者の総体的なQOLを、忙しい現場でもイメージできる感性を持つスタッフが要る。そして、管理者がQOL確保の方策を考え、実行できる環境とするマネージ能力が問われる。病棟と電話の看護師の声。「そろそろ診察終わるから、患者さん下ろしてな。それと、さっきの入院、今から上げるから、」「荷物じゃあるまいし、上げたり下ろしたりするんじゃないの。『お連れする』とか、言い方があるでしょ」マネージャーが注意している。はたしてどれほど伝わったか、「気持ち」を持ったスタッフの育成に頭悩ませる毎日である。