患者中心の条件

 4月は、新卒の職員が多く、他の時期よりもたくさんの新入職員を迎えることになる。私も幹部職員も、彼らの前で話すが、両者ともいつもの調子とは違う気がする。どこかテンションが高いのである。それは、彼らが作り出す空気によるものではないか。つまり、緊張や不安といったネガティブな「気」よりも、これからの自分自身や職場、そして、自分の職業などに対しての期待や抱負というポジティブな「気」の方が強くて、それが、壇上の人間に作用するように思う。こうした相互関係が続き、お互いに好影響を及ぼし合うことができるか、人を育てることの重要性とそのための体制作りの必要性を痛感するのである。
 リハビリテーションの新人たちは、全体のオリエンテーションに続いて、診察の見学が企画されている。外来診療において、医師はどのような診断から、どのように患者さんに説明して、リハビリテーションを受けることを指導しているのか、実際の現場を体験してもらい、訓練室での業務にいかしてほしいという意図である。
 その日の私の外来には、新卒の理学療法士が立ち会っていた。次々と患者さんを呼び入れて、めまぐるしく診療していく。手の指を曲げる腱の滑りが悪くなるために、痛みも伴い、うまく屈伸できない「バネ指」の60歳過ぎの方の番となった。彼女は二回目の診察である。前回、「腱がスムースに動かない状態であり、時に腱が引っかかり、屈伸に際してコクンコクンとぎこちなく動くために『バネ指』とも呼ばれている」と病態を説明し、治療は「炎症が起きているので、これを取るために、炎症を抑える塗り薬を使ったり、注射をしたりします。それでも引っかかりが取れず痛みも引かない場合は最終手段として手術をすることもあります」と情報を与えていた。
 今回は「痛みが引かない」と再診である。治療の流れは理解できているはずと「注射をしましょう」と準備にかかりかけた。彼女は「注射は何の薬ですか?」と尋ねる。「ステロイド剤です。炎症を取るには、非常に効果的です。しかし、繰り返せば腱を傷めるので注意が要ります」と説明した。「腱に悪いんですか、どこに打つのですか?」「炎症を起こしている場所です」「そんなところに注射して、大丈夫ですか?」「麻酔剤も混ぜて使いますので、少ししびれたりしますが、一次的です」「注射は何回するのですか?」「一回やってみて、効果を見ます」「普通、どれくらい効いているのですか?」「個人差があります。一回で良くなることもありますし、二ヶ月で痛くなる方もあります」「そんなときはどうするのですか?」「注射しても、何度も痛みが出るなら、最終手段として手術をすることもあります」ここから、手術に関する質問となる。「手術は痛くないですか?」「麻酔で手術中は痛みません」「お風呂は入れますか?」「濡らさなければ翌日でも入浴はできます」「入院ですか?」「外来です」「手術で100%、完全に良くなって、二度と悪くなることはないのですね」「手術に100%はありません。ごく稀に、同じことが起こることもあるでしょう」徐々に腹立たしい気分になってくる。「これまで何例くらいありましたか?」「500例位のはずです」「難しい手術ですか?」「心臓移植に比べれば、そうかもしれませんが、手術に簡単なものはありません」「悩みますわ。このままでは寝られません」「私は決められません。痛みはあなたのもので、どれくらい困っておられるか、私には量りかねます」「絶対治るって約束してくれはるんやったら、しようかなと思うんですけど」「そんな約束はできません」「でも先生は、大丈夫といわはったでしょ」「100%なんて言えません」「そんなこと言わんと」もう限界である。「麻酔の薬で死ぬ人もいてはります。ともかく、あなたが決めてください」「素人には決められへんから、医者に頼ってるんです。ここやったら信頼できると聞いてきたんです」「あなたは私を信頼してないでしょ。治療方法も説明して、効果がなければ次の方法ですとプロとしてお勧めしても、あなたが決断しないのは、私のいうことを信頼していないからでしょ」「違います。頼って来ているのです。悩んでるんです」「もう、勝手に悩んでいなさい」「何てことを言うのですか!?」
 こうした例は、本当にむなしい気持ちになる。同じ長い時間かかっても、患者さんやご家族が病態をしっかりと理解し、方針決定にプロの情報を参考にされ、一緒にある結論にたどり着く場合とは大きな違いがある。
 この業界でも「患者さんから選ばれる病院とならねばならない」とこれまでの殿様商売とは異なるさまざまな工夫が始まっている。しかし、自立しておらず、したがって、病気やケガが自分の身体に起こったことであるという事実を認めず、他者に責任をかぶせることが得意で、相手を信頼もせず、一方的に医師やスタッフを自分の意志に合わせて利用しようとするタイプの方には、来ていただかなくても結構、そう宣言して、本当のプロによるケアを磨き、提供する努力に集中する方針も良いのではないかと思える。つまり、「病院が、利用する患者さんを選ぶ」のである。
 収入を確保するには、顧客を大切にという方針で、「あんな人でも単価はいくらですから、我慢して、お相手してください」という声もある。「どこにもないケア、よそでは味わえないケアを、いつでも、誰でも提供できる組織にならなあかんのじゃ。しょうもない患者に関わるな」と、逆らっている。汚い食べ方で隣の客に絡んでいる酔客に「あんたにうちの寿司食うてほしないわい。金はいらんから出て行ってくれ」と啖呵を切った寿司屋の親父さんの顔が浮かぶのである。